曖昧な男
「玄関前の掃除終わりましたよ、ユズリさん」
「ああ、ご苦労様です。一度休憩にしましょうか」
「はーい」
「正直、あなたが来てくれて助かりました。今の時期だと、欠員の補充も容易ではありませんから。随分手慣れた様子ですけど、貴族家で働くのは初めてなのでしょう?」
「んー、働くのは初めてですかねー」
「?? まあ、仕事をきちんとこなして頂ければ結構です」
「わ。センダイ屋のお菓子じゃないですか。新作!」
「よくご存じですね。本当はお嬢様に召し上がって頂く予定だったのですが」
「まだ、元気ないんですか、お嬢様? っていっても、私まだ、一目も見てないですけど」
「そうですね。……ああ、すみません。あなたを疑っているわけではないんですが、どうしても旦那様が神経質になられていて、古参の者しか近づかせてくれないのです」
「ふーん。過保護な親を持つと大変ですねー」
「それだけ、心配されているのです。詮索は、控えて頂けると助かります」
「大丈夫ですよー。お給料さえ頂ければ、なんも文句なんかないですって」
「あなたも、不思議な方ですね……」
「そうですかね?」
「まあ、今日来られる方も相当の変わり者ですが」
「あー。なんでしたっけ。『曖昧屋』? 聞いただけで癪に障りますよねー。絶対碌な奴じゃないですよ。足ひっかけていいですか?」
「冗談でもやめてください。その場で解雇しますよ?」
「ご勘弁ご勘弁。冬が来る前に貯蓄しとかなきゃなんないのに」
「リスですかあなたは……」
……。
…………。
重く、低く垂れこめた鼠色の雲が、うねるように風に流れ、動いていく。
明け方より西の空からやってきた雲は、瞬く間に聖都の空を覆いつくし、都全体を陰気な雰囲気に包みこんだ。
その日、コノエ家の屋敷にメリィ・ウィドウの街の曖昧屋・ジンゴが到着したのは、丁度午過ぎのことであった。
門を開けた使用人に目を剥かれても一向に気にすることなく、ジンゴは案内された応接室へと真っ直ぐに向かった。
「……どうなされた、ジンゴ殿」
そこで出迎えたコノエ家の当主・マサナにも同じような反応をされ、ジンゴはそれでも顔色を変えず(いや、顔の色はいたる所が蒼黒く変色しているのだが)、包帯で巻かれ掌をすっぽりと隠された左腕を挙げて、立ち上がったマサナを制した。
マサナは、部屋に侍り温かい茶の用意をしていたユズリに目配せをする。
「今、冷たいものをお持ち致します」
恐らくは口内も怪我をしているのだろうことを察したユズリが、部屋の暖炉の火を少し強くし、部屋を出た。
マサナの勧めに応じ、黒革のソファーに座ったジンゴの対面に、マサナも座り込む。
「それでは長旅も辛かろう。足労をかけたようだ」
「構わん。元より、こちらにも要件があった」
「要件?」
「いや、先にそちらの話を聞こう」
見るからに満身創痍の体でなお自然体に振る舞うジンゴに、いささか不気味なものを感じながらも、マサナは口元を引き締め、切り出した。
「では単刀直入に。此度の件、貴殿の口から詳しく話を聞かせてもらいたい」
「成程。いいだろう」
そうして、ジンゴは語り出した。
秋の始め、二人の聖騎士の来訪から、獣国での狩猟。玖咳無角との遭遇。再びの登山。神樹の元での死闘。そして帰国後、ハズキから下された通告。
マサナは黙って、それを聞いていた。
一息に語り切ったジンゴが、包帯の巻かれていない手で、冷えた湯呑を啜る。
マサナは眉間に皺を寄せたまま、両手を顔の前で組んで俯いた。
「ヒカリは昔から、よく人に好かれる娘であった」
呟くように、マサナが漏らした。
「腕はいいが偏屈で有名な庭師の男も、阿漕な商売で財をなした商人の男も、みなヒカリの前ではにこやかに笑っていた。魔族だの獣人だの、ましてや政敵の娘だなどと、あの子には関係のないことなのだろうな……」
探るような目で、マサナがジンゴを見遣る。
「実はな、先日帰って来てからというもの、ヒカリの様子がおかしい」
「ほう?」
「元気がないのだ。あの、輝くような笑顔が、すっかり消え失せてしまった」
「甘味は与えたか」
「人の娘をなんだと思っている。……まあ、菓子の類は山のように用意して待っていたのだがな。手をつけなんだ。それどころか、使用人たちに分け与える始末……」
