帰る場所
やがて、陽も昇り。
街の大食堂の裏手、一本だけ生える木蓮の古木の根元に、ヒカリとツグミは並んで座っていた。
膝を抱えて、熱い湯気の立つ湯呑を啜りながら、ぼんやりと澄んだ空を見上げている。
気の抜けた表情で、しばし無言の時を過ごしていた二人であったが、やがてヒカリが、ぽつりと言葉を漏らした。
「ねえ、ツグミ」
「うん?」
視線を上にしたまま、ツグミが答える。
「私、そろそろ帰るね」
「帰るって、聖都に?」
「ううん。メリィ・ウィドウに」
「……そっか」
その柔らかな声に、ツグミも頬を緩ませた。
「今のあんたの帰る場所は、あの街なんだもんね」
「うん。それにね……」
「ん?」
抱えた膝に顔を埋めるようにして、ヒカリが呟く。
「ヨル君に、会いたいな、って」
それは、ツグミが初めて見る親友の表情で。
「っっはあぁぁぁぁ」
ツグミは盛大に、溜息をついたのだった。
「なんで溜息!?」
「ふーんだ。いいもんねー。私だって新しい出会い見つけたし」
「ええ!?」
拗ねた声で言うツグミを、弾かれたように顔を上げたヒカリが見遣る。
それを気にもせず、ツグミは空の青色を見つめながら語り出した。
「私ね、最近思ったのよ。自分の理想のオトコなんて、そうそう出会えるもんじゃないんだって」
「はあ……」
「だからね、最初はまあ悪くはないかな、くらいの相手でいいのよ。それをちょっとずつちょっとずつ、自分の理想のオトコに近づくように、私がしつけ……サポートしていけばいいんじゃないか、って」
「今躾けって言った?」
「言ってない」
そこでツグミは、くるん、と小首を傾げるようにして、ヒカリに意地の悪そうな笑みを向けた。
「ねえ、サカキさんってさ。顔は悪くないと思わない?」
「えええ!?」
「ちょっと自信なさげで頼りない感じだけど、真面目で誠実なのは分かったし、いざって時はヤれる男だってのも分かったし……」
「ちょ、ちょっとツグミ――」
「今この街に住み込む準備も進めてるしね。と、いうことは食堂で働く私にとっては、男の急所である胃袋を掌握したも同然! これはいけるんじゃないだろうか!」
「待ってってば! それは、それはまずいよ、ツグミ……」
「なんでよ」
「だって、ツグミは聖騎士で、サカキさんは、その……」
「あんただって聖騎士で、ヨルさんだって吸血鬼でしょ?」
「わたしは別に、……ってそうじゃなくて! その、あのね? 聖騎士と吸血鬼は恋愛できないんだよ」
「はい?」
「だって、……その、お互いの魔力が邪魔して、……その、き、ききキスとかも出来ないし……」
「……………………したの?」
「してないよ!!」
「じゃあ何でそんなこと知ってんのよ!?」
「私じゃなくって! 別の人の話……でもなくて! 小説で読んだの!」
「そんな恋愛小説あったぁ?」
「うぅ……あったんだもん。とにかく、吸血鬼の人とは――」
「吸血鬼がどうかした?」
「「うひゃい!?」」
背後からかけられた声に、二人の少女が飛び上がると、そこに、気まずそうな顔をしたサカキが立っていた。
「さ、サカキさん?」
「ああ、ごめん。立ち聞きするつもりはなかったんだけど……」
未だに傷だらけの姿で、それでもどこか憑き物の落ちたような軽やかな足取りで近づくサカキに、ヒカリとツグミは互いの蒼い顔を見合わせ、恐る恐る問いかけた。
「あ、あのう、サカキさん。今、私たちの話……」
「え? ああ、聖騎士と吸血鬼がどうって……あ。ひょっとして僕が聞いちゃまずい話だったかな?」
「いえいえいえいえいえ全然そんなことはないですよ!?」
「ぜーんぜんぜんぜん!」
「そ、そう。ならいいんだけど……」
その勢いに押されて少し体を引いたサカキに、ツグミは精一杯の作り笑いで問いかけた。
「そんなことよりサカキさん。もう移住の手続きはいいんですか?」
サカキはそれに、少し困ったような笑みで答える。
「うん。こっち側はね」
「え?」
