第73話 もう一つの・・・・・・ ④

 古文の教師が陶酔した声色で教科書を読み上げていく。連日の寝不足が朗読を非常に心地いい子守歌に変えていた。

 窓際の机でうつらうつらと船を漕ぎ、浮遊感を伴った心地良さに意識が消えそうになるのを僕は必死にこらえていた。


 昨日も3時までやってたから・・・・・・つらい。


 自業自得だとは分かっているけどそれをやめるのは難しい。何しろ僕にとって大事なのは今ではなくゲームに身を置いている時なのだから。どっちを取るかと聞かれれば間違いなくゲームをとるだろう。


 ・・・・・・そう言えばあれ以来何にもないな。


 夢見心地の中、僕は夢中になっているゲームの事を思い出していた。


 数日前テラスさんから言われたこと。「楽しいところに連れて行ってあげる」

 

 でもそれ以降特にテラスさんの態度が変わった様子もなく、今まで通りの接し方しかしてこなかった。


 ま、深い意味は無かったんだろうけど。


 そう思う言葉とは裏腹に変わらないテラスさんに少し落ち込んでいた。


「では次を・・・・・御堂林、読んでみろ」


 半ば夢うつつで物思いにふけっていた僕は教師の声にはたと覚醒する。


 え、御堂林さん? ヤバ、次は僕が指されるかもしれない。


 一気に夢からつらい現実に戻された僕は、焦り教科書をめくっていく。全く聞いていなかったから今がどこを進めているのか分からず闇雲にぺらぺら紙を送っていく。

 必死にかすかな記憶に残る教師の子守唄を思い出し、ページを一つ一つ急ぎ確認していると、前の席の御堂林さんが、僅かな布擦れの音だけ残し立ち上がるのが視界の端に映りこんできた。つられるように僕は教科書越しに彼女を見上げる。


「春雨にほへる色も飽かなくに香さへるつかし山吹の花」


 そして奏でられる優雅な調べ。

 涼やかな囀りが優しく鼓膜を揺らす。教師とはまた別な心地よさが体に浸透していく。

 僕はすっかりと教科書を確認することを忘れてしまっていた。


 短い詩はあっという間に終わりを迎える。

 いつまでも聞いていたかったなと、残念さに眉尻が下げ、彼女の声の余韻を頭の中でリフレインさせていく。


 だけど雑音がその心地よさを邪魔してきた。


「何? いい声自慢? まじウザイんですけど」

「あれ、ちょっと訛り入ってるんじゃない? 聞き取りにくいから田舎に帰れよ」


 多分教師には聞こえていない程度、でも僕の所、つまりは御堂林さんには聞こえるように悪口がささやかれた。


 この声はいつもの害虫女子グループ


 僕の心地よかった気分は一気に冷めてしまった。


「はいよろしい。今読んでもらった詩は・・・・・・」


 案の定、教師は悪口に気付かずそのまま授業を進める。


 当の御堂林さんはと言えば、こちらもいつもの様に気にした様子は無い。聞こえていただろう悪口に眉一つ動かすことなく、自分の役目は終わったとまた静かに音もなく椅子に腰を下ろした。


 いつものように視線の端で彼女を窺うと、何となくだけど彼女がいつもと違うような気がした。


 ・・・・・・何だろう?


 雰囲気というか、空気感と言うか?


 何だろうなぁなどどと思案に浸っていると「三嶋、次読んでみろ」と不吉な声が耳に入ってきた。


「・・・・・・・え? あ、はい・・・・・・あ、えっと」


 しまった。次指されるかもと分かっていたのに、うっかりと失念していた。


 焦り教科書のページを捲る。周囲からせせら笑いが起きている。


「45ページ」


 だけど思いがけないところから助け舟が出された。


 教科書を僕に見えるよう身体からずらし、ここだと指を指し示す。涼やかな声は小さくても僕の耳にはよく響いていた。


 御堂林さんが読む場所を教えてくれていた。


 その嬉しさに浸っていたらさらに教師に叱られてしまった。




 チャイムが鳴る。何とか居眠りせずに授業を乗り切ったことにほっと息をつき教科書を机に中にしまっていて、授業で御堂林さんに助けてもらったことを思い出した。


 お礼・・・・した方が、いいよね。


 普段話しかけることも無かったので、ただのお礼と言っても、いざ話しかけようと思うと緊張してしまう。

 だけどこれは滅多にないチャンスでもある。

 御堂林さんに自然な流れで話しかけるい口実だ。

 こういった些細なイベントをこなしていってヒロイン攻略はなされるもの。


 ごくりと唾をのむ。


「あ、あの、御堂林、さん」


 意外とすんなりと話しかけることが出来た。


 御堂林さんがこちらを振り向く。少し青みがかった瞳が僕を捉える。怪訝そうに「・・・・何ですか?」と鈴の音が鳴らされる。


 長い睫毛が瞬きではためく。僕は見惚れそうになるのをぐっとこらえて本題を切り出した。


「さ、さささっきはありがとう」


 ほんとはもっと気の利いた言葉を考えていたのだけど、いざとなるとこれが精いっぱいで、更に噛みまくってしまった。


 恥ずかしさに頬が熱い。


 御堂林さんは一瞬キョトンとした目を丸くするが、僕の言っていることがなんであるかと悟と「気にしないで」と返答を返してくれた。


 その何でもない返事に僕は目を見張った。


 ・・・・・・・・やっぱり・・・・・・。


 どうにも今日の彼女は雰囲気が違く見える。普段から後ろから眺めている僕だから分かる僅かな差。


「御堂林さん・・・・・何か良い事でもあったの?」


 そして僕の口からそんな言葉が出ていた。


 御堂林さんのただでさえ大きな瞳が更に見開かれる。唇がうっすらと開かれ、それが妙に色っぽい。


 そこで僕ははっとする。


 な、何言ってんだよ、僕。


「あ、ご、ごめん。変なこと言って・・・・」


 自分でも信じがたい発した言葉に、慌てた僕は椅子にのけぞり、ガタンと大きな音を立てて後ろの机にぶつかった。


「そう、ね・・・・・良い事、昨日の夜洗濯をしていてあったかな。そう、顔に出てたのね」


 御堂林さんはそう言ってにこりと微笑みを浮かべた。


 幾分か意味が分からないところはあるけど、そんな些事を吹き飛ばす御堂林さんの微笑みに僕の意識は完全に吹っ飛ばされていた。


 ・・・・・う、あ。


 学校では彼女は常に一人。誰かと楽しそうに話をすることも無いのでこれはかなり貴重だ。生で見たのは初めてかもしれない。


 彼女の僅かながらの微笑みに僕の心はこれでもかというほど弾んでいた。これが後の禍になるとも知らずに。 

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