第55話 抑えることができない
危機はすぐにやってきた。
国境を越えてから2日目、苛酷な太陽の照る山道を、沈黙した、膨大な数の難民は進んでいった。
と、列の後ろの方から、しんがりを務める斥候の若者が血相を変え、馬をとばして駆けつけてきた。
青い顔で父と二言三言交わし、すぐに列の前方へと駆け抜けていった。
周囲がにわかに騒がしくなり、すぐにまた静かになった。
こんどの沈黙は、それまでと違っていた。
いまにも弾けそうなほどの、圧し殺した緊張に満ちていた。
恐れていた、遅かれ早かれこうなることを覚悟していた事態が現実のものとなった。
敵に遭遇したのだ。
気が変になりそうなほどゆっくりと進む隊列の後ろから、土煙を上げて騎馬の一行が追い付いてきた。
10、20、、、50人以上いるだろうか。
アムスデンジュン軍の重装騎兵部隊だ。
アマリリスの耳にも片言だとわかる発音のタマリスク語で何か叫びながら、難民の列には目もくれず、騎兵隊は列の前の方へ駆けていった。
父の目論見通り、アムスデンジュン軍は一行を、まさか反乱の上逃亡してきた武装集団だとは思わず、移送中の難民の一行だと思っているようだ。
それにしては西へ向かっているのがおかしい、あるいは、単に食料や金品を巻き上げようと思って追ってきたのだろう。
反対に前方の坂道を、ぴたりと停止した難民の列の横をこちらに向かって駆け下ってくる3騎があった。
こういう事態のために、タマリスク兵の死体から剥ぎ取った制服に身を包んだ、ウィスタリア人。
赤い制服の兵士にアムスデンジュン軍は戸惑い、馬を停めた。
3騎の先頭は、アマリリスの村の、鍛冶屋のおやじさん。
馬上でにこやかに手を振っているその変装は、どう見ても滑稽で、四角い顔つきに迫力があるというだけの理由で選ばれたその体格に、赤い軍服はまるで合っていなくて、即席の付け髭はずり落ちそうになっている。
アマリリスはどうしようもなく荒くなる呼吸を必死に抑えていた。
アマリリスの乗る馬車のすぐそばにも、ターバンとも兜ともつかない奇妙な帽子をかぶった、若いアムスデンジュン兵が見えた。
”どうして気付かないの?”
アマリリスは心の中で、その若者に語りかけていた。
あんなバレバレの変装なのに。
この難民たちの沈黙は、疲労と無気力ではなくて、今にも弾け飛びそうな衝動を、必死に抑えている緊張だと、どうして見破れないの?
このままでは、
馭者台の父の手がそろそろと、座席の下に伸びるのが見えた。
心臓が大きくどくんと鳴って、それきり止まってしまったかのように、静かになった。
鍛冶屋のおじさん扮するタマリスク将校は、どんどん、アムスデンジュン軍の先頭に近付いてくる。
あと数メートル、というところで突然、ひとなつこい笑顔がその表情から消えた。
鞍に提げられたホルスターから、散弾銃が振り抜かれ、先頭のアムスデンジュン兵の頭が砕け散った。
「伏せろっ」
父の叫び声と同時に、アマリリスは、ヘリアンサスとヒルプシムをなぎ倒すようにして、荷台に身を投げた。
一拍遅れて、けたたましい銃声が鳴り響く。
アマリリスはぎゅっと目を閉じ、耳を塞いだ。
それでも両の手のひらを突き抜けてくる、乾いた銃声に混じって、人間の体に固いものが突き刺さるいやな音が伝わってきた。
戦闘はすぐに終わった。
アムスデンジュン兵は殲滅されたが、ウィスタリア人も大きな被害を受けていた。
アマリリスがやっと顔を上げたとき、荷台の上では、同乗していた2人が即死し、一人が、今まさに息を引き取ろうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます