第37話 サービス開始

「・・・・・・あぁ、死ぬ」



 全くもって最低な目覚めだ。



 胃から込み上げてくる酸っぱいものをこらえながらアラームが鳴り続けているスマホを手探りする。中々見つからない事に苛立ってきた辺りでベッド下に落ちていたのを発見した。震える指で何とか止めると今度は急激な吐き気が。トイレへと這いつくばるようにして移動。トイレから出て台所の蛇口から水を直接流し込んで口内をゆすいだところで思わずでた一言がこれだった。


 昨日、どうやって帰ってきたんだっけ?


 痛む頭を押さえて無くなっている記憶を遡る。


 あぁだめだ、全く思いだせない。


 ただ玄関からベッドまで繋がっている脱ぎ散らかした服が諸々の状況を物語っているような気がする。


「・・・これは銭湯に行ってから会社に出社しないと駄目だな」


 体から立ち上る汗と酒臭さに嘆息しつつ時計に目をやる。今は朝六時になったばかりだ。もうすっかり明るくなっているが、普段であればまだ寝ている時間帯。


 呑みに行く前にこの時間にアラームをセットしていたのは我ながら好判断だった。普段より一時間半ほど早い起床時間は銭湯に行く余裕は十分にある。そうじゃなかったら今頃台所の冷たい水で体を拭かなければいけないところだった。


「神さんは出かけているのか?」


 もうここに居座っているのが普段と化してきた自称神様の姿が見えない。


「・・・・ふっ」


 神さんが居ない事を気にしている事に少しおかしくなって吹いてしまった。気が付けば俺も随分とに絆されたもんだ。


 などと思ったところで急に頭が冷めてくる。


「あぁ、こんな変な事を思うあたりまだ酔っているのかもしれない」


 これはさっさと風呂に行ってすっきりしよう。


 着替えをしてお風呂セットをバックにしまい家を出る。



 銭湯で一風呂浴びたらようやっと気分も頭痛も良くなった。


 今日は早出と言っても出社時間は遅いので電車は学生のラッシュとは被らなかった。


「おはよう、結城君。昨日はお疲れ様」

「おはようございます、田所室長。昨日はお疲れ様でした」


 昨日あれだけ崩れていた室長なのに、ビシッと何時ものキャリアウーマンモードなのは流石だ。しかも朝の何時からいたのか、既にデスクの上には幾つか処理の終えた書類が重なっている。


「・・・・と、ところで結城君」

「はい」

「昨日のお店、ワインがすごくおいしかったわね」

「そ、そうですか、なら良かったです。ただ生憎と自分はワインの味が余り分からなくて、呑みやすいかどうか位の判断しか出来ないのが残念ですが」

「・・・・そう、ところで・・・・・・・」

「はい?」


 田所室長から昨日予約した店の事でお褒めの言葉をもらった。俺自身ビール党なのでワインは正直良く分からないのだけど、田所室長がおいしかったというのなら良かった。


 ただちょっと田所室長の歯切れが悪い。


 綺麗に整っていた書類を纏め直したり、ペンを手に取っては所在無さげに書類の上を彷徨わせたりと、ちょっと落ち着かない様子で何かを聞きたそうにするも口を噤んでしまった。


 まぁ何を訊きたいのかは分かる。恐らくは二次会でのことだろう。


 田所室長はあの状態になると大概記憶をなくすらしい。だから二次会で何があったのかを気にしているんだろう。それを俺から聞き出そうと・・・・・・・・・・・・・・。


 だが言えない。


 俺の記憶に残っているのが田所室長の想像以上の柔らかさぐらいで、あとは殆ど・・・・・・・・記憶が残っていないなどと。


「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・」

「・・・・今日、がんばってね」

「はい」


 田所室長は名状し難き表情で口をもごもごと動かすが、結局それ以上は何も訊いては来なかった。俺も答えに困るので助かったと胸を撫でおろし自分のデスクに戻る。



 一〇時三十五分。


 開発したゲームの正式サービス開始時刻は十一時から。

 時計を見ながら緊張に指を動かす。


 開発に携わったゲームやシステムは幾つもあるが、今回のは苦労が多かった分思いもひとしおだ。手のかかる子ほどかわいいって言うけど、正にその通りかもしれない。


 周りのみんなも平静を装って仕事をいているが、何度も時計をチェックしていたりしている。同じように待ち遠しいんだろうな。もうここまで来たら座して待つのみ。何も出来ない歯がゆさと早く始まらないかという高揚感が入り混じる。


 五分前。


 ログイン画面を出しておく。いつものテストサーバーでは無く本番サーバーのオフィシャルからのログイン画面だ。アカウントは開発中のテスト動作で作ったのが使えるんでそれでログインをする。


