第39話 世界の失敗作と羚羊の泉

概してつまらない眺めが続いた。

赤茶けた砂礫と、干からびた草。百年も前に枯死したような樹木の残骸。

まだ本物の砂漠ではないと、父は言っていたが、どう違うのか分からない。

まるで世界を作るときに余りが出た材料とか、創造の失敗作を、神様がでたらめに投げ込んで出来た場所のようだった。


そんな中、時折現れるみどりの眺めは、ずいぶん心をなごませてくれた。

何でもない涸れ谷と思って近づいていくと、その谷間に、濃い緑の樹木が枝を広げている。

シュロの木が所々に頭を出し、マットのように繁る下草の間から、わずかな水面がきらきらと光っていた。

稀に、大きな水溜まりのあるような所では、茂みのずっと向こうに、長い角の羚羊レイヨウが姿を見せることもあった。


そういう場所では、谷筋に沿って狭い緑の帯が何キロも続き、

特に大きな、いくつもの水脈が集まるようなところでは、樹林帯が切り開かれて、人間の町になっていた。

鮮やかな青緑のタイルに覆われた塔を見上げる町は、外側から眺める分には美しかったが、建物の間に入ってゆくのは憂鬱だった。


泥で作られた低い家が雑然と並ぶ通りは、埃っぽく、不潔で、特に貧しいというわけでもないようだが、どこか荒んで見えた。

そこに住む人たちの視線まで、険しく意地悪く見えたのも、自分達が忌まわしい難民だからというだけではないだろう。



こんな居心地の悪そうな所に住むぐらいなら、誰もいない、開墾されていない緑地帯に小さな畑でも作って、一人で住むほうがせいせいするだろう。


ふたたび道は荒れ地に戻り、余りにも暇だったせいか、アマリリスは真剣にこの可能性を検討し始めた。

畑仕事を通して、それなりに培われた彼女の目は、沿道をしばらく眺めたあと、この計画が実現不可能と判断した。


全く彼女一人きりで、いんげん豆ととうもろこしでも作って暮らすというなら、或いは可能かもしれない。

しかし、そんな世捨て人のようにではなく、普通に、たとえば彼女の四人の家族で暮らすには、そういった緑地帯は狭すぎるのだ。

広いようで、満足に水が行き渡る面積は意外と少なく、畑を作れるのは緑地帯の3割、2割といったところ。

それでは、一家が食べていくだけの収穫を得ることは出来ない。


よく見れば、現実的に利用可能な緑地帯は例外なく開墾されて畑になっており、手付かずで残されているのは、不便な場所の、人一人分の収穫に満たないような、単に放置された草地だった。


こんな不毛な見捨てられた土地のようでいて、自分達が入り込むような隙はどこにもないのだと気付く。

気ままな逍遥を大目に見てもらえるのは、羚羊レイヨウぐらいのものだった。

羚羊レイヨウでさえ、一頭が生きていくために、いったいどれだけの広さの土地が必要だろう。


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