第2話 とある国の終焉②

「ザバエ、戻って、戻ってお父様たちをお助けしないと!」


 戻ろうとする私の手をザバエが離してくれない。必死に振りほどこうとしても、彼の腕力にびくともしない。


「姫様なりません。あの場は既に戦場と化している可能性があります」

「だからです!!」


 あの場が戦場となればお父様たちの命が。


「今からでも間に合う筈です。逃げるのならば皆を連れて」


 私は戻りたい。みんなと、お父様やお母様と一緒に居たい。


「それは出来ません。今は、今だけは全てを飲み込んで自分と一緒に御逃げください」


 なのにどうして、どうして貴方が邪魔をするの。


 この国で誰よりも強く、誰よりも私たちを守ってくれた貴方が、どうしてみんなを見捨ててここにいるの。

 私は憤を露わにザバエを睨む。


「出来る筈がありません!! お父様やお母様、皆を見捨てることなど私には・・・・」

「これが今できる最善なのです」


 叫ぶ私の言葉にザバエはおくびも出さずにそれが当たり前だと答える。


 何を、言っているの!?


 その騎士団長の姿に私は益々怒りを込み上げた。


「・・・・最善?! これが最善だと・・・・・・・・お父様たちをおいて・・・・私たちだけ逃げ出すのが間違っていないと貴方はそう言うのですか!」


 私はザバエに詰め寄った。私よりも頭五つ分くらい大きいザバエを睨み見上げ、許せない言葉に憤りと悔しさを喚きに変えた。


 ザバエが私の瞳を真直ぐ見据える。


「馬鹿な事を言わないで。ザバエがここに居て何が最善ですか! この国最高峰の騎士団長である貴方が戦わずして、どうして最善などと言えるのですか。貴方が守らなくてはならないのは国のはず、大公であるお父様を守らずに何が騎士ですか!」


 そうよ、お父様が居なければ国が成り立たなくなってしまう。この国を思うのであれば誰よりもお父様をお守りしなくてはいけないのよ。


 それなのにどうして貴方は・・・・・・・。


 怒りに拳を握る。


「申し訳ありません、姫様」


 平坦な口調でそう言うと、ザバエが強引に私の手を引いて歩き出した。


「ザバエ、止まりなさい。止まって!」


 ザバエは私の言葉など聞こえないかのように進んでいく。私の抵抗など何の意味も無いと引き摺られるように連れていかれる。


「どうして・・・・・ザバエ・・・・・お願い」


 もう視界には入らなくなってしまった宮殿への入り口。石廊の地下の道を照らす魔光石の光が、私たちが通り過ぎるとどんどん消えていき、来た道が闇にのまれていく。


 まるで私の世界が消されていくかのように。


 無くなってしまうかのように。


 そんなのは・・・・・・嫌よ。


 お父様が、お母様が、皆が私からいなくなるなんて嫌だ。民が傷つくのも、国が壊されてしまうのも嫌だ。


 どうしてこんなことに。



 何で?



 何で・・・・・・・・・。




 私だけ逃げているの?




 この原因は何?




 原因は・・・・・・・・・・・・私。




 私が・・・・・・ことを拒んだから。




 その所為で皆が、国が、壊されていく。




 ・・・・・・・・・だったら。


 


「私が王国に行けば皆が助かる・・・・・・」


 


