第116話 逃亡

【ステルフィア】




 彼が出て行く背中を見送り、私は一人になった部屋でベッドの上で身体を丸くしていた。


「酷いことを・・・・・・」


 膝の間に顔を埋め情けない声で愁いを口にして、昨日の醜態に深い自責の念に息をこぼす。


 羞恥と嫌悪が頭を上から押しつぶしているかのように両膝の間に沈んでいく。


 結局目を覚ましてから彼とは真面に目を合わせることも出来なかった。


「私は間違ってしまったのですね」


 彼を誘惑しようとした、私。


 そこには男女の想いは一切ない。ただただ彼を利用せんと肉体的な依存と負い目を与え、私という存在から離れさせないようにするための行動。彼の優しさに付け込もうとした歪で醜い私の身勝手。


 その手段はまるで・・・・。


「これでは・・・・・王国の、奴らと一緒じゃない」


 口にした瞬間全身が粟立つ、抽象的だった嫌悪が現実のものとなって押し寄せ吐き気となってはい出てくる。


 私がした事は国に攻め入ってきた王国の者達と何ら変わらない。自己の利益のために一方的な理屈を振りかざし、弱者を排除し有無を言わさず侵略してくる。


 そんな奴らと私は同類・・・・・。


 そう思った瞬間ぽつりと涙が粒となって落ちてきた。


 あれほど憎み忌み嫌った相手と同じになっていた自分の愚かしさに唇を噛み締める。



『汚れたままでいさせては親御さんに申し訳ない』



 その言葉は何よりも私に突き刺さった。


 汚れている・・・・・・そう、私は既に汚れている。


 彼は違う意味でそう言ったのだろうけど、私には薄汚くけがれている自分を責められたような気がした。


 そしてそれはお父様とお母様をも裏切ったことに思えた。


 彼に言われるでもなく分かっていた。誰も私に復讐など望んでいない事なんて最初からわかっていたんだ。

 許せなかった。私から何もかも奪っていった王国が憎くて仕方が無かった。その思いに偽りはない。だけどこうして盲目的に復讐に駆られていた私は、皆が居なくなってしまった苦しみから復讐することで逃げ出そうとしていただけだったのかもしれない。


 どうしようもなく粘質などす黒い感情は今も私の心を蝕んでいる。



 私は汚れている。



 彼の言葉で私がそれを認識したとき、自分自身にどうしようもないくらいの絶望と嫌悪が込み上げた。


 恥ずかしく、悔しく、そして恐ろしかった。


 それから訪れたのは彼に対する罪悪感。



 そして・・・・・・安堵。



 私は彼が何もしないと悟って安堵してしまった。自分の身体が守られたことにほっとしてしまっていた。それもまた両親を、そしてザバエ達を裏切ってしまったように思えた。結局私は、私が一番大事でしかなかったのだ。



