第97話 感じる違和感
【リーンフィルデン第1王子】
「これはどういうことだ!!」
私の憤った怒声は誰もいない部屋に激しく響いた。恐らく扉の外にいる衛兵には聞こえただろうが、だからと言って彼らが勝手に部屋に入ってきたりはしない。
机の上に置かれた報告書に目を通しながら痛む頭を手で支える。そうしないと今にも私は倒れてしまうかもしれない。
何度目を通しても信じがたい出来事に、私は愕然としてしまった。
私がいない間に何があったというのだ!?
報告書の冒頭にはこう記されている。
『第2王子ブラッドラック様の軍がノーティリカ公国王都に進軍陥落占拠しました』
それを見ただけで一気に頭の血が下がっていった。
久しぶりに戻った王城内の様子に違和感を覚え調べさせれば、この様なとんでもないものが出て来るとは。
弟がノーティリカ公国を滅ぼしただと。
その事実に頭の中は真っ白だ。
これは夢では無いのか? こんなことがあり得るのか!?
それがもたらす影響を考えると寒気を通り越して体が凍り付いてしまう。
何時これが動き出した。私はそのような報告など受けていないぞ。進軍だと? 戦争だと? 馬鹿な、どうしてそのような大事が私の耳に入ってきていないのだ。
私はこの国の第1王子であり王太子だと言うのに。
「このような事が何故まかり通る!? 陛下はこれを知っていたのか」
甚だ信じがたく受け入れがたい。もし私の耳に入っていれば何が何でも止めたものを。
自問を繰り返し何度もその報告書を読み返す。だがそれで何が変わる訳でもない。これは一刻も早く対処しなければならない事案だ。こんなことで無駄な時間を過ごすわけにはいかない。
「下手をすれば我が国が滅ぶぞ・・・・」
机の上に置いてある人呼びのベルに手を伸ばす。だが焦りすぎていたのか震える手がうまくベルを掴めずにベルが床に落ちて不格好なくぐもった音を「カリン」と鳴らした。それだけ私は動揺しているらしい。
しかしその音に察しの良い待機していた衛兵が扉をノックする。
「グラディアス様、お呼びでございますか?」
「宰相を呼べ、今すぐにだ!」
隠しきれない苛立ちに私は怒鳴る様に衛兵に告げる。衛兵は平静に「承知いたしました」とその場を離れていった。
私はその衛兵の対応に若干の不自然さを感じながらその背中を見送った。
「失礼いたします。殿下お呼びでしょうか」
数分も待たずして宰相のバッツファが部屋にやってくる。相変わらず暑苦しい姿だが、こ奴はこれでも優秀な王国の家臣ではある。
ただ、私からするば肥え太った腹の中に黒い塊をため込んだ狸にしか思えないのだが。
肉でつぶれてほとんど目が開いていない。見えているのか分からない程細いその目は時折何を考えているのか私ですら読めない。
「バッツファ、お前は知っていたのか? いったいどうなっている」
苛立ちに書類を机にたたきつけるが、宰相の奴は特に気にした様子もなく細い目が弧を描き、弛んだ腹で前が閉まられなくなってる上着を引っ張りながら然も当然とばかりに「当然存じております。内容は、そうですね、その報告書に書いてあるそのままの通りでございます、はい」と答えた。
「何? いったいどういうつもりだ」
「いやはやブラッドラック殿下は素晴らしい戦果をお上げになられました。さぞかし陛下もご満足の事でしょう」
「と言うことは、これはやはり弟が指揮をとっていたと?」
「さようでございます、はい」
宰相は満足げに首を振り、弟がしでかした事を素晴らしいと褒め称える。それだけでも頭痛で発狂しそうになるのだが、父上も、陛下も知っているとこやつは言った。
いや、当然か。軍が動いているんだ知らない筈がない。それに陛下は宰相が良しとしたことを覆すはずも無い、か・・・・・・。
狂ってやがる。
とても正気で言っているとは思えない。
「馬鹿を言うなよ。ノーティリカ公国に対しては我が国と周辺国家は不可侵条約を結んでいるのだぞ。それを破り捨てて攻め入ったのだぞ。これが他国に知れ渡れば、かの国が保有している精霊の加護を我が国が略取したとみなして攻めこまれる可能性すら・・・・・いや、これはもしなどと過程で済む話ではない。確実にそうなるだろうが。それは宰相、お前が一番分かっていることじゃないのか!?」
他の国であれば私もこれほど慌てはしない。だがあの国は拙い。あの国だけは特別だ。
