第45話 萌葱色の背徳
「なんか、すごかったねぇーっ」
「ねー、あんなエロい人たちばっかいるんじゃ、スルタンの第一夫人は難しそうだね」
ハマムから出て、中で見てきた異次元の感想を、アマリリスとヒルプシムはかしましく喋くりあった。
金の腕輪やティアラをつけていた、冗談みたいに豪華な女の仕草や目つきをまね、息ができないほど笑いころげた。
濡れた髪をターバンで巻き上げ、だぶだぶのスモックにサンダルという格好で、二人は町を歩いた。
夜になり、昼間は大きな馬車や、巨大な蒸気動力車が土埃を巻き上げて往来していた、幅の広い大通りが、真ん中にわずかな通路を残して、隙間なく立ち並ぶ屋台に埋め尽くされていた。
「ねぇ、ちょっと寄り道していこうか。」
ヒルプシムが指差したのは、露店の
といっても、お茶を頼んでいる人なんて誰もいない。
水パイプと、ニガヨモギ酒を楽しむ類いの店だ。
「えっ、、、まずいんじゃない?」
「大丈夫よぉ、戻ってすぐ寝ちゃえば、親たちには分からないって。」
当然、バレたら父や兄にこっぴどく叱られるだろうが、それよりもここは敵地で、自分達は難民で、、、
ヒルプシムは泣き虫でそそっかしいくせに、時々こういう大胆なところがある。
この日ばかりは従姉妹のかげに隠れるようにして、水パイプの煙でもうもうとする一角に近付いた。
注文を取りに来た若い男はばかに愛想がよく、わざとらしい笑顔でしきりに話しかけてきた。
一方でニガヨモギ酒のグラスを持ってきた男はおそろしく無愛想で、七面鳥が人間を見るような目付きでアマリリスたちをジロジロと見回していった。
どちらとも、言葉が通じなくてほっとした。
まわりのタマリスク人たちを見よう見まねで、スプーンの上で青く燃えている角砂糖を
はじめ二人の舌には不快な、強烈な苦味があり、慌てて飲み下すと、喉の奥からみぞおちにかけてが燃え上がるような感覚があった。
むせそうになるのをこらえるのがやっとだった。
眉をしかめつつちびちびやるうちに、不慣れな舌も、この背徳的な液体の中に溶かし込まれた甘味を探り当て、次第になんだかふわふわした気分になり、所在なくちじこまったような感じが薄れた。
女の客が珍しいのか、何度か周りのタマリスク人たちが二人の方を見ていたが、陽気で穏やかな雰囲気には、不安にさせるものはなかった。
どこかで、祈祷なのか詩の朗読なのか、男の声で、歌うようなリズムのタマリスク語が流れていた。
「平和だねぇ。とても戦争をやってる国だとは思えないよ。」
「タマリスクの中じゃ、田舎だものね。
戦争も、ここまではやってこないんじゃない?」
「ウィスタリアはラフレシアに近いから、あっちの方がひどい戦場になるよね。。。
こっちに移されて、良かったのかもしれないね。」
二人ともそんなことは少しも思っていないはずだ。
それなのに、自分の口からそんな言葉が衝いて出たのも、ヒルプシムが同調してきたのも妙な話だった。
二人はしばらく黙って、バザールの賑わいと、人工の灯りの上に広がる暗闇を見ていた。
「大丈夫かもしれない、って思えてきた。」
アマリリスが再び口を開いた。
慣れない飲み物のせいで、少しポワンとした気分だったが、考えは、さっきよりも冴えている気がした。
「悪いふうに考えすぎてたんじゃないかって。
タマリスク人は、みんな残酷で、血も涙もない悪党みたく思ってたけど、そうじゃない。
ハマムでお喋りしたり、あたしたちに果物をくれたりする。
きっと、悪いのは戦争なのよ。
戦争が残酷なだけで、人間がダメなわけじゃあないのよ。」
「そうだね。あの人達も、親切だった。イチジクおいしかったなぁ。」
アマリリスは何と答えたものか迷った。
言いたかったことはそうではないのだ。
物をもらったから親近感を覚えているのではなく、
ヴェールの奥に息を潜めた、得体の知れない生物のように思っていた異教徒の女たちが、裸になればけらけら笑いあったり、夫の悪口を言い合ったり(さっきの温室での会話は、二人の間ではそういう内容だったのだということになっていた)していること、
自分達と同じように、『お近づきの印に』ささやかな贈り物をする感覚を持っているのだということ、
その事自体に、勇気付けられた気がした。
無論、あのなまめかしい肌や姿態はウィスタリア人にとって異質ではあるが、それがいさかいの種になるはずもないのだ。
「むしろ男たちは喜ぶんじゃないの?ヘリオット兄さんなんか、ヨダレ垂らしてガン見しそう。」
「やだーっ、お兄ちゃんのエロモードとか、見たくねぇーー」
「まぁ、水星派教徒の女のハダカ見た時点で、生きて帰れないけどね、斬首よ、石打ちよ。」
「えーっ、それはさすがにちょっと可哀想な。
δ★@£しなきゃ大丈夫じゃね?」
「δ★@£なんかした日には、八つ裂きよ、みじん切りにされて骨も残んないわよ。」
「じゃぁじゃぁ、&※℃▲ぐらいだったら?」
「&※℃▲って、その方がもっとヤバイんじゃないのぉ?」
ウィスタリア語が分かる者がいたら、大の男でも赤面しそうな言葉を連呼しながら、二人はげらげらと笑いあった。
さっきの家禽のような男までも、不思議そうに二人を見ていた。
ひとしきりかしましく騒いだあと、アマリリスは真面目な、しかし清々しい顔で言った。
「善を信じるわ。ウィスタリア人も、タマリスク人も、アムスデンジュン人も、みんな同じだけ善良で正しい心を持っているはずよ。」
「うん。。。そうだね、私もそう思う。」
アマリリスは自分の思いや考えを、上手くは説明できなかった。
しかしそう応じたヒルプシムの声や表情は、アマリリスが今感じている気分のようなものを、確かに共有しているのだと思わせた。
大人がするように、二人はニガヨモギ酒のグラスを持ち上げて乾杯した。
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