「ほら、一応、僕の血を吸った吸血鬼にも許しを貰わないと」
「あ……」
二人の少女の顔が翳った。
それを見て、サカキは再び苦笑する。
「大丈夫。話せば分かる人たちだと思うから。ただ、その前に二人に聞いておきたいことがあるんだけど……」
「はい?」
「ヒカリさんには昨日の晩に話したと思うんだけど、僕がこの街に来たのは、そもそも行方不明の吸血鬼を追ってのことだったんだ。二人とも、この辺りで吸血鬼の噂とかって、聞かなかったかな」
二人は再び顔を見合わせた。
「ヒカリ……」
「ううん。私は……」
その反応に、サカキが頭を掻く。
「そっか。けど、できれば見つけてあげたいんだ。その人も、あの戦いに巻き込まれただけみたいだし。何より、僕の血を吸った女の吸血鬼がね、その行方不明の人の『親』らしいんだけど、随分気に病んでたみたいでさ。『自分が、あの人の血を吸ったせいで……』って」
「へえ……。なんか、意外ですね。そういうの」
そのツグミの言葉に、ヒカリが応えた。
「そう? 家族のことを心配するのは、当たり前なんじゃないかなぁ。人でも、吸血鬼でも」
「そっか。……そうだ、それこそ、ヨルさんに相談してみたら? 何か知ってるかも」
「ううん。……どうだろう。ヨル君が他の吸血鬼のこと話すのなんか聞いたことないしなぁ」
「ヨル、さんっていうのは?」
「それはですね、むぐっ」
二人の会話に反応したサカキに、ツグミが何か言いかけたところをヒカリの両手が塞ぎ、慌てたようにそれに答えた。
「あの、私の街にいる吸血鬼なんです。便利屋として働いてて、その代わりに血を貰って……。あ、でも、そのたびに聖水を用意してるから、眷属を作ったりはしないんですけど」
「へえ……」
「……ぷはっ。それでですね、その人がヒカリの――」
「ツグミってば!!」
「あっはは。何となくわかったよ。ヒカリさんが、僕のことに気づいたのは、その人のおかげってことなんだね」
「うぅ。はい。そんな感じです……」
「そのヨルさん、っていう人は、どの真祖の眷属なのかな。もし僕と違う系統なら、情報交換させてもらえるとありがたいんだけど」
「あ、ヨル君は、誰の眷属でもないんですよ」
「え…………?」
サカキの表情が、固まった。
「サカキさん?」
「どうかしました?」
「その……その人は、まさか、去年の秋に、獣国の闘技大会で優勝した人、……じゃないだろうね」
「え!?」
「知ってるんですか?」
先程までの穏やかな顔が一転し、目を見開いて口元を震わせたサカキに、二人の少女が心配そうに近づく。
サカキが、震える腕でヒカリの肩を掴んだ。
「え、あの――」
「今すぐ! メリィ・ウィドウに帰るんだ、ヒカリさん! 今なら、まだ間に合うかもしれない!」
「ええ!?」
「このままじゃ、街が滅びるぞ!!」
……。
…………。
「おい、オロさん!」
「んあ?」
「さっき、念話が……」
「ああ、俺のとこにも届いたよ」
「どうすんだよ。これじゃ……」
「……はぁ。えげつねぇことするぜ。『帰順の消印』だと……?」
「あの第五の女、泣いてたぜ」
「あぁ。ったく、てめぇのせいでもないだろうに」
「オロさん。どうする?」
「このまま行くさぁ」
「いいのか?」
「ああ。例の第六の野郎、無理やり血を吸わされたらしい。それで繋がり通じて居場所が割れたんだそうだが、それがメリィ・ウィドウの街の方角なんだとよ。つまり、少なくともあの街に何もねえってことはねえ」
「おいおい。だが、あの街にゃ今、例の『怪物』がいるんじゃねぇのか?」
「そいつごと潰すさぁ。……いや、街ごとかもなぁ」
「…………おい、オロさん。あんたひょっとしてキレてねぇだろうな」
「くっひひ。いや、もう笑い事じゃねえやな」
「お、おい……」
「行くぞ」
……。
…………。
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