――― おわりに ―――
Translucent Marchen カラカシス編をお読みいただきありがとうございました。
この物語は既存の多くの作品に着想を得ていますが、特に多くのアイディアやプロットを借りた三作品についてここで紹介します。
(1)「アルメニアの少女」 原題: Road from Home
デーヴィッド・ケルディアン著 越智 道雄 訳 評論社
アルメニア系アメリカ人の作者デーヴィッド・ケルディアンが、実母ヴェロンの幼少期の実体験の聞き取りを元に記した作品です。
ヒトラーはユダヤ人弾圧に際し、「今日、一体誰がアルメニア人の絶滅について話題にするだろうか(だからユダヤ人虐殺も後世では問題にされないよ)」と述べたと伝えられています。
これは、第一次世界大戦中、オスマン帝国と諸外国、特にロシアとの国際関係の緊張や、青年トルコ党への政権移行などの混乱の中で、当時はトルコ領内に多数住んでいたアルメニア人が、虐殺や、強制移住の過程での飢餓や疫病の犠牲となり、数十万~百万人規模の人々が命を落としたと伝えられる「アルメニア人ジェノサイド」を指したものです。
物語の主人公ヴェロン少女は、アナトリア中部のアジジア(今日のアフィヨンカラヒサール県)に生まれ、幸福な幼少期を送りますが、オスマン政府が指揮する強制移住の対象となり、家族とともに今日のシリアの都市ディル・エル・ゾル(デリゾール)への追放の旅につきます。
旅の途中、彼女の家族は全員が病気や事故で死亡し、ヴェロン少女は数年後、たった一人で故郷アジジアに戻ってきますが、今度は希土戦争の戦闘に巻き込まれて負傷し、その後はスミルナ(現在のイズミール)、ギリシャを経て経てアメリカに移住することになります。
この作品はアメリカをはじめ諸外国で、中学生の読み物として広く読まれ、1980年にはアメリカで名誉ある児童文学賞である、ニューベリー賞(Honor)を受賞しています。
Translucent Marchenでは、アマリリスの故郷すずかけ村での生活から、オステオスペルマムへの追放の旅をはじめ、物語全般にわたってこの作品を参考にしている箇所が多数あります。
(2)「モーセ山の四十日」 原題: Die vierzig Tage des Musa Dagh
フランツ ヴェルフェル著 福田 幸夫 訳 現代文芸社
同じくアルメニア人ジェノサイドでの実話をもとに、オーストリア人の作家フランツ・ヴェルフェルが記した作品です。
史実によれば、現在のトルコ共和国ハタイ県にあるモーセ山(ムサ・ダグ)の付近には6つのアルメニア人の村がありましたが、アジジアのヴェロンの家族同様、彼らにも国外追放の命令書が届きます。
ところが6村のアルメニア人は命令に背いて、モーセ山に武器を持って立てこもり、レジスタンスとして彼らを捕まえに来るオスマン軍と戦います。
オスマン軍の当初の見込みに反してアルメニア人は善戦を重ねますが、多数に無勢に食料も残り少なくなり、、と追い詰められたところに、籠城開始から53日目、彼らの救難信号旗を見たフランスの軍艦が現れ、迫りくるオスマン軍から彼らを救援します。
生き残っていたアルメニア人は全員がモーセ山から助け出され、エジプトに運ばれました。
「モーセ山の四十日」は、この史実をもとに作者フランツ・ウェルフェルが創作を膨らませ、当時の社会情勢やアルメニア/トルコ人社会などの背景の描写を交えつつ、モーセ山の戦闘終結までを描いています。
奇しくも後のホロコーストにつながるナチス伸張期の1933年ドイツで出版され、当時から国際的に高い評価を受けました。
残念なことに日本語訳は既に絶版となっているのと、上下2段組で総計700ページを超す大作であり、手に取りやすい読み物とは言い難い面もあります。
Translucent Marchenでは、ピスガ山のプロットはこの作品を下敷きにしています。
(3)「西域・シベリア」
加藤 九祚 著 中央公論社
著者:加藤九祚氏はシルクロードやシベリアに関連する著作の多い人類学者です。
この本もまた、大きく「シベリア」「中央アジア」「カフカス」の部に分かれた20あまりのエピソードから成っており、最後の1章でアルメニア人ジェノサイドについて触れられています。
モーセ山の籠城戦について、7ページほどではありますが、簡潔かつ克明に記され、読むものを捉えて離さない緊迫感があります。
残念ながらこちらも絶版となっています。
Translucent Marchenでは、プロローグでこの著作に収録された詩を引用しているのと、ピスガ山のプロットでこの作品を参考にしています。
三作品とも現実の歴史に基づく、ドキュメンタリー性の高い作品ではありますが、
Translucent Marchenはこれらに着想を得た異世界ファンタジーであり、現実の歴史や、関係国/民族の現在について何らかの意見や解釈を示すものではありません。
一方で、歴史は事実だけでなく、今日を生きる私達にとても重い教訓を伝えてくれています。
アルメニア人をはじめ、残虐な犠牲となった人々の冥福を祈るとともに、このような悲劇が繰り返されないことを願わずにはいられません。
戦争の廃絶が、現実にはすべての感染症の撲滅を目指すような困難な夢想であったとしても、多くの人々が平和の価値を重んじ、悲惨な災厄が少しでも減っていく未来を信じています。
Translucent Marchen [1] ぷろとぷらすと @gotaro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます