第28話 コブロスマ条約はどうなった?
厨房と客間を仕切るカーテンのかげから、アマリリスはヒルプシムと一緒に、毎夜繰り返される大人たちの議論を盗み聞きしていた。
集会所の使用が禁止されているので、ウェルウィチア家の客間が、そのかわりになっていた。
「おれたちは、ウィスタリア人で、ウィスタリアの主人だ。
タマリスクも条約に調印したんだ、約束は守ってもらうぞ。
移住だか追放だか知らんが、どこに行っても、おれの土地はおれのものだ。
もうすぐ取り入れの時期だっていうのに、家を空けてたんじゃイチジクが腐っちまう、こっちは大損だ。
その分も弁償してもらうぞ、連中は分かってるんだろうな!?
冗談じゃないぞ、こっちにはコブロスマ条約があるんだ、おれの損害は絶対に払ってもらうからな」
イチジク農園の主人は、条約、条約とまくし立て続けた。
「ブッコロスマ条約って、何?」
ヒルプシムがひそひそ声で聞いてきた。
「・・・ウィスタリアは、ウィスタリア人の物ですよ、ってホーリツよ。」
学校の授業から、アマリリスに思い出せたのはそこまで。
全くの間違いとも言い切れないが、正解とも程遠かった。
コブロスマ条約とは、二人が生まれる少し前、アンブロシア独立戦争の終結時に、ラフレシアとタマリスクの間で締結された講和条約である。
現在のアンブロシア共和国が、タマリスクからの独立を勝ち取った戦争は、
同様に当時タマリスク領だった、東ボレアシアの諸国に飛び火し、民族主権を掲げて独立を訴える国々と、力ずくで抑え込もうとするタマリスク、地域への影響力強化を狙うラフレシアが入り乱れ、泥沼の様相を呈した。
グロキシニアをはじめ、西ボレアシア列強の仲裁で提示された調停案は、紛争地となった国家群のうち、ラフレシア寄りの約半数をラフレシア
タマリスク配下に残る国々を含め、係争となった国の民族自決権を明記し、
従って属国側の主権にかなり配慮した、宗主国との地位協定を含んでいた。
ほぼ原案のまま
2つの海を隔てた遠い国のいさかいにより、このカラカシスの山国は、従来よりさらに広範な自治権を、言わばたなぼた式に獲得したことになる。
歴史上はじめて、ウィスタリアがウィスタリア民族の国であることが明文化され、ウィスタリア人と、それ以外の『共栄諸民族』それぞれに認められる権利が、細かく定められた。
コブロスマ条約は、主権国民であるウィスタリア人のほとんどからは歓迎された一方、
『よそもの』であるとはっきり記載され、従来よりも権利の範囲を制限される方向に動いたアムスデンジュン人からは反発を招いた。
例えば、住民のほとんどがアムスデンジュン人であるような村でも、以後村長はウィスタリア人から選ばなければならなくなった。
この条項にいては、アムスデンジュン人のみならず、一部のウィスタリア人からも猛反発を受けて、その後部分的に見直されたが、大筋に変わりはなく、
彼らの民族の国であるアムスデンジュン藩王国が、ウィスタリアと同じ地位の属国でありながら、コブロスマ条約の適用を見送られたことも、
コブロスマ条約はまた、属国の財産権についても言及していて、
宗主国は麾下国(属国)および麾下国国民の財産を正当な理由なく没収、毀損してはならず、やむを得ずこれを行う場合にも、しかるべき補償に務めること、
との原則が記されている。
イチジク農園の主人が言っているのは、タマリスクも同じ条約を批准しているわけだから、
ラフレシアで認められていた、自分の財産に対する権利は、当然保証され、
移住によってその価値が損われるなら、しかるべき補償があるべきだ、ということだ。
理屈として通らないわけではないが、何が起こっているのかすら分からないこの状況で、条約の運用がどうなっているのか、
誰にそれを
「補償については、ここに、書いてある、
ええと、、、」
村長はアムスデンジュン軍から渡された指令書を取りだし、ぷるぷる震える手で目の前にかざした。
「ええと、旅行と、給付の、
関係する、、、受難の、山羊が・・・」
「誰もヤギのことなんざ聞いてねぇぞ、ふざけんな!!」
玉のような汗を拭いつつ、タマリスク語の指令書と格闘する村長に、容赦ない罵声が飛んだ。
「私が読もう」
アマリリスの父が手を差し伸べた。
村長から受け取った紙をしばらく眺めてから、口を開いた。
「『移住に係る費用の補助について』
上記の移住に際して、費用の補助を必要とする者は、所定の申請書に必要事項を記入の上、管轄の係官に届出ること。
申請には10デュルケムの収入印紙が必要である。
タマリスク帝国政府が援助の要ありと認める申請については、300デュルケムを上限として、必要経費の支給を行う。
支給窓口は、ウィスタリア
個別の申請の承認、却下は公表しないので、各申請者で支給窓口に確認すること。
ー以上だ。」
しばらく、何かに気圧されたような沈黙が、
一同を支配した。
「・・・そりゃ、補償の話じゃない。
単なる旅費の補助じゃないか。」
「それもたった300デュルケムって・・・
一体いくらだ?
子供の小遣いじゃないんだぞ」
「ウィスタリア銀行が払うってことは、そりゃ、元は俺たちが納めた税金じゃないか。
人をバカにするのもいい加減にしろ、何だっておれが、そんな旅費に事欠くような貧乏人にカネをくれてやらなきゃならないんだ」
「カネカネカネカネと、聞き苦しい野郎だ。てめぇ如きの稼ぎで、言うほど税金納めてないだろうが」
「何だと、お前こそ・・・」
あっという間に場は収拾がつかなくなった。
やがて、沈黙を守っていた数人のうちの一人、ぎょっとするほど大きな四角い頭の、鍛冶屋のおやじが口を開いた。
張り上げた声ではなかったが、鐘をハンマーで叩くような声は、
「なぁ。
そうすると、おれたちは何処へ連れていかれようとしているんだ?」
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