第69話 襲来する悪夢
周辺を見回しても群を抜いて巨大な、堂々たる山容は、地図には標高1024メートルとある。
急峻な、いくつもの谷が刻まれた山腹は、半ば木々におおわれ、あるいは荒々しい岩肌を曝し、その上には、屏風のように連なる山頂部の岩塊が聳える。
山の西半分は海にせりだし、高低差数百メートルの絶壁の足元を、白い波しぶきが洗っている。
山全体を眺める時には、風にそよぐ白いレースのようなその波頭も、そこに目を凝らして見れば岩を砕かんばかりの勢いで砕け散る荒波で、山の大きさに目がおかしくなりそうだった。
「地図を見せてくれ。」
助手席の青年から地図を受け取り、そういう目的には大まか過ぎる縮尺の図面から、山の全体像を読み取ろうと躍起になっていたとき、
波のように通りすぎていったざわめきに、ウェルウィチアは顔を上げた。
彼らがやってきた方角、低い丘の間の切り通しのようになった所に、蒼天を背にした3騎の姿があった。
考えるまでもなく、彼らを追ってきた敵兵に違いない。
しかし、その奇怪な出で立ちと、悠然としたたたずまいに、難民たちは戸惑った。
見事な毛並みの黒馬、ないし焦茶の走駆馬に、黒い毛の房を束ねたような半外套、
幾重にも腕輪や首飾りを巻き付け、顔は、異教の神の面のような、不気味な仮面で隠している。
風にそよぐ外套のせいか、かげろうでも立っているのか、3騎の姿全体が、ゆらゆらと揺らめいているような錯覚に囚われる。
3騎が動いた。
散開しつつ、こちらに向かって駆け下ってくる。
迎え撃つ側は、これまでの戦闘の経験から、慎重にじっくりと狙いを定めた。
しかしどういうわけか、誰一人として照準に敵を捉えることが出来ず、亡霊のようにゆるゆるとした動きに見えた3騎は、あっと思った時には難民の列の目の前まで走り寄っていた。
燃油式のエンジンの駆動音のような、高く軽い破裂音が鳴り渡り、パッと赤い煙の列が立った。
3騎は群衆の脇を駆け抜けながら、各々が手にした短機関銃の、弾倉が空になるまで撃ちつくし、
接近してきた時同様、あっという間に離れていった。
難民全体に激震が走った。
一旦距離を取った3騎は弾倉を交換し、再び、夥しい数の獲物の群れに馬首を向けた。
近付けまいとするライフルの応射がそこらじゅうで鳴っていた。
しかし、一見単純なジグザグに見えた敵の動きは、ことごとくそれをかわし、まったく怯む様子なく、突進してくる。
ウィスタリア東部で何度か遭遇したアムスデンジュン騎兵とは、明らかに動きが違った。
人馬一体となった、予測不可能な機動、緩急自在、地面すれすれを飛ぶ鳥のような動きは、訓練を受けた者でなければ、照準に捉えることはほとんど不可能で、
ウィスタリア人たちは、決して当たるはずがないと確信しながら、無闇に発砲を重ねた。
たった3騎。だがその3騎のために防御陣は総崩れとなり、彼らの短機関銃が火を吹く度に、血煙が上がるのが見えた。
悪夢のような光景だった。
3騎は次第に難民の群れのすぐ近くを、悠々と駆け抜けながら、反撃の意思すら挫けた犠牲者を一度に10人、20人と刈り取って行く。
やがて、
騎兵の短機関銃とは違う、雷のような連射音が荒野に響き渡った。
着弾に抉られた土煙の柱が、生き物のように敵を追い回した末、なんとか一騎を捉え、人馬もろとも吹き飛ばした。
機関銃座に取り付いたウェルウィチアと、敵騎兵の視線が交差した。
それも一瞬のことで、残った2騎は馬首を回し、あっという間に走り去って行った。
「ありゃ、一体・・・・」
リーダーの一人が、こわ張った声で呟いた。
負傷者の呻き声や、手当にあたる医師が指示を飛ばす声が、あちこちから聞こえた。
東部でアムスデンジュン部隊の襲撃を受けて、最もひどい被害が出た時以上の人数が死傷していた。
「スキタイの竜騎兵だろう。傭兵の。
タマリスクが連れて来たんだ。」
ウェルウィチアが額をさすりながら答えた。
それを見るや、アマリリスはあっと叫び声を上げ、他のリーダーたちを突き飛ばして銃座に駆け上がった。
「血!!血が出てる」
「あぁ、大丈夫。
慌ててたもんで、銃把にぶつけたんだ。
いやはや、、」
「見せて!!!他には!?」
悲鳴に近い声でアマリリスは叫び、父親の腕を押し上げるようにして額の傷をあらためた。
更に、すごい剣幕で肩や腕を撫で回した。
「――大丈夫だ。
すまない、心配させたな。」
ウェルウィチアは穏やかな声で言って、娘の両肩に手を置いた。
更に、優しくその額を撫でた。
ようやく安心して放心したようなアマリリスの表情がクシャクシャに歪み、大きな両目からボロボロと涙がこぼれた。
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