そこでジンゴは、脇に避けていた荷物から、小さな包みを一つ取り出して、テーブルに置いた。
「ならば、これを与えてみろ」
「これは?」
マサナが、訝し気にそれを開ける。
「エルザ・エイプルからだ。そう言えば分かる」
それは果たして、個別に包装された干し柿であった。
「何者だ、そやつは?」
「ただの酒造の一人だ。ヒカリの住まいの隣人であった。街を出るときに託されたのだ」
しばしそれを検分していたマサナは、溜息と共に、包みをテーブルに置き直した。
「干し柿など、クマラ産の一等品を既に用意してある。ヒカリはそれも食べなかったのだ。申し訳ないが、素性のしれない女の、しかもその名前からして、魔族であろう者の品など、与えたところで無駄であろう」
「ふむ……」
そこでマサナは、急に寒気を感じたように、肩をぶるりと震わせた。
それを見たユズリが、暖炉の火を強くする。
マサナはもう一度深く溜息を吐くと、膝に手をやり、腰を上げた。
「貴殿の話は、大変有意義であった。報酬は既に用意させていたが、ここまで足労をかけた分も重ねよう。今――」
「ヒカリを街に返してやったらどうだ?」
立ち上がりかけたマサナの顔が、固まった。
「…………何だと?」
ジンゴは相変わらず顔色を変えず、淡々と言う。
「ヒカリの笑顔とやらが見たいのならば、それが一番確実な方法だ」
「ふざけるな!!」
マサナの拳がテーブルに叩きつけられる。
それを涼しい顔で受け流し、ジンゴは続けた。
「あいつの望みは、『人の役に立つ聖騎士になること』だそうだな。ならば、それを叶えてやればいいだろう」
マサナの顔色がみるみる赤くなっていく。
叩きつけた拳が、小さく震えている。
「私とて、叶えられるものならばそうしたい。だが、私が遠方より手をつくしても、あの子は自ら危険へと首を突っ込んでしまう。信の置けるものに守らせようにも、表向き危険度が低いと定められている赴任先に、複数名の派遣を許すことは慣例上出来んのだ」
「ならば、聖騎士でなければどうだ?」
「……何だと?」
マサナが、再びソファーに腰を下ろした。それは腰を下ろしたというよりは、力が抜けて倒れこんだというような有様であった。
「まさか、……まさかとは思うが、あのヨルとかいう吸血鬼の小僧のことを言っているのではあるまいな」
「だとすれば、どうする?」
「ジンゴ殿。悪ふざけはそこまでにしてもらおう。貴殿に仕事を任せたのはミヤマ殿からの紹介あってのこと。由緒あるコノエ家の当主が、一人娘を吸血鬼の子供に託すだと? それ以上愚昧な事を言うようなら、金輪際貴殿に仕事を依頼することはない」
「あの小僧はただの小僧ではない。お前ならば知っていよう。あのイズマ・オトナシを一対一で打ち負かした小僧だぞ」
「馬鹿な。あの伝説の暗殺者ならば、とうの昔に闇に消えたはず。なぜ今更――」
「俺も顔を見たのは初めての上に、今はモトベと名乗っていた故、そうとは気づかなんだがな。しかし、帝国騎士団による確かな調べだ。間違いはあるまい」
「信用できるものか。もしそうだとして、確かに彼の男なのだとすれば相当の高齢の筈。何の武功にもなるまい」
「ならば、獣国の像追い祭りで優勝したという話ならばどうだ」
「くどい! 足の速さでヒカリが守れるか!!」
「ではどんな男ならばヒカリを任せるに足ると?」
押し問答にうんざりしたマサナが、ソファーに深く背を預けた。
嘲るような引き笑いでジンゴを見る。
「ふん。獣国に行ったのならば、もうじき東部の闘技大会があるはずだろう。ヒカリを守ると言うのであれば、少なくともそこで優勝でもしてもらわなければな」
「無茶を言う。一対一の純粋な戦闘で人族が獣人に勝てるとでも?」
「そのくらいの無茶は聞いてもらわなければ困るな。私からヒカリを奪おうというのであれ、ば……」
マサナの言葉が止まった。
その手が、口元が、小刻みに震えている。
「な……なんだ?」
寒い。
赤々と暖炉の燃える室内で、鳥肌が立つほど体が冷えている。
思わず正面のジンゴに目を遣れば、どす黒い青痣に隠れた彼の皮膚も、白く色を失っているのが分かった。
そして。
「
地の底から響く、不吉の声が。
ジンゴの足元の影が、歪に形を変えていく。
