第2話 女神の定義

「えっと、お婆さん・・・・クッ。どこかと間違って・・・・入ってきちゃったのかなぁ? ヌォ・・自分の名前とか分かりますか?」


 スマホを拾おうとした俺の手を婆さんが掴んで止める。負けじとスマホを拾う俺と、それを阻止しようとする婆さんの間で力比べが始まっていた。


 このばばあ力強ぇ!


 力と力の鬩ぎ合いをしつつ婆さんに話しかける。


「わしをぼけ老人と・・・・グヌヌ・・・・一緒にすな」

「ボケてなきゃ・・・・フン、人の家に勝手に上がって・・・・このクソ・・・・こないだろ!」

「間違って来たわけじゃないわい・・・・・グオオオォ、お主に用があって・・・来たのじゃよ、ていっ!」

「あ!」


 婆さんが俺の両手を押さえたまま足でスマホを蹴り飛ばした。


 おのれ婆、買ったばかりのスマホに何てことしやがる。


「ごはっ!!」

「ぐほぉ!!」


 飛んでいくスマホを追うように振りかえったら、脚を滑らせて婆に思いっきりヘッドバットをかましてしまった。


 後ろにのけ反る様にして倒れる婆。俺も反動で後ろにのけ反り倒れた。


 婆の頭は固かった。


 ダブルノックアウト。


「うくっ・・・・お主、女神に対して何たる仕打ちをするんじゃ。この数億年で初めての暴挙じゃぞい」

「ぐうう、わ、悪い。でも俺も婆に夜這いされるなど生まれて初めての暴挙だ」

「夜這い違うわ!! わしだって選ぶ権利があるんじゃ」

「ちょっと待て、どういう意味だ婆」


 不法侵入のくせして何て失礼な婆だ。こんな奴はさっさと警察に突き出して・・・・・・って、


「あああああああああ」

「なんじゃい、騒がしい」


 俺の絶叫に婆がビクリと体を震わせ渋い顔をした。が、俺はそんな婆の反応など目に入っていない。


 何故なら。


「おい、婆! スマホが壊れてるじゃねぇか!!」


 婆に蹴られて吹っ飛んだスマホは壁に激突した衝撃で、画面にヒビが入り角が欠けている。


 スマホを拾い上げると膝から崩れ落ち、壊れたスマホを掲げる様に両手で持ち上げる。


「変えたばっかなのに・・・・・・これ保険でいけるのかな」


 項垂れていると後ろから婆が近づいてくる。


「何じゃそんなもん」

「そんなもんとは何だ。出たばっかで高かったんだぞ。くそぉ、うちのアプリを動かすのに用意したのに・・・・・・」

「しみったれた奴じゃのぉ。どれ貸してみ、わしが直してやるわい」


 そう言うと俺の手から壊れたスマホをひょいと婆が奪っていく。


「あ、てめ。余計なことすんな。今なら保険で直るかもしんないんだぞ。それ以上壊れたらどうすんだ」

「ガタガタ五月蠅いのぉ。いいから黙って見ておれ」


 奪い返そうとする俺の顔を足裏で押さえ、婆がスマホに手を翳す。すると淡い光が婆の手からあふれ出てきた。

 俺はカサカサな婆の足裏と格闘していたのだが、光があふれてきたところで思わず見入ってしまう。

 その光から不思議な安心感というか安らぎの様なものを感じた。


 淡い光に包まれていく婆。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ちょっと怖い。


 光の陰影で顔のしわが一層際立ちまるで化け物の様相だ。この安らぎ空間が中和しているから俺も叫び声を上げずに済んでいるが、もしそれが無ければ俺は乙女チックな悲鳴をあげていた事は間違いない。


「ほれ、出来たぞい」


 いつの間にか婆の足裏から解放されていた俺に、婆がスマホを放り投げてきた。

 ちょっとだけ呆けてした俺は慌ててスマホをキャッチする。


「何すんだよ。これ以上壊すんじゃねぇ。畜生、絶対弁償させてやっから・・・・・な?」


 何だか偉そうにしている婆に文句を言いつつ哀れな姿になってしまったスマホに目を向ける。


 6インチ大型ディスプレイが自慢の最新機種だったのだが、その自慢のディスプレイが無残にも・・・・・・・あれ?


「・・・・・ひびが無くなっている」


 どういう訳だか元の綺麗な状態になっていた。角の欠けた部分も見る限り直っている。

 クルクルとスマホを回して色んな角度から確認するが損傷らしいものは一つも見当たらなかった。スリープを解いて動かしてみるが動作にも問題は無い?


「なんで?」


 見間違えたか? 壊れていなかった?