 争いの原因が私ならば、私が従えばこの戦争だって終わりになる。私が宮殿に戻って王国に行くと伝えればお父様たちが助けられる。



 ならば・・・・それならば。



 私が犠牲になればいい。



 そうすれば・・・・・・・・・皆を助けられるのだから。



 だから。



「私を王国に差し出せば・・・・」



 それでこんな酷い事を終わりに出来る。


 そう言いだそうとしたら。




『馬鹿な事を言うなぁぁぁぁ!!』

「・・・っ!!」



 耳がさけてしまいそうな怒声が石造りの狭い通路に響き渡った。


 まるで感情をそのまま表したようにビリビリと空気が震える。その激しい怒りの声に驚き私は息を呑んだ。


 立ち止まる目の前の壁のように大きな背中。

 その背中は小刻みに震えていた。


「・・・・ザ、ザバエ?」


 聞いたことも無いザバエの怒声に身を竦ませる。


「貴方はこの国の何を見て、何を聞いて、何を感じてきた。陛下がどんな思いでこうしたのかも分からずに軽はずみな事を口にするなぁ!!」


 激流の如く感情を露わにするザバエ。こんなザバエは今まで見た事など無い。


 何時でも優しく、正しく、真直ぐな騎士。そんな彼は怒りに震え目を血走らせていた。


 私の胸にズシリと重いものが圧し掛かってきたように締め付けられる。


 彼は怒っていた。私が彼を、怒らせた。


 どうして?・・・・・・・それすらも分からず、私はただ怒りを露わにするザバエに狼狽えることしかできなかった。


「・・・・・・・あの」


 少しだけ私はザバエを怖いと思ってしまった。


「っ!・・・・・・も、申し訳ございません、姫様」


 怯えた私に気が付いたザバエは、その場に平伏し謝罪の言葉を口にする。


「ですが、そのお言葉だけは口にしないでいただきたい。それは残ったもの、犠牲になった者たちへの侮辱となりますから」

「っ!・・・・・侮辱など、そんなつもりは・・・・・・それにどうしてそれが侮辱になるなど」


 ザバエが立ち上がる。血走っていた目はいつもの優しいものに変わっていた。


「我らが戦う理由が姫様だからでございます。姫様を王国、いえ全ての悪意からお守りすること、それこそが使命だからです。陛下が、大公妃様が、そして皆が貴方様をお守りするために自らその命をかける、その意味をどうか否定なさらないでください」

「でも・・・・・・私一人なんかの為に皆が、国が・・・・」


 諭すような優しい声。でも私はそれを受け入れられない。


「たかが大公の娘の為にどうしてそこまでの犠牲が必要なの! おかしい、おかしいよこんなの。私が王国に行けばいいだけ、いいだけ、たったそれだけなのにどうしてここまで血を流さないといけないの」


 何時しかボロボロと涙が溢れ出してきていた。取り繕っていた口調も崩れてしまってもとに戻っている。


 こんなの私が我慢をすれば済むことなのに。なのにどうして・・・・・・・。


 もしかしたらザバエは・・・・・・・ただ自分が逃げたいだけなのでは。


 そんなあり得ない考えが過ってしまう。

 

 そんな筈は無い。そんな筈は・・・・・・・だってザバエはこの国の騎士団長なのだから。誰よりも強く誰よりも国の為に尽くしてきた人なのだから。


 けれど今のザバエを見ているとどうしても思ってしまう。


 でも、と。



「姫様・・・・」


 私の涙にザバエは憂いを滲ませる。何時しか私を掴んでいた手が離されていた。


 その時、奥の方に灯りがさしているのが見えた。魔道具の蒼白い灯りでは無く陽の光の明るさ。


 この地下はまるで迷宮のように入り組んでいる。きっと侵入者を阻むように、道順を知っているもの以外が迷うように作られている。


 私一人ではもう戻れない。かといってザバエをもう宛てにすることなんてできない。


 だったら一度外に出られれば。


 お父様とお母様のもとに・・・・。


「・・・・・っ!!姫様!!」


 私は駆け出した。暗がりでつまずきそうになりながらはしたなくドレスを摘まみ上げて必死で走った。ザバエが何かを叫んでいたけど私は振り返りもせずに必死に脚を動かした。


 明るい場所がどんどんと近づいてくる。外だ・・・・。


 別れ際の両親の顔が思いだされる。涙を流し笑顔を向けてくれた両親の顔が。


「・・・・待っていて」


 私が行けばきっとこの戦争は終わる。そう信じて私は走った。そしてとうとう出口に差し掛かり・・・・・・・・。





「おんやぁ、鼠が一匹」




「え?」




 視界いっぱいに広がった光の中に聞いた事の無い男の声と共に大きなシルエットが行く手を遮る。


 そのシルエットは上に向かって何か長い物を振り上げていた。


 まるで剣を天に翳す様に。


 


「姫様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」



 一瞬の暗転。


 光で溢れていた私の視界がまた大きな闇で覆いつくされていた。



 え・・・何!?



