第31話 優しい闇、狂った世界

「リル。いるのか?」


廊下の方に父の姿があった。

アマリリスは無言で立ち上がった。


「そんなところにいたのか。」


ウェルウィチアはやって来て、彼女の隣に腰かけた。


「ヒルプシムが泣いていたぞ。何かあったのか?」


「べっつに。」


「私たちの話を、聞いてしまったのか?」


「・・・」


「しようがない赤ちゃんだねぇ。」


「やめてよ、赤ちゃんとか言うの。」


「お前はね、幾つになっても赤ちゃんだよ。

おいで。」


ウェルウィチアは娘の手をとって優しく引き寄せた。

アマリリスはふくれっ面のまま、父親の膝の端にちょこんと腰かけた。


二人とも静かで、周囲の物音が良く聞こえた。

水盤にちょろちょろと落ちる樋の水音、あちこちで鳴いている鈴虫、

山から降りてきた、ひんやりとした優しい闇。

全てが失われようとしているとは、とても信じられなかった。


「本当なの?

タマリスクが、私たちを皆殺しにしようとしているなんて。」


「わからん。

本当にやる気なのか、単に戦争の間、私たちをどこか他のところに移したいだけなのか。

今は判断がつかない。」


そんなことはない、心配するなと言って安心させてもらいたかった。


「考えたくないわ、殺されるだとか、追放だとか。

今は、科学と進歩の世紀じゃなかったの? なんでこんなことになっちゃったのよ。」


領土とか国益とか、そういったことの解決のために、人が人と殺し合うような時代では、今はもうないのだと信じたかった。

かつてのウィスタリアがそうだったように、勝利か、敗北か、その2つしかなかった何千年の後に、やっと人間は平和を発明したー、その価値に気付いたはずではなかったのか。


しかしここ2ヶ月で見聞きすることの総てが、その、尊いはずの信念に反している。アマリリスの心安らぐものを裏切っている。


世界は明らかに狂っている。


「狂った世界に踊らされてはいけない、嘆いたところで何も始まらない。

かといって逆らってもいけない。

どれも、長生きは出来ない。命に到る道は細いんだよ。

生き延びるためには、ひたすら冷静に、世界のありさまを読み切るんだ。

油断して目を離した者、世界の残酷さを見かねて目を背けた者、

理由はどうあれ、世界の潮目を読み誤ったものに、濁流だくりゅうは容赦なく襲いかかり、飲みこんでしまう。」


「自信がないわ。。。」


アマリリスは心底恐くなった。


「大丈夫、お前ももう、赤ちゃんじゃないんだ。

お前なら出来るさ。生き延びて、この狂った世界を、元に取り戻してくれ。」


父親はそう言ってアマリリスの頭を撫で、家の中に戻っていった。

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