新聞屋アヤ

 メリィ・ウィドウの街は、二人の代表者によって治められている。

 一人は人族の女性、カグヤ・ムロマチ。

 もう一人は魔族の女性、マーヤ・ネーブル。


 この内、街の住民の管理をするのはマーヤの管轄である。

 街の目抜き通りの中央付近を折れた居住区の端に構えられた、彼女の職場である寄合所兼行政署。その大広間に、街の住民が幾人か集まっていた。


 部屋の隅に敷かれた布団の上にすやすやと眠るのは、栗毛の髪に白い服を着た聖騎士の少女――ヒカリ。

 服の端はところどころに焦げ跡がつき、傍らにはヒカリの身につけていた簡素な防具が丁寧に並べて置かれている。


 ヒカリを見下ろし、小じわの寄った褐色肌の美貌を顰めているのが、この寄合所の主・マーヤである。その周りでは、何人かの街の住人が物珍しそうにヒカリを見ては、ヒソヒソと何事かを囁き合っている。

 マーヤは何度目か知れない溜息をもう一度零すと、部屋の反対側にむくれ顔で座る長身の少年――ヨルと、彼の背後からしなだれかかり、首に腕を絡める年若い女性――アヤに目を遣った。


「ねーヨル君。いい加減、機嫌直してよー」

「直して見せてくださいよ」


 にべもない少年の返答にマーヤは思わず苦笑する。

 普段は不必要なほど大人びた彼がこういう反応をすることは、滅多にない。


「だからー、さっきから謝ってるじゃないのよー。確かに後ろからずっと観戦してたのは悪かったけどさ。ちゃんと危なくなったら助けるつもりだったのよ? ホントよ?」

「それがホントなら俺はとっくに助けられてたと思いますけどね」


「いやいやいや。何言ってんのよ、ヨル君。あんなノーコン、何発撃ったってヨル君に当たるわけないじゃない」

「俺がどんだけ必死になって避けてたか見てたんでしょ!? 全然余裕なんかなかったんですからね!? もうホント死ぬかと思ったんですから!」


「いやーだって、ヨル君が戦うとこなんか滅多に見ることないじゃない。それに本物の陰魔法なんてそれこそ見る機会ないもの。こりゃスクープだわと思ってさ。すごいねえ。あの影がどばー、っての。次は何やってくれるんだろうと思ってたらこう、手に汗握っちゃったといいますかね?」

「本音が出ましたね!? やっぱり面白がってたんじゃないですか! おかげで昨日もらった魔力すっからかんですよ!」


 あの後。

 すっかり途方に暮れたヨルの前にひょっこりと姿を現したアヤが、街を駆けずり回ってヨルを探していたヒカリに、彼なら今頃街の外の川で釣りをしてるはずだと自分が教えたこと。その後ろをこっそりとつけて記事のネタにしようとしてたこと。あれよあれよと始まった戦闘を木陰に隠れてずっと見守っていたことなどを、呆然とするヨルに告げた。


 取り敢えずこの場をこのままというわけにもいかない。まずはヒカリの身を、街の住民管理を請負い、教会との橋渡しも担う街の代表者の一人――マーヤの元に運び、今後の処遇を決めてもらおうとのことになった。

 そして川辺からこの場にいたるまで、二人はずっとこの調子なのだった。


「アヤが悪い」

 二人のやり取りを見ていたマーヤがきっぱりと言う。

  アヤの顔がひきつった。

「や、やだなあマーヤさんまで」


「アヤちゃんが悪い」「アヤが悪いわ」「アヤちゃんが悪いわねえ」「アヤちゃん以外は悪くない」「アヤちゃんしか悪い子はいないわ」「ていうかそこ代わりなさいよ」「ついでにツケも払いなさいよ」


「ヨルくううぅぅぅん! 助けてよおぉぉぉ」

 続けて浴びせられる霰のような叱責に晒され、アヤが嘘臭い泣き声を上げた。

 ヨルは、ぷい、と目を逸らして、無言でそれに応えた。


「わかった。わかったわよー。じゃあほら、私の血、吸っていいから。お詫びにさ。ね?」

「ちょっと、アヤ」

 