「言ったじゃろ、直してやるって」


 どうだと言わんばかりに垂れて膨らむ位置が下にずれている胸を張る婆。直すも何もお前が壊したんだろうと文句を言いたかったがグッと堪える。

 直ったならそれでいい。これ以上不毛なやり取りは面倒くさい。


 なので早速直ったというスマホを使って電話をかける。


「1,1,0」

「だから警察に電話するのはやめるのじゃ」


 婆が叫ぶ。のじゃのじゃ五月蠅い。


「婆さん、お前何者だ?」


 仕方が無いので警察への電話は取りやめて話を聞く。


「女神じゃ」


 頬が引き攣るのが良く分かる。


「何でそこで怒るのじゃ?」

「女神に失礼だ」


 せめて女神の最低基準を満たしから言って欲しい。美しさとか、若さとか、若さとか、若さだ。


「お主の方が女神に失礼なのじゃ。女の神様だから女神であって、歳は関係ないのじゃ」


 むむ、顔に出てしまったか? 言ってもいない事で突っ込まれた。


 婆が「よっこらせ」と自称女神に有るまじき掛け声を出して腰をおろすと、丸いちゃぶ台の上に置いてあったお茶をズズッとすする。


 ん? ちょっと待て。


「おい、そのちゃぶ台とお茶はどっから出てきた」


 いつの間にか置いてあったちゃぶ台。俺の部屋には元々無かったものだ。


「さて、お主への用なのだが」

「おい、無視かよ」


 おのれ婆、傍若無人にも程があるぞ。握られた拳に力が入る。だがここで殴ってしまっては俺の方に非が出てしまう。犯罪者になるのは御免だ。

 目を瞑って深呼吸を数回繰り返して気持ちを静める。


 そんな俺を薄ら笑いを浮かべてみている婆。何となく今の考えも読まれていそうな気がしてくる。


「先ずは確認じゃが、お主は結城晴斗ゆうきはると、28歳独身、彼女いた歴無し、某中小IT企業でシステムエンジニアをしており会社の家畜となり下がったしがない中年予備軍であり、俗世と決別した生活を送っている為人生に何の快楽も無い」

「喧嘩売ってんのか?」

「間違っとるかね?」


 俺のピュアなハートをゴスゴスとハンマーでたたきまくる婆に、もう犯罪者になってもいいかなと思う。

 だがしかし、見透かすような婆の視線と確認を促す言葉に、何一つ言われた事に相違無い事に気付いてしまった俺の戦意は直ぐに折れた。


「くっ・・・・・・概ね合っている」


 ちょっと涙が出てきた。


 すると婆がふっと鼻で笑う。


 やっぱりこの婆やってしまうか?


「まぁ、そう怒るでない。わしはそんな人生ゴミ虫のようなお主に、救済と生甲斐を与えてやろうとやってきのじゃよ」


 うん、やってしまっていいと思う。


「とても自称女神(笑)が吐いていいセリフじゃないが、どういう意味か言ってみろ。それによっては俺のゴミ虫人生最後の花道をお前で飾ってやる」

「ケケケケケ、威勢の良い男じゃよ。まぁだからこそお主を選んだようなものだがな。早速だがお主に趣味を与えてやろうと思うておる」


 笑い方がまるで妖怪だ。似合ってるぞ。


 悉く女神の定義を覆してくる婆が説明を始めようとしたところで、俺は手のひらを婆の前に突き出した。


「ちょっと待て。その前に確認しておきたい事がある」

「何かの?」

「お前がかどうかを証明しろ。そうじゃ無ければ俺は即座に警察に通報する」

「わしがかどうかの確認か? 見れば分かるじゃろうに」

「見た目だけで判断しろと言うのであれば俺は警察では無く自衛隊に出動要請をせねばならん」


 昔から妖怪や怪獣退治は自衛隊と相場が決まっているからな。


「だれが妖怪じゃ。まぁよいわ、今後の事もあるからのぉ。お主の主張も聞かねばならんか」

「!! お前、俺の思った事分かんのか!?」

「ケケ、じゃからの。それ位は当然じゃ」


 何と恐ろしい妖怪だ。こうやって人心を惑わせて生き血を啜る気だな。


「また失礼な事を考えておるようじゃが、まぁええじゃろ。わしがたる力はさっき見せておると思うがのぉ。そのスマホとやらを奇跡の力で元通りにしてやってでは無いか?」


 婆が俺のスマホを指さして言う。確かに一度壊れたスマホが元に戻っている。だが・・・・・・


「それだけではどうにも胡散臭い。そもそもこれを壊したのがお前だからな。元から何か細工をしていたとも限らん。現にお前は俺が寝ている時に侵入しているからな。それだけではだと信じる事は出来ん」


 そう言って、俺は憮然とした態度で腕を組み婆を睨む。

 こんなのはちょっと仕掛けを作れば出来そうだ。俺はそんなちゃちな心霊商法に引っ掛かる男ではない、と思う。


「まったく疑り深い男よのぉ。ならば何じゃったら信じるんじゃ?」


 婆が呆れたといった表情で訊いてきた。


 ・・・・・・


 いやおかしいだろ。何でお前が呆れてるんだ。俺は至極真っ当な事を言っているにすぎん。そもそも神だの何だの言っている怪しい奴を疑らない奴がいるわけが無い。


「ほれ言うてみい」


 指を一本ずつ滑らかに折りこみカモンとジェスチャーしてくる婆。


 めちゃくちゃ腹立つ。


 だがここでまた何か文句を言っても、この婆は飄々と受け流してしまうだろう。

 精神に負荷をかけすぎた所為かギリリと奥歯が鳴る。顎が痛かった。


 これ以上婆に付き合っていると俺の貴重な睡眠時間が減ってしまうので、話しの流れに乗り、機を見て追い出す作戦に移行することにした。この婆はきっと自分の用件を済まさないと帰らなそうな気がしたのが理由だ。


 改めて考える。


 この婆がだと立証する方法。


 ・・・・


 ・・・・・・


 ・・・・・・・・


 んなもん分かる訳ねぇだろ。


 そもそも俺は神など信じちゃいないし、宗教に詳しくも無い。一概に神といっても宗教によって様々だ。


 死んだ奴を蘇らせる、とか?


