ガキとチンピラ

 薄らぼやけた青空であった。

 雲一つない晴天を、乾いた空気に乗って散る砂塵が白くぼかしているのである。

 西から、強く風が吹いている。

 一日毎に温度を下げていく風が、野に、山に、街に、人に、やがて来る冬の足音を運んでいく。


 どこからか、銀杏の葉が。

 何処の山から飛んできたのか、風に乗ってひらひらと、色褪せた黄色の葉が陽光を撥ね返して虚空に舞う。

 ひらひらと。

 くるくると。

 やがて風の力が尽き、その一枚の葉が砂埃の立つ地表に落ちたと同時。


「ごっはぁ!!」


 むくつけき半裸の男が倒れこみ、その葉を押し潰した。


 おおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!!


 歓声が、天から降ってくる。

 燦燦と照る陽の光がその声を発しているかのように、天の四方から大音量の歓声が鳴り響いている。


 地に臥した男は、目の前の石造りの舞台―今さっきまで自分がいた場所の縁に立つ、黒外套の男の背を見上げた。

 風に靡く艶なしの黒髪と、そこから覗く青白い肌。

 細い背中。


 そこに、赤い髪を振り乱した獣人の男が襲い掛かる。

「どっらぁ!!」

 豪速で繰り出されたハイキック。

 黒髪の男の首をもぎ取るようなその一撃は、流れるように動く男の腕に絡み取られ、そのまま後ろに投げ飛ばされた。

「うあああ!」

 自身の攻撃の勢い分だけ上乗せされたスピードで吹き飛んだ赤髪の獣人が自分の横を転がっていくのを、先に投げ飛ばされた男が呆然と見る。


 まるで数瞬前の自分の姿の焼き直し。

 そして、僅かに目を離した隙に、黒髪の男の前に次の襲撃者が現れている。

 灰色の髪。

 尖った耳。

 天を衝くかのような巨躯。

 舞台の下からそれを見る男には、その巨漢に見覚えがあった。

 昨今の巷で人々の口を賑わせている皇国戦士団の新鋭。

 灰色狼の獣人だ。


 黒髪の男とは、頭三つ分は身長差がある。

 地を震わすような足踏みで、巨漢が迫りくる。

 黒髪の男は、舞台の縁に踵をつけたまま、腰を落とした。


「嘘だろ……」

 思わず、声が漏れた。

 黒髪の男は、退かなかった。

 当然だ。既に自ら退路を断っているのだから。

 そして、避けなかった。

 躱さなかった。

 襲い掛かる巨漢の戦士を、見上げるような威容を、真っ直ぐ迎え撃った。


「ぐるぅあああ!!!」

 猛る怒声と共に巨大な拳が発射される。

 空を切る音。

 黒い外套が煙のように翻り、巨漢の戦士の懐に潜り込む。

 そして。


「ぐおお!?」


 投げた。


 ずしゃあああん!!