 周りを見ると半分PC半分スマホと言った感じだ。


 今回のは両方でプレイ可能なので動作チェック含めてそれぞれが判断して何でやるかを決めている。


 室長は・・・・・・・・あの姿勢は、机の下でスマホを操作しているのか、中学生みたいなことをする人だ。


 十一時。


 よし、ログイン。


「ID、パスワードっと、良し入れた。先ずはログインはオッケー」


 動作を一つ一つチェックしながら進める。

 ここでこけたら洒落にならん。


 アカウントは残してあるけど、テストで動かしたキャラのデータはリセットしているので、キャラクターメイキングからのスタート。


「名前は・・・・・」


 いいや、”ハル”にしておこう。


 本当はあんまり安直なのは好きじゃないんだけど、あっちでそう名のっているから馴染んでいるし。


「キャラメイクも大丈夫っと、出来たぞ」


 今回の作品は王道のファンタジー物なのだが、原点回帰って訳じゃないけど、古き良き時代のRPGを復活させたいがコンセプトの一つに入っている。

 メインターゲットはある程度上の年齢層を想定しているので、システムは出来るだけ簡素に、ストーリーを重厚に作ってある。


「おお、すげ!?」


 初期配置の街の中に現れた自分のキャラクター。その周囲には画面いっぱいに埋め尽くされたプレイヤーキャラクターの数々。それだけ多くの人たちがログインしてきたことを意味している。


「平日の日中なのに・・・・・・あぁちょっと重い。頼む、サーバー落ちるなよ」


 予想以上の反響ぶりに感動しつつ、予想以上の過負荷に止まらないかとハラハラする。


 加藤達もログインしているだろうか。


 今日は半分だけが朝から来ている。残り半分は午後からやってくる。加藤は後半の部隊だ。でも多分家でやっている事だろう。作成に携わったものをプレイしないなど俺達にはあり得ない。


「どれメニュー回りも一応チェックしておこうか。あぁここも少し処理落ちしてんじゃん。だから簡素化しようって言ったのに」


 例によって堤氏の拘りにより、妙に絵画チックに仕上がっているメニューウィンドウがカクカクと動くのに眉を顰める。テスト時はこれが巻物を開くようなエフェクトでぬるりと現れるのだが、コマ落ちしてしまって何だか良く分からない状態になている。


 多分今日だけだろうと希望的観測をしつつ順々にチェックしていく。


「特に問題無しっと・・・・・・て、ん?」


 ステータス画面を開いた時におかしなものを発見した、と言っても別にバグがあった訳じゃない。


 おかしいのは俺のキャラクターのデータの方だ。



 リセットして初期化したはずのステータスがおかしい。




名前:ハル


職業:システムエンジニア


Lv:9

HP:670

MP:380

攻撃力:60

精神力:25

耐久力:46

素早さ:38

賢さ:22

体力:53

運:18


スキル

【システムメニュー】【剣術Lv2】【格闘術Lv2】【気配察知Lv1】【棍術Lv1】【植物学Lv1】





 ・・・・・・・・・。


 見た事あるな・・・・・・こんなステータスとこんなスキル。



 眉間を指で抓んだ。


 もう一回見てみる。


 うん、一緒だな。


「おかしいだろ!!」

「ど、どうかしたの、結城君。まさかバグ」


 思わず叫んでしまった。ビックリした田所室長がトラブル発生かと立ち上がる。周から視線が集中した。


 ・・・・・・・・・あ。


「す、すいません。ゲームに問題は無いです。すいません」


 ぺこぺこと頭を下げて謝る。


 田所室長は「驚かさないでよ」と不満げに息を吐く。再度「すみません」と謝った。


 くそ、要らぬ恥をかいてしまった。いや、それよりもこっちだ。何だこれは、どうなっている?このステータスの上方って異世界での俺のステータスそのものじゃないか!?てか、職業システムエンジニアになっているし・・・・・・・・確かにそうだけど。


 二日酔いがぶり返したように頭が痛んできた。これがただの偶然の一致など微塵も思っていない。


「嫌な予感しかしねぇ」





 その日は小さなバグが一つ報告あっただけで、大きなトラブルは発生しなかった。

 稼働させたサーバーにも問題無かったので、先ずは成功と思っていいだろう。


 加藤達が午後から出社したタイミングで俺はバグ修正パッチの作成に入った。


 早く帰って色々と確認したいという欲求を押さえ、問題の箇所のスクリプトを見直し、修正したものをテストサーバーで試しててみて問題が無いかを確認、それをアップロードして今日は終わりにした。


 帰りも電車に乗ったが時間帯がずらしているので混雑も無かった。ホームに降り立ち改札へと向かっている所でふと思い出した。


「・・・・・あの女の子・・・・・・・どっかで見たことがある様な気がする」


 会社最寄りの駅で助けた高校生の女の子。恐ろしく整ったその顔立ちはまずおめに掛かれないレベルのものだ。

 でも不思議と俺はあの子を見たことがある様な気がしている。


「どこでだろうか?可能性としては以前も電車か駅で見かけたってのだろうが・・・・・・」


 一番高い可能性を考えたがそれはどことなく違う気がした。

 あれだけの子だ。以前見ているのであればもっと印象に残っているだろう。


 だが俺の記憶では以上に曖昧で、多分それほど意識してみたものではないような気がするのだが、あれだけ綺麗な子を前にしてそれはあり得るのだろうか?