「うぐっ・・・・・」



 小さな呻き声。


 それは私の真上から聞こえてきた。


 何かが私の額に落ちる。手で拭うとそれは生温かくねっとりとしていたした。


 薄っすらとまた光が差し込んでくる。私を覆っていたものがずれていき、拭った私の手にもその光が届いていく。



「・・・・・・・え?」



 私の手が赤黒く染まっていた。

 それが何なのか分からず茫然と赤い手を見つめる。


「姫様・・・・・お逃げを」


 ザバエの声にハッとする。

 けれどザバエの姿は見えず、声は目の前の闇からのもの。


「ザ、バエ?」


 ずしゃっと重い音がした。

 そして闇が晴れる。


 強い光に目を細める。

 次第にぼんやりと目の前の光景輪郭が浮かび上がり、そして私は何が起きたのかを知る事となった。


 ザバエの大きな体が片膝をついて蹲る。


「・・・・・・え・・・・・・ザバエ?!」


 苦しげに唸るザバエ、その体からドクドクと脈打ち噴き出す・・・・・・血。


「ザ、ザバエ・・・・・ザバエ・・・・」


 私の足もとにまで流れ届く。


 先程まで熱していた頭が急激に冷めていくだけではなく、それこそ全身の熱が奪われたように私の体が震えだす。


「あぁザバエ・・・・・何で・・・・・何でぇ」


 私は大事な物が溢れていくのを防ぐ様にザバエのを手で押さえる。

 だが意味が無いとばかりに手は一瞬で真っ赤になる。


「ザバエ・・・・ザバエの、腕が・・・・」


 ダラリと下がったザバエの左腕、その上腕部分は今にも千切れ落ちてしまいそうなほど切り裂かれていた。

 その余りの凄惨な傷に私は恐怖に呼吸が乱れる。


「おいおい、一人かと思ったらもう一人居たのかよ。まぁ勝手に斬られてくれたから楽で良かったけどよぉ」


 その恐怖を更に増幅させたのは嘲た声だった。それは先ほども耳に入ってきた知らない男の声。


「・・・・・・っ!?」


 恐る恐る目を上げる。

 そこには地下道の出口があった。そして逆光に陰る人物の姿。


 不審な人物が持っている長い棒から雫が滴る。


 ・・・・剣!?


 それだけで何がザバエに起きたのか察するのには十分だった。


「こんな所に怪しい穴があるから変だと思っていたら、まさか人が出てくるとはなぁ。お前ら公国の奴らか?」


 男が近づいてくる。

 だけど私はただ茫然とすることしかできなかった。


「んで、誰ですか・・・・・・・うへぇ。何、こいつ!?」


 男が私を覗き込むと一瞬驚きみを引くと直ぐに口が大きく弧を描いた。

 その下卑た不快な笑みに私は恐怖心で身を竦ませる。


 そんあ無防備な私に男の手が伸びる。


「・・・・・い、いや」


 私はなす術もなく男に腕を掴まれた。


「おら、ちっとこっちにこいよ」


 そして強引に引きずられ地下道の外へと出ていく。


 外にでるとそこには更に数人の人影があった。


「見てみろよ、こいつ。糞みていにぶっ飛んだ美人だぞ」


 知性を感じない言を吐いた男は私の顎を掴むと力任せに上向かせる。


 何の抵抗も出来ない。唯一自分でできた事といえば涙を流すことだけ。恐怖に怯え縮こまるだけ。



 怖い・・・・・怖い・・・・・誰か、助けて・・・・ザバエ。



「うひゃぁ、どえらい美人のお嬢ちゃんだな。ちょっと幼いけど、そこがまたそそる」

「おい、そいつ皆で食うんだろ。ちゃんと回せよな」

「その身なりは貴族か? うはははは、貴族の嬢ちゃんをいじめるなんて、さいっこうに興奮すんじゃねぇか」


 男達の口々から信じがたい言葉が次々と出てきた。


 ニタニタと笑う男達。そのあまりにも下衆な顔に嫌悪で全身に鳥肌が立つ。余りの恐怖に脚から力が抜けていく。だけど私は倒れる事すらできない。男に顔を掴まれ無理矢理立たされる。