 ・・・・・何て愚かしく無様な事か。



 そして私はまた逃げた。泣くという卑怯な手段を取ることでまたしても私は逃げだしてまった。



 悔しい。


 悔しい、悔しい、悔しい。



 私は彼に助けられ救われてばかり。魔獣からも追手からも、そして見捨てようとした民たちのことも。全て彼の優しさに甘え救われたというのに。


 私の何て醜悪なことか。


 『救ってやる』と言ってくれた、彼。それが出来るであろう力を持った、彼。


 でも私に彼の言葉を受ける資格など無い。



 気が付けば私は外套を纏って部屋からとび出していた。




 通りの人々は歓喜に湧いていた。街が壊滅するかもしれない魔獣の危機から脱したのだからその喜びはひとしおなのでしょう。


 だけどその喜びに沸き上がる楽し気な笑いは、まるで私を罵る罵声のように聞こえる。


 私はこの人たちを見捨てようとした。


 親が子供を抱きしめ、男女が手を取り、他人同士が笑いあう。そんな幸せそうな光景は、あの時間違ったまますすめば真逆の絶望と悲しみと怒りに変わっていたのでしょう。



「ごめんなさい・・・・ごめんなさい」



 耳を両手でふさぎ頭を振るう。

 私の消え入りそうな謝罪の言葉は街の活気にかき消され誰の耳に届くことも無かった。


 私は路地の奥へと走って喜ぶ人々から逃げた。人を避けるように誰も居ない方へと走り続けた。


 どれだけ走ったのだろうか。いつの間にか迷い込んでいたこの場所は、誰も寄り付かないような日も差さない奥まった路地裏だった。

 日が落ちるよりも早く陰鬱とした闇が訪れろここは、じめりとした不快さに鼻が曲がりそうな悪臭が漂う空気が充満している。


 息が苦しい、体中が重くて痛い。


 もう動くことが出来ない体が崩れるように地べたに座り込んだ。


「私にはお誂え向きな場所ね」


 自身を嘲笑するように吐き捨てる。


 実際ここは卑しく汚らしく、そして浅ましい私には実に相応しい場所に思えた。


 逃げて逃げて逃げて逃げて、出来もしない復習という甘美な理念を口汚く吠えるだけの私が行きつく場所なんてこんなところしかないのでしょう。


 私は国を捨てた。両親を見捨てた。臣下犠牲にした。唯意地汚く逃げてきただけの存在。


 そして私を何度も救ってくれた恩人に仇を無しそれに耐えられずに逃げ出してきた卑怯者。


 何も成すこともできず、何も訴えることもできず、そのすべてを裏切ってしまった愚物。



「・・・・・・・・私は、最低だ」








 すっかりと日が落ちてしまった。明かりが一つもないここは辛うじてものの輪郭が分かるくらいに暗がりに塗れている。


「・・・・・・どこか、遠くに行かなくては」


 私のことはあの岩場で見つかってしまっている。そしてあの人が一緒にいたことも。


「せめて彼の迷惑にならないように・・・・・」


 今更私が彼に返せるものなどない・・・・・・・いえ、元から私は彼に変えせるものなど持っていない。


 だったらせめて邪魔にならないよう、これ以上の迷惑が掛からないようにしなければ。


 立ち上がる。未だ疲労が回復しきっていないのか脚が震えてうまく立てない。でも夜のうちにこの街から離れておきたい。


 壁を支えに必死で起き上がった。


「誰だ、お前は?」

「っ!!」


 その声は突如として現れた。


 足音なんて聞こえて無かった。いくら私が呆然としていたとしてもその位には気を使っていたというのに、その声が聞こえるまで全く気が付かなかった。


「あん? 見かけねぇ格好だな。どこから迷い込んできやがった。何だてめぇ、ガキか?」

「何だ、誰かいんのか?」


 ここは路地の一番奥に位置している。そして出口を塞ぐように現れたのは二人の男。如何にもまっとうには生きていなそうな見かけに、私はよろけながらも後ずさると直ぐに壁にぶつかった。


「なんだぁ、迷子か? 俺ぁ親切だからよぉ、金を置いて行ってくれるんだったら道案内してやんぜ。ただちぃとどこに出るかは教えらんねぇけどなぁ」

「げひゃひゃひゃ、そりゃお前それ連れ去って全部巻き上げる気じゃねぇか!」

「あん、馬鹿言うなよ、これは人助けだ。がははははは」


 何がそんなに面白いのか大声で笑い出した二人。その間に必死にどう対処すべきか考えるけど何も思いつかない。お金で解決できるならそれで良かったけど、私は荷物の全てを無くしてしまっている。


 出来るのは何とか隙を見て逃げること。


 どうやら男たちは破落戸と呼ばれる類だと思える。私と言う獲物を前にどう巻き上げようかと盛り上がっている。


 私が小柄なので子供と思って油断している。


 今なら全力で駈け出せばいけるかもしれない。


 

