第81話 何なのよ
【時は少し戻る・岩陰の少女】
息が持たない。ずっと走って身体ももう限界。
苦しい、苦しいけど・・・・駄目、逃げなきゃ。
後ろを振り返る。
牙を剥き出しに走り追いかける2体の巨獣の姿。私の少し後ろをぴったりと追いかけて来ている。
きっとあれらは私を弄んでいる。
「あっ・・・・っ」
石に脚を取られて転びそうになるのを何とか堪える。
逃げなくちゃ・・・・・でもどこに?
走りながらも必死に辺りを見渡し助かる方法を模索する。だけどここは何もない細い岩道。私は逃げる選択を間違ってしまった。
丘を上るための崖沿いに作られた道は狭くくねり両端を岩の壁と崖に閉ざされている。身を隠すどころか真直ぐ進むしかない一本道。
分かれ道で一目見ただけでこうなると分かっていたのに・・・・・・・どうして私はこちらを選んでしまったの。
自分の愚かさに目尻を強張らせる。
自分でも不思議でならない。どうしてあの時私は・・・・・・。
魔獣と遭遇してしまい逃げる先で現れた分岐の道。その分かれ道を見た瞬間どうしてかこちら側へ進まなければと、得体のしれない何かに引かれた感じが沸き上がった。
一つは森の中、そちらも魔獣に追われている私の身には危険ではあったけど、身を隠すところも躱すための障害物も多くあった。
そしてもう一つはこの切立った崖の道。
その選択肢は明らかだったはず。
それなのにどうして・・・・・・・・分からない。分からないのに・・・・・・何かが私を待っているような、こちらへ進めば大丈夫なような、そんな確信めいた思いがその時はあった。
けれどそれは動転した私の過った判断でしかなかった。この道は魔獣から逃げおおせるにはあまりにも絶望的過ぎる。
でも今はそれを悔やんでいる場合じゃない。
何としても魔獣から逃げて生き延びなくては。
こんなところで私は死ぬわけにはいかない。魔獣の餌になる訳にはいかない。私にはやることがある。やらないといけないことがある。
それを遂げるまでは私は死ねない!
死ぬことは許されない。
空気が行き届かない肺を鼓舞するように、私は服の胸元をぎゅっと握りしめる。死んででも走ってやる!
「ガウッ」
「・・・・っ!」
その私の決意を嘲笑うように、いつの間にか追いついた魔獣が私の直ぐ脇に。餌にありつける喜びに唾液を滴らせ、獰猛な牙が無慈悲にも私へと襲い掛かってくる。
狙ったわけではない。怯えに咄嗟に上半身を屈めた私の上部を寸でのところで魔獣の牙が空を噛む。その際魔獣の体とぶつかった私はバランスを崩しかけるも、両手で地面を掻いて這いながらも必死に前へと体をすすめる。
倒れてしまったらもうお終い。動け、動け!!
脚が千切れそうなくらいに痛い。全身がもうやめたいと悲鳴を上げている。でもそれでも私は生き延びる。生き延びて必ず想いを成し遂げる。
どうやら魔獣も遊びを終わらせる気らしい。どれだけ必死に逃げても瞬く間に魔獣が追い付いてくる。
・・・・もう、駄目。
そう思った時、大きな岩が目に入る。そこには私が何とか入れそうなくらいの裂け目が・・・・。
あそこなら。
最後の力を振り絞り地面を蹴った。岩の裂け目を目掛けて飛び込む。魔獣もさせまいと大きく跳躍し私に襲い掛かってくる。
「・・・・うぐっ!!」
・・・・駄目、だった。
そう思った矢先、私の頭と背中に打ち付ける激痛が走る。そして狭まる視界から魔獣の姿が遠のいていく。
ハッと我に返り辺りを見れば、そこは岩の切れ目の中だった。魔獣はその入り口で悔し気に咆哮を上げる。私は無我夢中で奥へ奥へと這って進んだ。
奥まで進みこれで助かったと振り返った。
「・・・・・きゃあぁぁぁぁぁ!」
だけどその安堵は直ぐに消え去ることになった。
眼前で大きな牙がガチリと合わさる。腐敗した魚の様な匂いの生温かな息が私の前髪を揺らす。
獣の頭がすぐそこに。岩の裂け目にねじ込んできていた。
私は恐怖と戦慄に悲鳴を上げた。
痛む脚で裂け目の更に奥へとズリズリと後ずさる。少しでも遠くへ、少しでも離れようと地べたを這いずり、服や肌が擦れ傷つくことなど一切気にもせずに。
切れ目の最奥。そこにたどり着き恐る恐る振り返った。魔獣は入り口付近からはそれ以上入り込めていなかった。
岩を爪で掻く音が響く度に私は不安と恐怖に身を震わせた。
ここでも駄目・・・・・長くは持ちそうにない。
徐々に削れていく岩肌。如何に魔獣という存在が恐ろしいものなのかをまざまざと思い知らされる。
「何とかしなければ」
焦燥と恐怖と疲労に、私は震わせた声でそう呟く。
「殺さ・・・・なければ・・・・・・殺さなければ・・・・・・・・・殺さなければ」
私の邪魔をする奴は許さない。私から奪おうとするやつは全て殺してやる。
「精霊よ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・。
だけど結局は何も起こらない、何もできない。
どれだけ悔しくとも、どれだけ憎くても、今の私は唯の無力な小娘でしかないのだから。
「精霊よ、精霊よ、精霊よ・・・・・・・・精霊・・・・・・」
それでも何度も懇願する。お願いだから私を見捨てないで。
だけど結果は何も起こらない。
「何で、どうしてよ!? お願い・・・・お願いだから、精霊・・・・私に応えて・・・・・」
涙が流れる。急激な孤独感に心が砕けそうになる。
私の見つめる先、そこにあるのは無様に震える私の手。
何も起きない。起きてくれない。
ぎりっと奥歯を噛み締める。
狂乱に叫ぶ。
「・・・出てよ。お願い、お願い」
何度も両手を振り下ろす。何度も、何度も。だが私の期待することは何も起きてはくれなかった。あるのは変わらず震える手とそんな無様な私を食らおうとする魔獣の姿。
絶望に落胆し肩から力が抜け落ちた。
上げた手はぺたりと冷たい岩肌にうなだれた。
「・・・・・ザバエ・・・・・助けてよ」
ぽつりとつぶやく言葉は、獣の声に瞬く間に掻き消されていく。
悔しさと喪失感に蝕まれぶるりと体が震える。何時しか私は自分の身体をギュッと抱きしめていた。
・・・・・私は何も成すことが出来ずに、皆の思いを果たせずに・・・・・・ここで私は死ぬ。
そう思った瞬間、私は恐怖が込みあがる。だけど私は唇を噛み締めそれを内へ内へと押し込める。
・・・・・駄目・・・・まだよ!
