赤の魔法使い
「なんか、騒がしいなぁ」
豪奢なベッドの上で布団に腰かけて、干し柿をもそもそと頬張りながら、ヒカリはぼんやりと窓の外を眺めていた。
分厚い部屋の扉の向こうから、ばたばたと人が駆け回る音が聞こえてくる。
直ぐにでも様子を見に行きたかったが、今日のヒカリは、この部屋を出ることを許されていない。
元々謹慎中の身の上であるにも関わらず、ここ数日で屋敷の中を引っ掻き回した咎で、今日一日は部屋の中で大人しくしているようにとの厳命を受けてしまったのだ。
謹慎の二重掛けである。
実際は、今日来る予定であったジンゴとヒカリを遇わせないようにするためのマサナの配慮であったのだが、そんなことがヒカリに分かるはずもない。
「……甘い」
手の中の干し柿を見るヒカリの声に湿っぽい音が混じった。
それはまだ獣国に行く前の日に、隣人のエルザを手伝って軒先に干した柿であった。
間違って生のまま齧ってしまい、あまりの渋味に転げまわったヒカリを笑い、エルザは出来上がったら二人で真っ先に食べようと、約束してくれたのだった。
約束は、守れなかった。
そういえば、これを渡してくれた侍従長のユズリが、ヒカリがこれを受け取ったことにひどく驚いていたことを思い出す。
確かにここに帰って来てからというもの、次から次へと甘味を差し出されては断ってきた。何故だか、いつもなら見るからに美味しそうなお菓子も、ぴかぴかと光るおもちゃのように見えて口をつける気にならなかったのだ。
折角自分のために用意してくれたのに、悪いことをしてしまった。
「これから、どうなるのかなぁ」
食べきることを恐れるように少しずつ干し柿を齧りつつ、ヒカリは暗雲の垂れこめた外の景色を見る。
ハヅキとツグミから、今自分が置かれている状況については聞かされていたが、ヒカリには今一実感がなかった。
元より、自分が勇者になれるだなんて考えたことはない。
転生前に、当の勇者本人から散々苦労話を聞かされているのだ。とても自分に務められるとは思わなかったし、そうしたいとも思わない。
少しの間メリィ・ウィドウの街を離れ、ハズキの元で働くことでそれから逃れられるのならば、ヒカリに否やのあろうはずもない。
しかし、ヒカリの父マサナは、それを許さなかった。
聖都について早々ヒカリは実家に連れ戻され、こうして半ば軟禁状態が続いているのである。
ひょっとすると、自分はもう、聖騎士にはなれないのかもしれない。
「やっぱり、私は駄目だ……」
何をしても空回りばっかりで、何一つ成し遂げられない。
犬を助けようとしてトラックに轢かれた時から、まるで変っていない。
ミツキに新たな生を与えられ。
ツグミたち、養成校のみんなに助けられ。
アヤやジンゴ、メリィ・ウィドウの街の人たちに守られ。
そして……。
こん。こん。
「ひゃい!?」
ヒカリの夢想を打ち破るようにノックの音が響き、ベッドの上でヒカリの体が跳ねた。
「失礼しまーす。シーツの交換でーす」
「は、はい。お願いします!」
ヒカリが慌てて返事をすると、がちゃりと音を立て、侍従の女性が入室してきた。
「??」
長身のその女性は、畳んで重ね持ったシーツのせいで顔がよく見えない。
しかしその女性が、今回帰省してからというもの、ヒカリの身の回りの世話を受け持ってきた侍従長のユズリでないことは明らかであった。
(新しい人かな。でも、今の声、どこかで聞いたような……)
困惑しながらも、侍従の仕事をまじまじと見てはいけないと躾けられたヒカリは、自分の部屋の隅で小さくなりながら、下を向いて彼女の仕事の終わるのを待つ。
(あ。さっきまでベッドの上で干し柿食べちゃってたんだ。どうしよう。へた、ちゃんと捨てたよね……?)