マサナが、ユズリが、息を呑んだ。
ぞわり。ぞわり。
魂を引きずられるような怖気が這い回る。
やがて影は立ち上がり。
艶のない黒髪を首筋まで伸ばし。
肌は病的な白。
二つ、血の色の赤。
蠢く影を従えて顕れる。
夜の王の姿。
「き、貴様どこから!!??」
「聞イタゾ、まさな。確カニ聞イタ」
「何!?」
「努々約束、違エルナヨ」
ざわ。
闇の絨毯がはためき、部屋の窓が勢いよく開いた。
ごうっ。
「ぬぅ!?」
巻き起こった突風にマサナが顔を顰めると、隠形と化した闇の魔物は、黒い霧を棚引かせて、窓から飛び出していった。
正面からそれを見たユズリが思わず尻餅をつく。
呆然とするマサナは、しばらく口をぱくぱくと動かし、そして対面に座るジンゴが今の事態にも平然としていることを認めた。
「き、貴様、あの魔物を連れ込んだな!?」
恐らく屋敷の外からずっと、その影の中に吸血鬼を潜ませていたのだろう。生身の人間には負担が大きすぎたのか、ジンゴの額には脂汗が浮き、唇から血の気がなくなっている。
「貴様一体誰の味方だ!!??」
激昂するマサナに対し、ジンゴは口の端を僅かに引いて答えた。
「俺は曖昧屋だ。誰か一人の味方などせん」
「ぐ。……こ、の」
「今回は、おまえたち貴族家のいざこざに力を貸しすぎたのでな。今はメリィ・ウィドウの連中に使われてやっている」
「ふ、ふざけるなよ。あんなものは約束でもなんでもない。証文も取らずに私の言質を取ったなどと――」
『ふん。獣国に行ったのならば、もうじき東部の闘技大会があるはずだろう。ヒカリを守ると言うのであれば、少なくともそこで優勝でもしてもらわなければな』
「な!?」
ジンゴが左手に巻かれた包帯を解くと、その中から黒い箱型の魔道具が姿を現した。
「記音の魔道具だと!? 何故そんなものを貴様が持っている!?」
「言っただろう。俺は今、メリィ・ウィドウの街の使いとして来ている。あの街には、鼻持ちならん新聞屋の小娘が一人いてな」
「あ……う」
マサナの体から力が抜け、再びソファーに倒れこんだ。
「旦那様!」
慌ててユズリが駆け寄る。
それを見てジンゴは立ち上がり、色を失ったマサナを見下ろした。
マサナが、忌々し気にそれを見上げる。
「最初から、私を謀っていたのか……?」
「一応言っておくが、今回のことにゲンジは関わっていない。俺の独断でやったことだ」
「貴様……」
「しかし、お前もこのままでは納得出来んだろう。ここは一つ、俺とも勝負してもらおう」
「勝負、だと?」
ジンゴはテーブルに放られたままの包みを持ち上げ、マサナの前に突き出した。
「これを、ヒカリに差し出せ。貴様が積んだ菓子を拒んだあやつが、この干し柿を口にしたなら、お前は大人しくヨルとの賭けに乗れ。あやつがこれを拒むようなら、メリィ・ウィドウはあやつから手を引こう」
「馬鹿な……」
マサナの震える瞳が、突き出された包みとジンゴの顔を往復する。
やがておずおずと伸ばされた手が、その包みを掴んだ。
……。
…………。
そして、数日後。
青く晴れ渡った空の下。
獣国の中でも有数の大都市、ペイジンの街で、年に一度の大闘技大会が催された。
時は大会当日の早朝。
大会にエントリーする獣人の男たちでごった返す受付近くの広場で、退屈そうにその人込みを眺める男の姿があった。
黒い髪に、丸い耳。
周囲の獣人の男たちの中でも頭一つ高い巨躯。
傭兵ヘイシン・ウェン。
毎年代わり映えのないその風景を見るともなしに眺めていたヘイシンは、広場の入り口が俄かに騒がしくなっていることに気づく。
その騒ぎの中心を見て、ヘイシンの口元が、にやりと笑った。
ゆっくりと歩を進め、その騒ぎに近づいていく。
周りの獣人たちはヘイシンの姿を認めると、こぞって道を開けていった。
そして、ヘイシンは立ち止まり、一人の少年を見下ろす。
「人族の男がこの街に何をしに来た」
威圧を込めて発されたその問いに、周囲の男たちが息を呑む。
少年は、春の日差しのように穏やかな声で、それに答えた。
「ええ。ちょっと優勝を貰いに」
……。
…………。
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