第8話 地の果てるところ

暦は5月も半ばを過ぎていたはずだ。


彼女の生まれ故郷、ウィスタリアであれば、今ごろは、春の訪れとともに一斉に野山を埋め尽くした花々の洪水も一段落し、草木はそろそろ初夏の装いに入ってゆく頃だろう。


しかしここ、トワトワトに、春の気配はまるでない。

彼女達が来る少し前に、雪と氷は高山の奥へと引き上げていたが、咲く花ひとつなく、膨らむ青葉もなく、大地は沈黙したままだった。


あるいはこれが、北国の春なのか。

暑いくらいに降り注ぐ太陽、眩しいほどのみどり、湿った土や、草花の匂いの春は、記憶の中だけにある、例外的に温和な情景で、

これから先の自分に残されているのは、みなこういった灰色の世界ばかりなのだろうか。


ラフレシアの中で、トワトワトだけが特別に寒冷過酷な土地というわけではない。

アマリリスは、自分たちがひと冬かけて移動してきた、実にこの惑星の円周の4分の1に及ぶ道のりを思い出していた。

モミやツガの黒い森、吹雪に突き固められた白い雪だけの大地。

列車から外に出れば、数分で凍死すると言われる酷寒、何百キロ行っても、街も家も見えない、そういう世界。


ラフレシアは国土面積こそ広大だが、その大部分はこの大陸の中心から大きく北側にずれた場所、南方や西方のより重要な領土の背後にあり、寒冷林やツンドラといった、他国からの興味を集めるほどのこともない、空白の土地が大半である。

その東の果て、地の果てる場所にトワトワト半島はある。



ふたたび、空を見上げた。

この暗く、重苦しい空の下に生きる限り、まるで人は笑ったり楽しい気持ちになることを許されず、

この寒さに苦しみ、この貧しさに悩み、他にもっと温暖で喜びに満ちた世界があると考えることもなく一生を終える、

そういうふうに運命づけられた土地に思えた。


アマリリスは唇を噛み締めた。

アスティルベに行ったら何か変わるかも、などと考えたのが間違いだった。

それを言ったら、ウィスタリアから離れたこと自体がそもそもの間違いだ。

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