 気色ばんだマーヤを気にすることもなく、ヨルにしなだれかかったままのアヤが冗談めかした口調で続けた。

「ほらほら。若いお姉さんの新鮮な血だぞー。たまにはほら、いつものとは一味違う、脂の乗った美味しいおなごの、って痛あ!!!」

「誰がカサカサのババアだって!?」

「ちょ、シズクさん、そこまで言ってな――」

「そうですか。それじゃ遠慮なく」

「え?」


 首にアヤの腕を絡めたままのヨルがくるりと振り返り、アヤのシャツの襟元を手早く寛げた。

 そして――


「はぷ」

「ええ!?」

「わお」

「ひゃあ」


 呆気に取られる周囲を余所に、ヨルは右手でアヤの肩を掴み、左手で後頭部を抑えた。

 墨を流したような黒髪が、アヤの桜色の髪に埋もれる。


「ちょ、ちょっと、ヨル君!? みんなの前でっていうのは、流石にちょっとお姉さん恥ずかしいかなー、なんて……」

「……」

「ほら、もう、みんな見てるってば。こういうのはもっとこう、雰囲気とか大事なんじゃないかとお姉さん思うんだけど!」

「………」

「あれ? ヨル君? 何かいつもより吸う量多くない?」

「…………」

「や、やだなー。がっついちゃってもう。ほら、ヨル君、お仕舞い。お姉さんの血なくなっちゃうってばー」

「……………」

「あ、あのぉ、ヨル君?」

「………………」

「ちょ、ちょおおお! ヨル君! ギブ! ギブ! 死んじゃう死んじゃう死んじゃう!!!」

「…………………ぷは」


 ヨルの背をアヤの手がばしばしと叩き、ようやく離されたヨルの口元とアヤの白い肩との間に、赤い色の唾液の橋が架かる。

「ごちそうさまです」

 懐から取り出したハンカチでアヤの肩口を拭うと、その襟を直してヨルは立ち上がった。


「し、死ぬかと思った……」

「これでお相子、ですね」

 自分の口元はシャツの袖口で拭い、すっかり顔色のよくなったヨルがにっこりと笑う。

 アヤは目を瞬かせ、天井を仰いだ。


「うあー。くらくらする」

「自業自得よ、アヤ」

「ヨルくーん。聖水はー?」

「携帯してるわけないでしょ。ウチの取ってきますから、待っててください」


 そういって出入り口の扉に手をかけたヨルを、呼び止める声があった。

「ああ、それなら大丈夫よ」

 二人の様子を興奮気味に見守っていた街の女性たちの中から、藍色の髪の魔族の女性――クーネが前に出てくる。


「ちょうどよかったわ。ほらアヤ。これ飲みなさい」

 そう言って差し出されたのは、繰糸場でヒカリに押し付けられた革袋である。

「クーネさん。どしたのこれ?」

「そこの子にもらったのよ。私はもう、昨日ヨルちゃんにもらったの飲んだから、アヤにあげるわ」

「うっそ。これ全部聖水? うへぇ。……まあ、ありがたく頂くけど」


 革袋の栓を開け、ごくごくと飲み干す。

「うーわ。すっごい。濃ゆっ。クーネさん、これ飲まなくて正解だよ。普通薄めなきゃ飲めないって」

「ぐびぐび飲んでるあんたは何なのよ」


「そいつ。魔力量が半端ないみたいなんですよ」

 それを見たヨルがヒカリを見下ろして言う。

「こっちが何やっても全部撥ねつけられちゃって。その代わりコントロールがド下手らしくって、最後は大魔法暴発させて自爆してたんですけど」

「へー。大丈夫なのかしらねえ」

「大丈夫じゃないですよ。何が聖騎士ですか。あれが街中だったらと思うとゾッとします。っていっても、あんだけ陽の魔力撒き散らされたら、あの辺も暫くは生態系狂っちゃうと思いますけどね」

「あらら」


 ヒカリを見下ろす目を細めたヨルは、再度踵を返した。

「じゃあ、俺はいない方が話し易いと思うんで、もう行きますね」

「そうだね。それがいい」

 マーヤが頷く。

 アヤがそれを、気だるげに首を傾げて送る。


「ヨル君、この後はどうするの?」

「ジンゴのとこ行ってきます」

「あー、そういやアイツのこと忘れてたわ」

「何かあいつ、血走った目でブツブツ言いながら上流の方歩いて行ったんで、まだ諦めてないみたいなんですよね。何か食い物でも持ってきますよ。一応、今日一日付き合う約束でしたから」

「気いつけてねー」


「ああ、そうだ。アヤさん」

「んー?」

「体脂肪、増えてますよ」

「あっはっは。ぶっ殺すわよ」


「最近、夜飲み歩いてばっかじゃないですか。アヤさん必ず揚げ物つまみにするんだから。今日は帰ってきてくださいね。捕れた魚、俺とジンゴじゃ食いきれないんですよ」

「もー、お姉さんと一緒にお食事したいだなんて、甘えん坊なんだから」

「お望みならもう一口甘えましょうか?」

「死んじゃうって。はいはい、今日は帰りますよ」

「そうしてください。じゃ、お先です」

「じゃあねー」

「ヨル。気をつけてね」

「はい、マーヤさん」

「じゃあねーヨルちゃん。また今度ねー」

「バイバーイ」


 ……。

 …………。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る