あの国には精霊を束ねる大精霊がいる。大精霊は世界中の精霊たちを使役して自然の摂理をつかさどり、我々に様々な恩恵を与えてくれている存在だ。
そしてその大精霊と唯一心を通わせ、意思疎通することが出来るのがノーティリカ公国の王の血筋だけだと言われている。
大精霊は心を通わせる公国の王族に加護を与え、代わりに公国は大精霊の言葉を世に発信し世界のバランスを整えている。そうした相互関係があの国では成り立っている。
眉唾物だが、ノーティリカの王族には精霊の血が混ざっているとも聞く。故にあの国に手を出すことは精霊を敵に回すということに等しい。
そして精霊の力は絶大だ。もし精霊に敵意を向けられればその土地は涸れ果て、どんな天変地異が起こるか分かったものじゃない。
それだけじゃない。公国の一部の者のみが使用できるという精霊魔法。これは魔術師が使う魔法とは似ていて非なるもの。魔法が事象や現象を動かすのに対して、精霊魔法は自然そのものを動かすと言われている。その力が強ければ強いほど規模は大きくなり、王族ともなれば自然災害と変わらない事が出来るのだという。
だからだ。だからどの国もあの国の扱いには慎重になり、他国にその力が使われないよう互いに牽制しあった結果でこの不可侵条約が結ばれた。
あの国だってそれが分かっているから自分たちから何かをしてくることも無かった、と言うのに。
それを破れば他の国はその国を脅威と見なし徒党を組んで攻めてくる事だってありえるのだぞ。
「だと言うのに如何して進軍を許した」
「それが国に必要と判断したからです、はい」
「必要だと? ならば何故それが私の耳に入っておらぬのだ。ノーティリカ公国に進軍するなど一言も聞いてはおらぬぞ」
「申し訳ございませぬ。殿下はクライベア王国へ表敬訪問中でいらしたので、ご報告が遅れてしまいました、はい。それに殿下がご不在中に事は全て成し終えてしまったものですから」
狸が。
私がクライベアを訪れていた期間ですべてを終えただと?
そんな馬鹿な事があるか。軍を動かすとなればそれこそ準備に時間がかかる。それであれば少なくとも進軍すると決めたのは私が旅に出る前からだったはずだ。
だが・・・・・何だこのずっと付き纏う違和感は。どうにも宰相と話をしていて気持悪さを感じる。
「戯けたことを、それを誰が信じると」
「事実でございますゆえ、わたくしめも殿下にお伝え出来なかったことは痛恨の極みでございます、はい」
飄々と言い返すのはいつもの宰相の語り口だ。だと言うのにどうしてか奴の口から出る言葉が不旋律の様に感じる。
「詭弁だな、ならば問う、弟はどうしてあの国を攻めた?」
不可侵条約は政に携わる者であれば誰でも知っていることだ。当然弟も知っている。その結果がどうなるかなんて火を見るより明らかなこと。だと言うのに弟はどうしてこのような暴挙に出たのか分からん。
そんな私の憤りや焦り知ってか知らずか、宰相は事も無げに口を開く。
「一つはノーティリカ公国の第一公女から婚姻を断られ、それが公国の戦意であると判断したためでございます、はい」
「馬鹿げている!!」
その言いぶりに思わず怒声を上げた。
何だそのくだらない理由は、意味が分からない。
ノーティリカの公女に振られたからだと?
確かあの公女はまだ13,4くらい少女だったはず・・・・・・・・いや、分かっている。あの公女が他と比べようのない存在であることも、1度我が国に赴いたとき、弟が彼女を見てどのような感情を抱いたのかも。私もこの目で見てあれほどの奇跡を目にしたことは無いと思ったほどだ。【雪煌の白姫】その名は伊達ではない。
だがそれにしても馬鹿げているではないか。
少女を手に入れるために国を亡ぼすだと?
「ほんとに正気の沙汰とは思えんぞ」
怒りを通り越して呆れてくる。
「もちろんそれだけではございませぬ、はい」
太り過ぎて前のボタンが閉められない上着を手で軽き引きながら、宰相はもう一つの理由を話し始める。
「大精霊の加護を我が国の物とする為、血と精霊の御霊を手にする必要があったからですよ、はい」
細い眼を僅かに開いた宰相は嫌悪感を抱かせる笑みを浮かべていた。
事のあらましを聞き終え、宰相を退室させまた1人となった部屋で、組んだ両手の上に顎を乗せ溜息を吐く。
これは一体誰の
弟か?
