第56話 希望のたづな

その後も2度、アムスデンジュン軍の襲来を受け、からくも撃退したものの、ウィスタリア人の側にも大きな被害が出た。


オステオスペルマムでタマリスク軍から奪った武器は、総力では一個大隊に相当する強力なものだが、3000人全員に行き渡るわけもなく、だいいち難民となったウィスタリア人の多数は、武器の扱い方など知らない女性や子ども達だった。


武装した騎馬の一団に襲撃される度に、必死に守っているにも関らず、それらの無力な者たちの間から多くの犠牲が出た。


ウィスタリア人の側に、3門の高速機関銃がなかったら、損害はこんなものではすまず、ことによったら3000人が全滅していたかも知れなかった。

そして撃退したアムスデンジュン軍が体勢を立て直し、然るべき大部隊で襲いかかってきたら、いくら最新兵器があったところで、彼らはひとたまりもなく粉砕されていただろう。


けれど何日たっても、その最悪の事態はやってこない。

解せないことだが、アムスデンジュン軍は組織的な統制を持たず、てんでばらばらに山賊のような遊撃を働いているだけに見えた。


実はこの時、アムスデンジュン本国では、ステラ海から上陸したラフレシア軍と非常に激しい戦闘が発生し、アムスデンジュン藩王国全体が大混乱に陥っていた。

本国の軍部指導者にしてみれば、今はウィスタリアなどに構っている場合ではないわけで、ウィスタリアに派遣された部隊は、本国上層部との連絡が完全に途絶した状態にあった。


ウィスタリア人たちは、無謀な逃走を成功させる、実に貴重な一週間を得た。

無論、誰も、自分達が幸運に恵まれていたことなど、知るわけもなかったが。



死は戦闘に留まらず、衰弱や、病の形で、やはり弱いものから次々と生命を奪っていった。


特に、突如 蔓延まんえんしはじめた原因不明の熱病が深刻だった。

前触れもなく、火のような高熱が出て、一晩続き、たいてい翌日には治まる。

しかし人によって、数日後に再び熱が出て、また下がるという周期を繰り返すうちに体力を奪われ、死に到ることもあった。


追放が始まる以前には聞いたことのない症状に、医者は首をかしげ、自然までもが人間を責め苦しめるような仕打ちに、人々は恐怖した。


当時まだ発見されていなかった、荒野に生息する咬害虫の媒介するこの熱病はもちろん、

病らしい病とも言えない、通常であれば何でもなく克服するような不調でも、苛酷な真夏の太陽に炙られつつ荒れ地の悪路を突き進むこの状況では、回復は難しく、実に多くの者が命を落とした。


無念であり、断腸の悲しみであり、それでも全ての失われ行くもの対して、なすすべもなかった。


希望の扉がどんどん閉じられてゆくなか、それでも天の采配は簡単には割り切れないもので、

ウィスタリアに入って4日目の夕方、周囲に何もない峠道で、どこからともなく馬に跨がった男が現れた。

老練な傭兵を思わせる、白い髭を生やした男は、しばらくウェルウィチアと話してから去って行き、数時間後、岩山から湧き出したように、大勢の難民が山を下ってきた。


アムスデンジュン軍の侵略から逃れ、地元の人間にしか分からない、岩山の隠れ場所に潜んでいた同胞だった。

食料も残り少なくなり、立ち往生していたところを、岩山の麓を行く大群を見て、山を降りてきたのだ。


誰もがこの巡り合わせに狂喜した。


冷静に見れば、どちらの集団も、さして状況が明るくなったわけではない。

逃亡組にも食料は満足とは言えず、立てこもり組の武器は、前世紀の戦争の遺物や、狩猟用の散弾銃ぐらいしかない。


それでも、かつては優しく、花と陽光に満ち溢れていた故郷から、突如、略奪と殺戮の地獄と化した大地の上で、こうして巡り会えたこと、

この荒れ狂う絶望の海を渡ろうとするものが、決して自分達だけではないのだという、そのことに勇気付けられ、放しかけていた希望の手綱を今一度握りしめる力を生んだ。


祝福の砲声が鳴り響き、喝采が山々にこだました。

ひげもじゃのいかつい男までもが、涙を流し、まるで怒ったような顔で歓喜の叫びを挙げていた。



同胞人の間でさえ、妬みそねみ合い、結論のでない議論を続けて気付いたら国がなくなっていた、そんなウィスタリア人が、今はじめて真の団結を見せていた。


逃走組は、自分たちも残り少ない食料を惜しみなく籠城組に分け与え、

籠城組の、旧式の単発銃とロバしか持っていない老人が、危険な哨戒の任務を買って出た。

誰もが人を救うことを望み、そのためには自分の命を差し出すこともいとわなかった。


この行進のはじめの頃、まだ余裕のあった時には、わずかな損失を恐れて他人に施すことを拒み、様々なものが窮状にある今こそ、心から助けう。

皮肉にも危機が民族の絆を生み、悲劇が彼らを強くした。



人数だけが5000人に膨れ上がった集団で、残酷で俊敏な敵の攻撃を逃れ、ラフレシアまでたどり着かなければ、彼らの未来はない。

だれもが喜びのあまり、その前途がいかに困難で、果てしないものであるかということを、忘れてしまったかのようだった。

こういった気質が、歴史家をして、「不屈と勇猛のウィスタリア人」と呼ばしめたのかも知れない。

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