ヒカリが内心冷や冷やしているうちに、侍従の女性はてきぱきとシーツの交換を終える。
「終わりましたよー、お嬢様」
「あ、はい。ありがとうございます」
どこか間延びした女性の声に返事をし、女性が退出するのをそのままの姿勢で待っていたヒカリの伏せられた目線の先に、ヒカリの前で立ち止まった女性の脚が映る。
「???」
女性は何故かそのままヒカリの前に立ち、動こうとしない。
何かまずいことでもあっただろうかと、ヒカリが冷や汗をかいた時。
「あのー、お嬢様。いい加減気づいて貰いたいんですけど?」
「え?」
顔を上げたヒカリの目に、鮮やかに揺れる桜色の髪。
腰に手を当て、ヒカリを見下ろすその顔は、悪戯っぽい笑みを浮かべて。
ヒカリの目が大きく見開かれる。
「アヤさん!?!?」
「気づくの、遅すぎ」
にしし、と顔を緩ませて、メリィ・ウィドウの新聞屋・アヤが笑った。
……。
…………。
「高い高い高い高い」
「ちゃんと掴まってなさい!」
「ひゃああああああ」
「舌噛むわよ!!」
聖都の空を、赤い鳥が飛んでいる。
高い建物の屋根から屋根へ、赤い光が尾を引きながら飛び移っていく。
両足から炎を噴き出したアヤの、その背に負ぶさったヒカリの悲鳴が空に響き、通りを行く人々が唖然としてそれを見上げる。
数分前。
突然部屋に現れたアヤに固まるヒカリの前で、アヤは侍従の衣装を翻し、くるりと回って笑ったのだった。
「どう? 結構イケるっしょ」
「な、ななな」
「さっすが、名家コノエ家。侍従の服一つでもいい生地使ってるわね」
「ア、アヤさ……。なんで、なんでここに」
ぱくぱくと口を開けるヒカリを見下ろして、アヤは再び腰に手を当て、屈みこんだ。
「あなたを連れ戻しに来たに決まってるでしょ」
こつん。
二人の額が触れ合う。
「あ。あの、でもでも、これはお家の事情で。仕方のないことで……はぶっ」
ヒカリの頬を両手で挟んで口を塞ぎ、アヤが意地の悪い笑みを浮かべた。
「悪いけど、ヒカリちゃんの事情なんて聞いてないの」
「ええ!?」
「行くわよ。……逸れ。『
「えええええ!?!?!?」
そして、ヒカリは拉致された。
脚力強化に特化させた赤魔法で、アヤは聖都の空を疾走し、ヒカリを運んでいく。
「私はね、ヒカリちゃん。今まで、自分勝手に生きてきたわ」
「家にいた頃も、家を出てからも、いつだって自分が好きなように生きてきた」
「後悔なんて、することばっかりよ。でも、絶対に反省なんかしないの」
「だって、それが自分らしい生き方だって信じてるから」
「私はこれからも、好き勝手に生きてくわ」
「自分勝手に、生きていく」
「ねえ、ヒカリちゃん。あの春の森でね。私、ホントはあなたを助けるつもりなんてなかった」
「見つけたのは本当にたまたまだったし、一緒に着いていくことにしたのだって、あなたを盾にして逃げるつもりだったから」
「でもさ」
「ヒカリちゃんったら、私が何もしなくたって勝手に囮になろうとするんだもん」
「びっくりして思わず助けちゃったわよ」
「結局、助けられたのは私のほうだったけどね」
「私はあなたに助けられたのよ、ヒカリちゃん」
「私だけじゃない。シャオレイさんも。曖昧屋も。セイカさんたちも。ハズキだって、みんなあなたに助けられた」
「あなたの笑顔は眩しすぎて、私にはちょっと目の毒だったけど」
「ねえ、信じられる?」
「あの曖昧屋ジンゴが、私に頭下げてきたのよ?」
「サイオンジ家から貰った報酬全部差し出してきたから、それでドタマぶん殴ってチャラにしてやったわ」
「だからね、ヒカリちゃん」
「大人しく、私たちに助けられなさい」
「あなたみたいな子は、笑ってるのが一番いいのよ」
「え?」
「これからどうするのかって?」
「ふふ」
「応援よ」
「ヨル君のかっこいいとこ、間近で見たいでしょ?」
……。
…………。
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