第15話 災厄の美女
アマリリスは、歌を歌うのはどちらかと言えばへたくそな部類だった。
音痴か美声かという以前に、歌声にまるで張りがなく、そうなると低めでややハスキーな声は、まず人の耳に届かなかった。
不思議なことだった。本人はにこにこ楽しそうに歌っているのだし、普段の強気で口の達者な性格からすれば、もう少し何とかなりそうなものだが。
特に楽器の伴奏やコーラスに合わせて歌うのは苦手らしく、頼りなくぼそぼそしゃべるような声は、歌詞やメロディーの楽しさをまるで伝えてこなかった。
しかし、一人で、気の向くままに歌う分には、つたないながら、それなりに味わいのある歌声と言えたかもしれない。
少女たちはしばらく、珍しい鳥のさえずりを聞くように耳を傾けていたが、5番まである、古い童謡の単調なメロディーの続くうちに、やがて元のおしゃべりに戻っていった。
日が傾き、祝宴はこれからが本番だった。
若い娘たちの議論も佳境を迎えていた。
「そういえばリルのお兄ちゃんの時はどうだったの?・・・ってちょっと、そのシャンシャンやるのやめてよ。」
「え?」
蜂蜜味のハルヴァをかじりながら、一心不乱にサンダルに付いた鈴を爪で弾いていたアマリリスが、寝起きのような声で応じた。
「だから、ヘリオット兄さんと奥さんって最初はどうだったのって」
「ごめん、聞いてなかった。
あのばか女が何て?」
アマリリスのはとこにあたる、しゃくなげ色の紅を引いた娘はため息をついて、
彼女の右隣にいる、ひときわ着飾った娘が6月に結婚を控えていること、
農村の娘は大抵そうだが、親同士の決めた結婚で、本人同士はこれまで時候の挨拶と婚約の定型文以外の相手の声を聞いていないこと、
その引き合わせからは、相手の人柄、心のうち、そして二人の未来について膨大な組み合わせの可能性が考えられ、一同途方にくれていること、、
等々、両の手に余る脱線を交えつつ説明するうちにも、アマリリスは今度は、薄絹のヴェールに縫い留められたビーズを爪で剥がしにかかる始末だった。
「結婚してから、相性が合わなかったとかサイヤクじゃない。
リルの兄さんと、奥さんも別れちゃったんでしょ。
何が原因だったの?」
「知んない。
旦那の妹があんまりにも美人で、ブスが嫉妬したんじゃないの。」
一同沈黙してアマリリスの顔を眺めた。
実際には、ヘリオトロープの妻は、充分に美人と言える女性だった。
それが十人並みに見えるほどの美しさも、そう言われ続けて育つことも 、実際考えものだった。
「んなこと聞いたって、参考になりゃしないわよ。
だいたい、自分でもどうしていいか分かんないとか言ってるのに、人に聞いて答えが出てくるわけないじゃない。
今考えなくても、結婚すればイヤでも分かるでしょ。」
「分かってないなぁ。」
「何を。」
返事がなかった。
誰もあえて言わなかったが、こうして、ああでもこうでもないと言い合うこと自体が楽しいのだから。
「リルはまだコドモだからねぇ、仕方ないか。」
「はぁ? 何て?」
アマリリスは険のある声で気色ばみ、相手は苦笑いを浮かべて黙ってしまった。
興味を失って、アマリリスは猫の毛繕いのような仕草に戻っていた。
今度は、ドレスの袖口に施された、色鮮やかな刺繍を指でなぞっていった。
4色の糸が使われた、狼のような牙を持つ頭と、鷲のような翼を持つ異形の獣の図柄にたどり着いたとき、何かを思い出したように、はっと顔をあげた。
春の大地にたなびく淡いすみれ色のかすみの彼方、まるで空中に浮かんでいるように見える、遠い山脈の氷河が、夕暮れの光に、オレンジ色から深い紫に染まっていた。
同じ光を受けて、アマリリスのみどり色の瞳も、今は金色に照り映えていた。
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