「戦争なんざに駆り出されてむしゃくしゃしてたけどよぉ。こいつはとんだ追加報酬を手に入れたってもんだ」

「あぁ、マジだな。今まで見た女の中で飛び抜けて別嬪じゃなぇか、こいつ」

「俺なんて一瞬人間かどうか疑っちまったぜ」

「あ? 噂の精霊様ってか? ぎゃははははは、もしかしたらそうかもしれねぇぞ」


 男達が私の顔をから体全身を吟味するように見てくる。その視線を感じるだけで言いようのない嫌悪感に襲われる。


 この人たちはきっと王国の兵。


「あ、でもちょっと待てよ。もしかして、こいつって王子が言っていた公女なんじゃねぇか? ほれこの髪を見ろよ。見た事のねえ銀色の髪じゃねぇか?」


 その言葉にびくりと肩が跳ねた。


 全員の視線が私に向けられる。


「あぁ? 確かに・・・・そういえば姫様とかって言ってなかったか? じゃあ何か、こいつが王子が結婚申し込んでふられたって言う。それならそれで傑作じゃねぇか。戦争してまで手に入れようとした女だろう。それを俺たちが先に食っちまうなんて、あのにいい仕返しができるってっもんだろ」

「言えてるわぁ」

「何なら俺らがこのまま内緒で連れ帰ってよ、専属の性奴隷にでもしちまえばいいんじゃね?」

「おぉ、それ最高だな」


 何を言っているのこの人たちは・・・・・。


 王国の兵でありながらも私を国に差し出すわけでもなく、自分のものにしようとしている。


 男達の会話に全身が震える。このままでは私は・・・・・・戦争を終らせることも出来ずに、唯の男たちの慰み者にされてしまう?!


 い、いや・・・・・・そんなのは嫌だ。


 震える喉で縋るように助けを求める。


「・・・・精霊よ」


 だけど


 どうして現れてくれないの。


 私はそのことに悔しさで唇を噛んだ。


「あん? 何だ、神頼みか? 悪ぃがそんな事をしても逃げらんねぇぞ、なぁ」


 男の私の服を掴んだ。



 ビリッ!



 男の手には破れた布が風で流れていた。そして肩口から胸の上までに今まで感じる事の無かった空気の冷たさが直に当たる。


 目に映る肌色。


 私の服が男によって破られていた。


「・・・・・・・・いやあぁぁぁ!」


 叫び声を上げる。

 それは無情にも男どもを喜ばせるだけで、誰の助けも入らない。


 これから起こる自分の身の哀れさと、悔しさ、理不尽な状況への怒りと絶望、それらが混ざりあったどうにもならない感情が涙となって流れ落ちる。


 男の手が再度私の服をはぎ取ろうと伸びてくる。


 私は目を瞑ってに届く事の無い助けを願っていた。


 


