第93話 照明弾(1)
下弦の月はいつしかピスガ山の向こうに隠れ、降るような満天の星と、わずかに認められる月明かりのフレアを背に、巨大な山塊は暗黒のシルエットでその輪郭を示していた。
それは美しい眺望だった。
息を殺して尾根を、谷を進む兵士たちを、これから待ち受けている戦闘の方が、夢か幻かと思えるほどだった。
声ひとつ立てずに進んでゆく軍団の傍ら、巧妙に隠された縦穴の中に、青年は潜んでいた。
兵士達の靴底が斜面に触れる、微かな、しかしおびただしい数の擦音は、青年の耳に切れ目のないノイズとなって届いた。
べとつく手のひらを太ももにこすりつけ、不格好に大口径の、大きな拳銃のような物を取り出した。
灌木の茂みに見せかけた、穴を覆う枯れ枝の束を僅かに持ち上げ、周囲を窺う。
ほんの十数歩のところを、亡霊のような黒い影が通りすぎていった。
しかしそれが幻影ではない証拠に、圧し殺した苦しげな呼吸が伝わってきた。
自分の呼気も敵に聞こえるのではないかと思って、青年の息は余計荒くなった。
彼はこの作戦で最も重要かつ危険な役割を負っていた。
”信号弾は、本来、標的を狙うような物ではない”
オステオスペルマムで犠牲となった、彼の親友の父親でもあるこの作戦の指導者は、この特殊な火器を手渡しながら言った。
”だからこそ、確実に命中させてほしい。
一番まずいのは、弾が連中の間をすり抜けて、あさっての方向に飛んでいって発火することだ。
そうなったら我々も、待ち伏せ隊も、十分な視野が取れず、奇襲は失敗だ。
そして君は奴等に見つかって殺されることになる。”
思いのほか敵の進路と近く、この位置からでは、成功しても彼まで巻き添えを食う危険があった。
が、自分が死ぬことは、大した問題だとは思われなかった。
ただ、自分が失敗することで、仲間が危険に陥るという考えだけが、彼の心を震えさせた。
狭い穴の中で体を捻って立て膝をつき、射出器を構えた。
申し訳ばかりの照星の先に、一番近い位置の敵の背中を捉えた。
”分かっている。”
最後に、彼は肩に手を置いて言った。
”自分が孤独だと思わないでほしい。
これは、君だけじゃない、我々ウィスタリア人全員の、大きな賭けだ。
一緒に、ヘリオトロープの霊に祈ろう。”
引き金を引いた。
白リンを詰めた自推弾は、標的を外れ、長い
数十メートル飛んだ先で何かに当たり、激しく火花を散らすのを見て、
青年は任務の後半を思いだし、縦穴の底に身を投げた。
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