 でもそれは甘い考えでしかなかった。



 ここぞと走り出した私は自分が如何に体力を使い果たしていたかを忘れていた。


 男たちの横をすり抜けようとしたとき足が縺れバランスを崩してしまった。そして次の瞬間、私の視界は暗くなった空を映し出していた。


 背中を衝撃が走る。


「かふっ」


 固い地面に叩きつけられ息が強制的に吐き出される。


 男がニヤニヤとした顔で見下ろしていた。


「舐めてんのか、ガキ!」


 私は男によって倒されてしまっていた。


 でもここで諦めるわけにはいかない。


「っ、あだぁ!!」


 男の手に歯を突き立てる。手を噛まれて男が怯んだ瞬間抜け出すと渾身の力を振り絞って地面を蹴る。

 このまま闇に紛れるように逃げられれば・・・・・・・・・そう画策するも束の間、それも直ぐに無駄な徒労となり消え去る。


 呆気無くもう一人の男に外套を掴まれてしまった。


「勝手にどこ行こうってんだ、あん?」



 そして次の瞬間。



 ドン、ガラララ。



 腹部への激痛。そして浮遊感ののち後背中からも強烈な衝撃と痛みが。


 男にお腹を蹴られ瓦礫に叩きつけられていた。


 薄れていきそうになる意識を口の中の鉄臭さと全身の痛みが強制的に呼び起こす。もうどこが痛いのかすら分からない。自分の体が自分のものでなくなったかのような、構造自体が変化してしまったかのような喪失感に襲われる。自分の意思で指すらも動かすことができない。


「あっはははははは、かっるいなぁ、おい」


 ただ耳だけは不気味な男の嘲りを確りと捕らえる。


 擦れる視界には投げ出された私の手足が映る。散乱しら木片が私が何にぶつけられたのかを物語っている。


 ゆっくりと近づく男の足音。


 徐々に迫りくる悪意に、私は怖くて痛くて直ぐにも逃げ出したかった。だけど私の身体はまるで別物の様にいう事を聞いてくれない。


 男が私の服を掴む。


「・・・・あっ!!」


 私のフードが抵抗すらできずに外された。


 そして出てくるのは私の銀の髪。


「・・・・・・・へぇ」


 明らかな男の声色の変化に全身の血の気が引いていくのが分かった。


 何度も感じた男たちからの下卑た声は、私の脳が敏感に反応してしまう。


「うぐ」


 首元を無理やり持ち上げられ、私は息を詰まらせながら身体が起こされる。


「これはこれは・・・・・・・良い金になりそうだ」

「触るな・・・・うぐっ!」


 頬の痛みと同時に視界がぶれ、倒れた私は地面を舐めていた。口の中の鉄臭さがぶり返し広がっていく。


「おいおい、俺は騒がしいガキは嫌いなんだよ」

「あぁ顔殴んなよ。それにしても珍しい髪色してんなぁ。これだけでも好色家にはたまんなそうだがこの綺麗な顔ならどこにでも売れそうだぜ、きひひひ」

「何だガキ・・・・・起きてんのか。はっ、意識ぶっ飛んでのか? 寝るにはまだ早ぇぞ、てもう夜だったなぁ。子供にはちぃっときつい時間かぁ。ま、この方が運ぶのは楽だけどな、ぎゃはははははは・・・・・・」


 朦朧としだした私の意識に流れ込んでくる男たちの会話。もうここまで来ると笑えて来てしまう。


 結局私はどっこまで行こうと逃げることすらできないのね。


 私の顔を見て喜ぶ男たち・・・・・・・あぁこれはもう呪いだ。私に与えられた生まれながらの呪い。それが私から全てを奪い去る。



 こんな顔に・・・・・・生まれてこなければよかった。


 女神さまは残酷だ。いったいどれだけの枷を私にはめれば気が済むの。



 無慈悲な神への恨みの言葉を最後に、私の意識は闇へと落ちていった。

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