 身近なのだと母方の爺さんか・・・・・・・・いや、今更生き返ってきても困る。少ないながらも土地とかの遺産問題でごたごたしたんだ。もうあんな騒動は御免だ。それにマジで蘇っても気持ち悪いし怖い。


 ならば怪我を治す。


 これならスマホの様に細工は難しい。

 だが残念ながら今怪我して無いから無理だ。故意に自分を傷つけるなんてそんな痛そうなことは出来ないし、婆の戯言に身を犠牲にするつもりはさらさらない。


 ならなんだ? 何なら奇跡と言える?


 ・・・・・・・・俺に彼女ができる、とか・・・・・・・・

 

 ・・・・・・・・・・


 うくっ、認めたくは無いがこれは奇跡になるかもしれん。


 これを言うか? もし、万が一、億が一叶うとしたら物凄く得だ。出来なくても損がある訳じゃない。元々いないんだし・・・・・・・・・・・・。

 これはいい考えだと悪い笑みがこぼれた。


「よし、婆。それなら俺に満足できるような彼女をくれ」

「お主、それを堂々と奇跡と称するところが何とも悲しいが・・・・・・まぁええじゃろう。今後のお主への報酬もかねてその願い叶えてやろう」

「え、マジで?」


 婆が立ち上がり両手を広げると、神々しい光が婆から出てきた。


 今度の顔は恐くない。


 婆自体が光っているから逆に皺を光で飛ばしている。


 その姿を見て「え、マジで」と二度目の驚きを口にする俺。


 すると数秒間光ったのち、光は徐々に収束していき元の薄暗い電気の明るさだけに戻った。婆は一仕事終えたとばかりに手で額の汗を拭っている。だが乾燥している婆の肌から脱ぎ取るような水分が出たとは思えない。きっと感覚的な行動だろう。


 俺は辺りを見渡す。


 部屋が狭いから一瞬で見終わる。


「オイ、カノジョ、イナイ」


 やばい、意外と期待していたのか落胆で片言になってしまった。


 ちょっと恥ずかしい。


 婆は何を言っているんだと言わんばかりに目を細めていた。


「見知らぬ女がいきなりここに現れたら驚くじゃろうが、良く考えんかい。そんな得体の知れない奴など怪しすぎて警察に通報してしまうわ」

「おい婆。それはお前そのままじゃねぇか」

「わしはじゃからええんじゃ」

「何かにつけてを盾にしやがって」

「・・・・・・お主、意地でもわしを女神と言わん気じゃな」

「言ってしまったら世界が崩壊する」


 それだけは絶対無理だ。信じる信じないの話しでは無い。あってはならないことだ。俺にだってポリシーはある。


「で、結局俺の彼女はどうなった。やっぱりできませんでしたで終わりか? それなら話が早い、今すぐ出ていくか望み通り警察に通報されるか選ぶが良い」

「まったく、女神に対して何たる横柄な態度を取る奴じゃ。親の顔が見てみたいものじゃ。奇跡は確りと行われている。出会いの加護をお主に与えたからのぉ。そう遠くないうちに、お主が出会えたであろうもっとも理想の相手にめぐり逢えるじゃろう。じゃが勘違いするでないぞ。これはめぐり逢わせを強くしただけで、相手を強制的にお主のことを好きにするわけではない。あくまでも引かれ合うのは当人の心であってそこに神意は含まれておらん」

「つまりは好きになるのは自然のながれだと?」

「そう言う事じゃ。じゃからもしその者と出会ったとしても何も気にせんでええといういことじゃ」

「・・・・・・・・ふむ」


 確かに、これが本物の奇跡であって、それが俺を強制的に好きにすることであれば、女性に悪い事をしてしまったような気になってしまう。

 だが婆の言葉通りであれば、女性が俺を好きになるのは本人の気持ちであって、この奇跡はその可能性がある女生と俺が出会える確率を確定したということだろうか。


 ふむふむ、それはいい事だ。


「分かったかの? さて、これでどうじゃ、と言いたいが。お主の事じゃ、今すぐおきもしない奇跡では信じんのじゃろう? ならばもう一つお主にさせてやるかのう」


 そう言うと婆が指をパチンと鳴らす。


 一瞬フワッと体が浮く感覚が俺を襲った。


 そして、次の瞬間・・・・・・・・・・。


「おわああぁぁぁぁぁ」


 俺は東京の夜景を上空から拝んでいた。

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