「はひゅ」




 聞きなれない不思議な音が聞こえた。


 恐る恐る目を開ける。


 私を押さえつけていた男はガタガタと震え、恐ろしい程目を見開いている。それと同時に目に映った違和感。

 男の胸からスラリと延びる銀色の鋼。それが男の胸の中に吸い込まれ消えていった。


 男は目を見開いたまま後ろへと倒れていく。

 捕まれていた手が解放され、私は崩れるようにしてその場に座り込んだ。


「・・・・・姫様、には・・・・・手出しさせん」


 まるでの亡者ような声。絞り出したような低い声。


 だけど不思議と猛々しく、そして安心感があふれてくる声。


「・・・・・ザ、バエ」


 それは光明に照らし出される希望の影。見慣れた私を守ってくれる大きな背中。それが私の前に立っていた。




 でも・・・・・・・でも・・・・・・・。




「駄目・・・・ザバエ・・・・死んじゃう」


 彼の左腕からはボトボトと血が流れ出ている。

 千切れかけた腕がまるでぶら下げられた装飾品のようにザバエの体とは別なものとして揺れている。

 目を覆いたくなる痛々しさ。

 とても動けるような状態とは思えない。


 蒼褪める私にザバエが振りかえる。


「姫様の為なら至極光栄であります」


 そして無骨でぎこちない笑みをこぼすと、優しくもとても残酷な言葉を血の気が失せ青くなった口で告げる。


 それが私には別れの言葉に聞こえた。


「ま・・」

「し、死にかけがいきがってんじゃねぇぇ!」


 私が言葉を発するよりも早く男たちがザバエへと襲い掛かった。

 頭上に振り上げられた刃こぼれした刃が落ちる。けれどザバエは躱すでもなく手にしている剣で受けるでもなく、さも当然のようにそれを自身の肩で受け止めてる。


 鎧が軋み割れ肩の半分ほどまで刃が食い込む。そこからまた大量に血が流れ出る。


 だけどザバエはそれを意に返す様子も無く、自らの剣を横薙ぎに振るった。



 男の首を一直線に。



 漏れ出す空気の音と噴き出す血飛沫がザバエに降りかかり、斬られた男のだらりと頭がずり落ち倒れる。


 それはあまりに無情で無慈悲な光景。戦争状態と言えど私は人の死ぬさまを見たことは無かった。人の死を初めて目の当たりに私は悲鳴すら上げることが出来ず、茫然と転がる男の頭を目で追いかけていた。


 その間にまた一人が両手で剣を前に突き出してザバエに突進する。


 それもザバエは避けるとこもせず体で受け止めた。まるで自分が盾であるかのように当然と私の前に立ちはだかる。


 ザバエは先程からその場を一歩たりとも動いていない。



 ・・・・やめてよ・・・・・・・・お願い。



 私は首を左右に振る。濡れた瞳に視界が霞んでいく。


 ぼやける視界でも分かるザバエの背中から突き出る突起物。赤黒と銀が混ざり合う鉄の刃。

 襲い掛かる男の凶刃がザバエの身体を貫いている。


 もうどこが傷を受けたのか分からない程真っ赤に染まるザバエの体。


 それでもザバエは微動だにしない。呻き声の一つも上げない。ただ憮然と私の前に立つ。何者も通さないとその身で立ち塞がる。


 公国最高の護り手はその体全てで私を守ってくれている。



 どうして私はあんなことを・・・・・ザバエが逃げ出したいがためなどと思ったのか。


 ザバエはこんなにも傷つき私を守っているというのに。




 ・・・・やめて・・・・・・もう、もうやめて。




 ザバエは男を抑え込み、脇腹に剣を突き刺す。

 