いや、あいつはそんな度胸も頭脳も持ち合わせていない。
あいつが幼い公女が欲しがった、それは間違いない事実なのだろう。あの馬鹿の女癖の悪さを考えればそれくらいの性癖があっても不思議ではない。
奴の正妻であるミレッタも良く我慢をしているものだ。
なら陛下が・・・・・・いやそれも無いだろう。我が父親ながら王としての器はそこが知れている。唯のお飾りに据えられた傀儡な愚王でしかない陛下は、自らこのような大それたことをしでかしてくるとは思えない。
それであれば宰相や大臣か?
無くも無い、だがそれもしっくりとこない。
今回は軍が動いている。
軍が動くとなれば当然将軍が関わっているはずだ。将軍のダルマンと宰相のバッツファは仲が悪い。それであれば私が気付かない程スムーズに事を運べるとは思えない。幾ら腹黒の宰相とてダルマンを自由に動かすことは出来ないだろう。
であればその上・・・・・やはり王族、陛下や弟でなければだれが・・・・妹? それこそあり得ないだろ。
くそっ、どうなってんだ。
それよりもだ。
やはりしっくりとこない。
どこかおかしく感じてしまう。宰相も衛兵も。
・・・・・違うな、私がここに戻って来てから王城内の全てがどうにもおかしい。だがそれが何かが全く分からない。分からないだけにその不自然さがやけに臭って仕方が無い。
だがそれよりも今のこの最悪な状況をどうにかしないといけない。
実質ノーティリカ公国を占拠したことで他国が攻めてくるのはほぼ決まりだろう。そうなるとどこかで落としどころを作っておかなければこの国が滅ぶ未来しか見えてこない。
それを宰相も他の家臣たちも、それこそ陛下ですら不安に思っていない様子だ。
何か他国が攻めてこない確証があるのか、或いは他の何かなのか。確か大精霊を手に入れると言っていたか。それが可能なのは王族の確保と懐柔だろうか。だが実質このやり方で聡明な大公家が従うはずもない。
何れにせよだ。状況を見守るほど私も暢気ではない。私は私で今打てる手を考えなければならないだろう。
「・・・・・・確か宰相の話では発端となった公女は逃げたと言っていたな」
それであれば公女をこちらで保護して賠償と国を戻すことである程度の折り合いを付けられないだろうか?
いや虫が良すぎる筋書きだなそれは。
だがこまねいている訳にもいかない。公女が馬鹿な弟に害されでもしたらそれこそ収拾を付けることは出来なくなるだろう。
「だったら私が先に公女を探し出すしかない、か」
これ以上傷を深くすることは出来ない。
これからの事に頭を巡らせる。考えれば考えるだけ頭痛となって私の気力を貪り食っていく。
「しかしどうやった。あの国には精霊魔法使いが、何より大精霊がいたのだぞ。こんな短期間で落とせるような軟な国ではない筈だ」
どうして攻め入ったのか、おそらくはこの短期間で公国を攻め落とすことが出来たこと、その事が何か関係しているような気がする。
それと私の表敬訪問。これもおそらく仕組まれた予定だったのだろう。どう考えてもタイミングが良すぎる。誰かがノーティリカ公国を、精霊の力を手にするために、邪魔になりそうな私を遠ざけたとしか思えない。
誰がこんなことを考えた。
この手際の良さや諸侯を丸め込んだ手腕は恐ろしいものを感じる。
何にしても公女を保護してからだ。それだけは絶対に死守しなければならない。そして宰相は口にしなかったが大公殿と王妃殿の生死に関しては、一番の目的である公女が捕まらない限り命を奪うことはしないだろうと推測できる。
それであれば大公殿と公女、この二つを同時に探っていくのが得策か。
「ナバック、いるか」
私は誰もいなくなった部屋に向かってそう言う。
「はっ、ここに」
すると黒い衣装を全身にまとった男が突如として現れ、私の前に傅いた。
「お前に調べてもらいたいことがある・・・・・・・」
現れた男にこれから行ってもらう事をあれこれと言い渡した。話を終えるとナバックは最初からここにいなかったかのように忽然と消えていなくなる。
情報はこれで集まってくるだろう。
私は椅子の背もたれに深く寄りかかり目を閉じる。
そして決意する。
誰だか分からないが、私の国でこれ以上好き勝手はさせない、と。
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