 考えてみたのだがやはり思い当たる節は無かたので、気のせいだろうと考えを破棄した。



 駅を出て途中のコンビニに弁当とビールを買いに寄る。カゴを手にもちレジ前を通って弁当コーナーへ。

 弁当を五種類二個ずつで計十個カゴに詰め込む。それからビールを二十本と清涼飲料水を数本。この時点で籠がいっぱいいっぱいだ。結構な重量となってるが、ふふ、俺の強化された筋力にはそんなのは全くものともしないぞ。あ、簡単に抓める総菜も買っておこう・・・・くっ、カゴに入らない。


 レジに乗せたら多分大学生だろう若い男の店員から露骨に嫌そうな顔をされた。しかも間の悪い事に店員は彼一人しかいないらしく、俺の後ろにレジ待ちの列が出来ていた。


 視線と聞こえてくる舌打ちが痛い。


 大きなレジ袋が三つ抱えてコンビニを後にする。こんなにコンビニで買ったのは初めてかもしれない。


 手に食い込み破れそうなほど張るレジ袋をそれぞれの手にぶら下げてアパートへと歩い帰る。


「これって・・・・・・・・あれかな」


 梅雨が近づいているのを感じさせる陰鬱とした厚い雲が掛かってきており、まだ日は落ちきっていないがビルの影ともあって辺りはもう大分暗くなっている。もともと駅近くと言っても裏手なので店も無ければ歩く人もほとんどいない。

 アパート近くになるとそれこそ入り組んだ路地裏となる。そんな場所を好んで通るものは十人くらいなもんだ。


 アスファルトから立ち上る独特の臭いが鼻につく。これは今日の夜には雨かも知れないなどと気分を紛らわせながら歩く速度を速めていく。


 どうやら俺は後を付けられている。


 何でかは分からないが、さっきから後ろを付ける。しかもこれは、敵意。


 俺は渋面を作っていた。


 それは付けられている事に対してではない。


 いや、確かに誰かに付けられているといのは問題であり不安ではあるのだが、何て言うか多分襲われても大丈夫なような気がしている。


 だから俺がこうして眉を顰めるのは別な理由だ。


 「気配を感じている、しかもそれが敵意と分かっている」という事だ。


 俺はそんなどこぞの武術家のような特技は持っていない。いたって普通の人生を送ってきている。


 ただ先日までは、だが。


 思い当たるのは一つだけ。今日のゲーム画面で見たあのステータス。


 異世界での俺と同じステータス・・・・・・それと【スキル】。


 あの中には確かにあった。


 【気配察知】のスキルが。


 しかも今感じているこの感覚は弱くはあるが異世界で感じている【気配察知】スキルと同様のものだ。


 「あぁ、これは確定か」と、一人ゴチた。


 もう神さんに訊くまでも無いだろう。異世界での【スキル】が一部ではあるがこっちでも適用になっているということ。


 体力面や筋力もそうだ。レベルアップすれば向こう程では無いが確実に俺はこっちでも強化されている。


 ならばいけるかな。こうも露骨な付け回しと敵意は頬放っておいても良いことは無いからな。

 

「何か用かな?」


 立ち止まり振り返り気配を感じていた人物に向けてそう投げかけた。


 そこは無人の路地裏だ。だが俺はそんな事を気にせず動かずにじっと見つめる。


 すると観念したのか脇からパーカー姿の男が一人現れた。深々とフードを被り暗がりの所為もあって顔ははっきりと見えないが随分と若そうだ。


 街路灯がタイミングを見計らったかのようについた。スポットライトの様に男を照らし出している・・・・・・ちょっと不気味だな。


「お前の・・・・・・お前の所為で・・・・・」


 そしてぶつぶつと何かを呟きだす。

 

 え、何この人。ちょっと怖いんですけ。


 早くも逃げずに声を掛けた事を後悔した。格好つけずに警察でも呼べばよかった。


「お前の所為で・・・・・・お前が居なければ・・・・・僕の人生が壊されることは無かったんだ!!」


 ただのひったくりかと思っていたのに想像以上にヤバそうな人が出てきたことに怖気ついていると、パーカー男が唾が飛びそうな勢いで恨みの籠った叫びをあげた。


 そして俺の目には男の手の中で街路灯の灯りでギラリと光るものを見つけた。



 おいおいおいおいおい、ちょっと待てぇ!!



 それって・・・・・・・包丁じゃないのか!?



 パーカー男はひったくりでは無く通り魔だった。


 いや、それも違うかもしれない。この明らかな俺への敵意。こいつは通り魔じゃなく確実に俺を狙って襲って来ようとしている。


 まさかの事態に冷や汗脇汗が止まらない。



 洒落になってねぇぞ。何だよこいつ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る