 斬られても刺されても立ち続けるザバエ。最後に残った男は信じがたいものを見たかのように、色濃い恐怖に目を見開く。


 男は踵を返した。そして背を向け逃げ出した。


 その瞬間、微動だにしなかったザバエが男へと駆け出した。この時の為に蓄えていた力を一気に開放するかのように。


 ザバエは一瞬にして逃げる男の背後へと迫ると剣を振り下ろした。鮮やかな銀色の軌跡が宙に描かれる。


 肩から臀部までを一刀の下に斬り裂いていく。


 私たちを襲った男たちが全て地に伏せた。


 そして力尽きたようにザバエの両膝が折れ地面につく。


「・・・・ザバエ、あう」


 私は駆け寄ろうとしてその場で無様に転んでしまう。脚が思うように動いてくれない。それでも両手で地面を這いつくばって進む。ザバエへの元へと身体を引き摺る。


「ザバエ、ザバエ」


 私は彼の名を連呼する。それ以外言葉を無くしたかのように呼び続ける。


 脚が擦りむけた。腕も石で切ってしまったのか血が滲んでいた。でもそんなことはどうでもよかった。ザバエへの近くに行きたくて、その一心に地面を手で掴んで体を引きずる。


「姫、様・・・・」


 ザバエが穏やかな声で私を呼んだ。


「ザバエ・・・・・ごめん、なさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


 まだ離れているザバエに私は涙を流し謝罪を口にする。

 彼の血に濡れた姿に私は大きな後悔と尽くしがたい罪悪感に締め付けられる。


「申し訳ありま・・・・せん・・・・・・・姫様」

「駄目・・・・ザバエ・・・・・傷が、傷が塞がらないの」


 私がザバエにすり寄りザバエの背中を両手で押さえつける。でも指の間からとめどなく流れる血は全く止まらない。ザバエの脈打ちと一緒にドクリドクリと命が漏れ出す。


 私を救ってくれた騎士団長は振り向きつつ口を開く。


「最後まで、お守りできず・・・・・・役目を全うできずに、騎士の恥をさらす事・・・・・お許しください」

「・・・・・・そんな、違う・・・・ザバエは・・・・」


 焦点の定まっていないザバエの瞳。その瞳は私を真直ぐ捉えているのにまるで私の事など映っていないかのよう。


 聞きたくない、そんな言葉は聞きたくない。


「お願い、置いて行かないで・・・・私を一人にしないで」


 繋ぎ止めたい。もう誰も私から離れていかないように、私の前からいなくならないように。


 ザバエの顔からまるで吸い取られていくように急速に色が抜け落ちていく。


 溢れる血を必死でせき止めている私の腕をザバエがそっとつかみ取る。


「ザバエ、駄目・・・・ザバエ」 

「姫様・・・・どうかお聞き・・・・ください」

「ザバエ、もう喋らないで・・・・このままじゃ・・・・」

「ノーティリカ公国はリーンフォルデン王国に敗北しました」

「・・・・・っ」


 国が敗北した・・・・その絶望的な言葉に私の身が大きく引き裂かれたような痛みが走った。状況的な事は理解している、でも騎士団長であるザバエの口から告げられるとその現実味は大きく増していく。いつの間にか噛んでいた唇から鉄臭さが口の中に広がっていく。


 公国に、私の大好きな祖国に攻め込んできた王国の兵。奴らの進軍に我が国の兵士たちは一方的に蹂躙されてきた。

 たった二十日あまりであっと言う間に。


 その原因は分かっている。



「・・・・・・・・・・・・」



 精霊と共に栄え、精霊と共に歩んできたノーティリカ公国は、他の国には無い特別な力を持っていた。


 精霊術。


 それは魔法とはまた違う自然改変の力。精霊の御霊に願い、霊力を借りて事象を起こす。魔法陣も詠唱もいらない強力な力。


 だけどこの使


 兵士は狼狽え、困惑し、指揮も乱れ軍は崩れてしまった。私たちの最大の切り札がよりによって一番必要な時に裏切ったのだ。

 その所為で・・・・・精霊が私たちを裏切った所為で、お父様とお母様が、それにザバエがこんなに・・・・。


 精霊術さえ使えていればザバエがこんなに傷つくことも無かったのに。


 信じていたものに裏切られ全てが私の手から流れ出ていく。


 悔しさに涙が止まらない。怒りの強さに胸が苦しい。


 私の中でどす黒い感情が渦を巻く。


「姫様・・・・それは・・・・・違います。精霊様は・・・・・・ぁる・・・・・・ば・・・・・・・・・・くが・・・・・・・・」


 何かを必死に訴えかけてくる。だけどザバエの口から出るのはまともな言葉ででは無く赤黒い血。ゴポリと吐き出された血が、彼の鎧を汚していく。


「もう、もういいよ。ザバエ・・・・・お願いじっとしていて」


 ザバエを押さえる手に伝わる血の生温かさ、だけど代わりにザバエの身体はどんどんと冷たくなっていく。まるでそれはザバエの命そのものが、急速に冷えてなくなっていくように思えた。


 公国の護り手である騎士団の最高責任者。

 私が生まれたときからザバエはもうその地位にいた。でも私はザバエが戦う様を見たことは無い。訓練をしている所は見ても本気で戦っている所は見たことが無い。私にとってザバエは優しい頼れる年の離れた兄のように思っていた。いっつも私を守る様に立っている大きな背中が大好きだった。



 

 そのザバエが居なくなってしまう。




 ザバエも





 ・・・・・嫌・・・・・・・・嫌だ。





 もう私から何も奪わないで!





 皆、私を措いて行かないで!





 私の大切なものを壊していく、王国と・・・・・・精霊なんて嫌いだ!





 苦しさに胸を押さえる。強烈な吐き気が急に込み上げる。


 気が狂いそうだ。


 何もかもがもう嫌になってくる。



 こんな事ならいっそ・・・・・。




「・・・・もう死にたい」




 思わず諦めの言葉が口から洩れた時、頬に触れる一つ感触。


「・・・・・ザバエ」


 ザバエの手がそっと私の頬に添えられていた。


 先程まで苦しそうで消え入りそうだった表情が、今は依然と同じような安心感のある笑顔を私に向けていた。




「姫様に・・・・そんな顔は似合いま・・・せん」


 彼の短く切りそろえたが風に揺れる。


「自分は・・・・・貴方様の温かい笑顔が・・・・・・・すき・・・・でした」


 風からは死の臭いがした。


 その風がザバエの髪を撫でていく。


「姫様に・・・・・・・・その、ような・・・・顔をさせるなど・・・・自分は、騎士・・・・・失格ですね」

「・・・・違う・・・・・そんなこと無はありません」


 どうしてだろう。その時私は分かってしまった。



 あぁ、ザバエは死ぬのね、と。



 あれだけ否定していたというのに、何故だか当然のようにそう思ってしまった。


 だから私は口にした。


 お別れとなる言葉を、彼への賛辞として。




「貴方は・・・・・私のです」

 