私のこの命はそんなに軽く捨てていいものじゃない。
「精霊の力が無くなっても、王国を殺すまでは諦めない」
決して許さない。許されない
全てを奪った王国を、奪わせた第2王子ブラッドラックを、私のこの手で殺すまでは。
だから・・・・・・。
「私は死ねない!」
手元にあった石を握る。それを獣に投げつけた。
「お前たちに喰われてやらない」
無意味な事だと分かっていても、私は身近にあるものを次々と投げる。無様であろうと構うものか。どんな手を使ってでも彼奴のもとへ辿り着いてやる。
石を当てられ獣が鬱陶しそうに眼を細め吠えた。
「ギャッ、ギャ、ガ」
怒れる獣が岩を爪で掻きむしり徐々に岩が欠けていき、そしてとうとう大きく岩が砕けてしまった。
私の頭など丸のみ出来そうな大きな獣の口が、獲物に貪りつこうと暴虐に迫る。
「いやぁぁ!!」
痛む傷ついた脚で獣の鼻先を蹴る。
獣は不意の痛みに怯みその身をのけぞらせた。
でもこのままではどうしようもなくなってしまう。
・・・・どうしたら?
そう思った瞬間、私の耳に久しく聞いていなかった人の声。
「させるかぁ!」
男の叫び。
そして次の瞬間、私を襲っていた脅威がその姿を消していた。
・・・・何が?
一瞬の事だった。だけど誰かが魔獣をこの場から消し去ってしまった。
うっすらと見えた人影らしきもの。その時にはっきりと見えたのは一つだけ。
「・・・・・・・・黒い、髪」
薄暗い空など比較にならないほどの黒。それが魔獣を掻っ攫っていく姿。
ほんの一瞬、だけど目立つ黒は私の瞳に焼き付いている。とても特徴的な髪色。私はそれを持つ者を今まで一人しか知らない。
私を守ってくれた大きな背中の騎士。
「・・・・・ザバ、エ」
私の心は大きく揺れた。
そんな筈は無いと思いながらも期待してしまう。
違う、彼は死んだの。私を守るためにその身を犠牲にして、私は彼を看取っているのだからそれはあり得ないことよ。
頭でそう否定するが瞳が揺れる。
・・・・これは、幻だったのだろうか?
一瞬で現れ消えた黒髪。でも魔獣は確かにいなくなっている。
でも・・・・でも・・・・・。
脳内がグルグルかき回される。纏まらない思考に吐き気が込み上がってくる。
だが、その思考は無理矢理打ち消されることになる。
「ガアァァァウ」
それは終わっていない脅威の続き。残っていたもう1体の獣がこっちに向かってきていた。
そうよ、私はまだ助かった訳じゃない。魔獣は2体いたのだから。
ドガアァァァァァ!!
「きゃあぁぁ」
身構えた私は直後突然地面が爆ぜたことで地面に倒されていた。
大きな土煙がもうもうと立ち込める。でもその中に何かキラキラと光るものが無数に舞い上がっていった。
「・・・・な、何!? 何?」
度重なる出来事で混乱する私の上に舞い上がった土と小石が降り注いでくる。私はそれを気にするだけの余裕はすでになかった。
辺り一帯に立ち込めていた土煙が消え去った。
私はどれくらいここにいたのだろうか。ただまだ完全に日が落ちていないところを考えればそれほど立っていないのかもしれない。
あれだけ騒がしかった外は不気味なほど静か。
私は恐る恐る切れ目から顔を覗かせ、周囲を見渡してみた。
「・・・・・いない」
魔獣の姿はどこにも無い。
そして、そこにあったはずの・・・・・私が逃げてきた道も地面がごっそりと抉られて無くなっていた。
「嘘、でしょ」
しかもそれは道だけではなかった。
辺りを警戒しながら外に出てみたら、その途方もない光景が目の前に現れる。
無くなったのは道だけではなかった。
壁となっていた崖が、まるで巨大なスプーンにでも抉られたかのように、崖下から丘の天辺まで消失してしまっていた。
私はその異常な景色に痛めた脚の事も忘れはしたなくも口を大きく開き唖然とする。
もう何なのか理解出来ない。どうなっているの?
私は不安と驚きと少々の苛立ちに「何なのよ」と叫んでいた。
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