 桁違いの地響きが舞台の外側の砂地に轟き、先に退場していた不運な男数人を巻き込んで、巨漢の戦士が転がっていく。


 頭上から、割れんばかりの歓声が降ってくる。


「すげぇ……」


 それを見上げる男の声が、震えた。


 ……。

 …………。


 獣国領ペイジンの街で年に一度行われる大闘技大会には、出場にあたり特に制限が設けられていない。

 そのため、例年200名を超える参加者が集まるのであるが、その大量の選手を篩にかけるため、予選ではバトルロイヤル制が採用されている。

 参加者を二十名前後のグループに分け、各グループ毎に一度に舞台に上げ、一斉に戦わせるのである。

 ノックアウト、若しくはリングアウトで失格となり敗退が決まる。


 そのルールを聞いたヨルは、開始のゴングが鳴ると同時、勃発した乱戦からすり抜け、自ら舞台の端へと向かった。

 それを見た周囲の選手の内大半は興味を失くし目の前の相手との組合を始め、幾人かの選手は、美味しい獲物を狩ろうと我先に襲い掛かった。


 ヨルの作戦の肝は三つ。

 自ら選手たちの輪の一番外側に立つことで死角を失くし、背後からの攻撃を思慮の外に置くこと。

 向かってくる相手は当然みな勢いが付いてくるので、慣性を利用し投げ技を決めやすくすること。

 そして、自分よりも後ろに投げれば必然的に相手をリングアウトにすることが出来るため、一人を倒す労力を節約できること。


 結果、ヨルは一人で5人の選手を退場させ、体力を温存することに成功したのだった。

 四方から降り注ぐ歓声を浴び、ヨルは涼しい顔をして外套を脱ぎ捨てる。

 真白いシャツから、引き締まった二の腕が覗く。

 その視線の先に、ジャッカル型の獣人を地に捻じ伏せた薄黄色の髪の男が映る。

 周囲には、打ち伏せられた男たちの体。


「はっ。生き残りやがったか、ヨル」


 顔の右半分を赤く腫らした、ヤマネコ型の獣人が振り返る。


「おかげさまでな、レンリ」


 それまで頑なにその場を動かなかったヨルが、ゆっくりと歩を進めた。

 レンリは自身が打ち倒した男の体を後ろに放り投げると、顔中にかいた汗を両手で拭い、そのまま髪を後ろに撫でつけた。

 こきこきと首を鳴らし、ヨルの歩みを待つ。

 その顔が、堪えきれぬようににやりと笑った。


「人族のガキが俺らの祭りででけえ面してんじゃねえぞ。言っとくが、てめえの妙な魔法は全部使用禁止だからな」

「はっ。どいつもこいつも俺よりでけえ面ばっかじゃねえか。思わず叩き潰したくなるぜ」

「そういやあ、てめえには俺が育てた肉横から掻っ攫われた借りが残ってたっけなぁ」

「ああん? お前こそ俺が狙ってた最後のタン横取りしやがったじゃねえか」

「てめえがバカスカ徳利干すから俺が楽しみにとっといたラオチュウ開ける羽目になったんだったなぁ」

「お前が馬鹿みたいに騒いでタレぶちまけるから俺の一張羅に染みがついちまっただろうが」


 一歩。一歩。

 ヨルが歩み寄っていく。

 やがて両者は舞台の真ん中で対峙した。

 そして。


「ありゃハイジュンだ! クソガキがぁ!!」

「紛らわしいんだよ! チンピラ野郎!!」


 両者の怒声が交わった。


「ごぶっ」


 互い繰り出した握り拳は、ヨルの頭上を掠め、レンリの顎を打ち抜いた。

 レンリがたたらを踏む。

 その踵が、強く地面に叩きつけられた。


「どらぁ!」

 上段足刀。

 空を切る。

 地に臥せたヨルの黒髪が靡く。


 ヨルの体が伸びあがり、その手がレンリの襟元に迫る。

 ごん!

 レンリの頭突きがヨルの額に打ち付けられる。

「っくあ」


 後退したヨルの腹に、追い打ちするレンリのボディーブローが迫る。

 ヨルの眼がぎらりと光る。

 繰り出された腕を絡めとり、遠心力をつけてレンリの体を引きずり倒す。

 

「ぐおおお」

 レンリの右足が大きく前に踏み出され、倒される直前で堪えた。

 一瞬で力を抜いたヨルが、レンリのむき出しの脇腹に膝蹴りを叩き込む。

 レンリの顔が苦悶に歪む。

 渾身の力で強引にヨルを突き飛ばし、距離を離す。

 その反動で地を転がったレンリが体勢を立て直す。

 その太腿が、矯められ、太く膨らんだ。

 足の指が石床を掴む。


 それを見て。


 ふぅぅぅぅ。


 ヨルは深く息を吐いた。

 目は半眼に伏せられ。

 両手は前に。

 腰を落とす。


「悪いな、レンリ」

 小さく、ヨルが呟いた。


「ぐるぅああああ!!!」

 力を解放したレンリが、砲弾の如き速度で飛び出す。

 

 インパクト。

 ごしゃっ、っと、交通事故のような音を立てて土ぼこりが舞う。

 数秒で晴れた視界の中から現れたのは、顔から地面に叩きつけられたレンリと、その腕を絡めとってのしかかるヨルの姿だった。


「俺は、魔法を使わないほうが強い」


 レンリの体から、力が抜け落ちた。

 一瞬の静寂の後、爆発するような歓声が天から降り注ぐ。


 ヨル、本選出場。


 ……。

 …………。

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