 少し驚き、そして寂しそうにザバエが笑った。




 彼はそのまま深い眠りへと旅立って行ってしまった。





「ザ、バエ・・・・・・」




 名を呼んでみる。


 何も返ってこない。


 開いたままの彼の瞳にはもう私は映っていない。



「・・・・・あ・・・・・あぁ」



 私は天を仰ぐ。


 せめてこの恨みと悲しみが何もしてくれない女神へと聞こえる様に。


 この不遇で不条理な世界がどれだけ苦しいのかを知ってもらうために。




「ああああああぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁ・・・・・・・・・・・・・」



 私の慟哭がその一矢として突き刺さる様に。








 ここにどれくらいいたのだろう。

 もう既に日は傾き、あたりが薄暗くなってきていた。


 埋葬することも出来ない英雄の亡骸の隣でただ茫然としていた。


 夜鳴鳥が声を上げている。それは夜が訪れる森の知らせ。そう教えてくれたのはザバエだった。


 このまま夜を迎えたらきっと魔物が現れる。ここは余りにも血の臭いが充満しすぎているから。


 そう分かっていても私は動くことが出来なかった。意思を無くした人形のようにその場にうずくまって留まる事しか出来ない。徐々に色を無くしていく森を茫然と見つめている。


 周囲が完全に暗くなった。


 そんな時だった。


 森の奥から赤々とした光が見えた。


 揺らめき明滅する光は森の奥で広範囲に広がっている。


 私はそれまで立ち上がることが出来なかったのが嘘のように、いつの間にか立ち上がり灯りの方へと歩き出していた。


 まるで吸い寄せられたかのように。


 灯りの方へ真直ぐに。


 暗い森を手で探りながら。


 赤い灯りが徐々に大きくなってくる。それと同じく熱気が増して行く。


 少し小高い丘に出た。


 

 そして私は目にする。


 絶望が大きくうねりを揺らめく様を。




「・・・・・街が・・・・・・・宮殿が・・・・・」


 

 眼下に広がる炎の濁流。暗い夜空が愛しの王都の真上だけを赤く染め上げている。


 炎に包まれる公都。



「お父様、お母様・・・・・・みんな・・・・・」



 身体が膝から崩れる。



 これは・・・・・何の報いなのか。



 どうしてこのような仕打ちをされないといけないのか。



「私がぁ・・・・私たちが何をしたのぉ!」



 憎い。


 私から全てを奪ったリーンフォルデン王国が・・・・・・憎い。



「女神よ!! 私たちが何をしたって言うのですか! こんな慈悲無きことが貴方の意思なのですか、女神よぉぉぉぉ!!」



 これが神の意志なのか、私たちの決められた定めなのか。



 許せない、許さない。



 決して王国を許さない。あの国に復讐できるのであれば私は私の全てを捨ててやる。喜びも楽しみも涙もこの体でさえも、私が持つ全てを捨ててでも償わせてやる!



「ブラッドラック・リーンフォルデン! 必ず私が、お前が欲しがった私の全てをかけて、絶対に・・・・・・・・!!」








 ノーティリカ公国はこの日、長い歴史に幕を下ろす事となった。


 攻め入ったリーンフォルデン王国はノーティリカ公国の大公とその妻をその場で処刑したと発表。戦争の理由として王国に対する攻撃の意志があったからだとしている。

 それは実に戦争を宣言してから六十日足らずの事だった。


 ノーティリカ公国はその後リーンフォルデン王国の属国となり、新たにノーティリカ領として第二王子の側近をしていた、ラファッツェ伯爵の三男が子爵の位を与えられ治める事となった。


 ことの発端となったノーティリカの姫、ステルフィア・アーデヒト・ティル・ノーティリカは行方をくらませ、王国が彼女を発見することはついに出来なかった。


 奇しくもこの日はステルフィアの十四歳の誕生日でもあった。


 そして世界から精霊の恩恵が完全に消え去ったのもこの時だった。

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