最強の家族

「アヤヒ、お嬢様……!」


 テンヤの声が、上ずった。

 感極まったように口元を震わせ、目を見開く。

「ようやく、……ようやく――」

「あら、お師匠。久しぶり。髪切った?」


 立ち込める粉塵の中心に立つアヤは、それをさらりと受け流し、軽やかに笑った。

 テンヤはその表情に一瞬言葉を失い、そして、目元を拭うと恥ずかし気な笑みで答えた。


「ええ。貴女がサクラザカ領を出奔した時に」

「あらそう。いいんじゃない、短髪も」

「貴女こそ、随分と髪を切られましたな」

「残念でした。私はこっちに来てからよ。原稿彫るのに邪魔だったから」

「サクラザカ家の令嬢が、このような街で――」

「あーあー。今そういうのいいから」


 詰め寄ろうとするテンヤをぞんざいな素振りであしらい、つかつかとヨルの元に歩み寄った。

 ヨルは赤く泣き腫らした顔でそれを迎え。


「アヤさん。どうして……」

「ふんっ!」


 ぼごっ


 脳天を、殴られた。


「いっっったい……」

「なーに情けない顔してんのよ、ヨル君」

 鈍器を振り下ろされたかのような痛みに蹲るヨルを、アヤは両手を腰に当てて見下ろした。


「ここに来る途中で、ちょっと寄り道しちゃってね、大体の事情は知ってるし、今がどういう状況かも聞いてる。確かにきついときなのは確かよ。けどね、あなたがこんなとこで蹲ってちゃ――」

「今立ち直ったとこだったんですよ!!」


 先程までとはまた別の涙を目に浮かべて怒鳴るヨルに、アヤは目をぱちくりとさせ、すぐに鼻で笑って見返した。

「あら、そうなの。ならその泣きべそかいた顔なんとかしたら?」

「アヤさんこそ、どこから駆けつけてきたのか知りませんけど、二日酔いで吐いた匂い誤魔化せてないですからね?」

「魔法使って夜通し走って来た姉貴分にそういうこと言う!?」

「このボロボロの体見て拳骨寄越す人に言われたくないですよ!」

「……」

「…………」

「ぷっ」

「ふふっ」

「……もう大丈夫そうね」

「ええ、お陰様で」


 ゆっくりと、ヨルが立ち上がった。

 艶なしの黒髪をかきあげて。

 満身創痍の肌は蒼白。

 しかし、その口元には、春の陽射しのような微笑みがあった。


「カグヤさん」

「ええ」

「マーヤさん」

「うん」


 メリィ・ウィドウの街を守る二人の女傑が、それに応える。


「いただきます」

「「召し上がれ」」


 ずるり。


 泥沼をかき混ぜるような音と共に、ヨルの足元の影が妖しく蠢き、カグヤとマーヤの影に憑りついた。

 二人の体がびくりと強張り、顎が上がる。


 どくん。

 どくん。


 交錯する影が脈打ち、魔力が流れていく。


「な……」

 テンヤが、唖然とした顔で目を見張る。

 それは、影を介した吸引魔法。

 血を吸うよりも確実に、魔力を奪った相手を即座に眷属化する吸血鬼の邪法。


「よせ!」

 思わず飛び出した騎士隊長を、桜色の髪が遮った。


「相変わらず無粋ねぇ、お師匠」

「そこをどいて下さい、お嬢様!」

「やぁね。ちょっと会わない間に忘れちゃったの? 私がとんでもないへそ曲がりだってこと」

「お嬢様!」

「師匠の結婚を祝えと言われれば邪魔したくなるし、家で大人しくしてろと言われれば飛び出したくなる。どけと言われりゃ、……どけないわねぇ!」


 前蹴りが一発。

 テンヤの体を後退させる。

 当然のようにガードしつつも、その不意打ちに戸惑うテンヤの耳に、どさり、と二つの体が倒れる音が聞こえた。


 床に臥した二人の女性の間に、人の形をした闇が凝っていた。

 絡みつく影の隙間から、しゅうしゅうと赤い煙が立っている。

 その異形の光景に思わずテンヤが言葉を失っていると、やがてその闇の衣はしゅるしゅると収縮し、中から二つの青白い腕が生える。

 その両手が頭部を覆い、拭いあげた。


 真っ先に目に飛び込むのは、血の気の通わぬ病的な白い肌。

 二つ、血の朱に濁る瞳。

 全身の傷は綺麗に塞がり。

 両足を力強く踏みしめて。

 闇の衣を纏い、顕れる。

 夜の王の姿。


「アヤさん。ここはお願いします」

「あいよ」


 背中越しにかけられた声に、アヤはそっけない言葉で答えると、一歩踏み出し、再びテンヤの前に立ち塞がった。


 ヨルが片手を地面に突き、影を蠢かせる。

 もう片方の手には、カグヤの残した紙のリスト。


 ごう。


 ヨルの体が闇に溶け、漆黒の霧となって、アヤが空けた天井の穴から飛び出していった。


 それを、テンヤが呆然と見送る。

「馬鹿な……。無茶苦茶だ。こんなことをして、一体何になるというのだ」

「決まってるでしょ。ヒカリちゃんを守るのよ」


 当たり前のようにそう答えるアヤに、テンヤは苛立ちも顕わに言い返した。

「たった一人の少女のために、町民の大半が吸血鬼に魂を売るというのですか!?」

「勿論よ。だから私も、ここに来た」

「だから、それが無駄なことだと言っているのです。万が一彼が勇者に勝てたとして、その後はどうなるのですか。勇者を操っているのはサイオンジ家なのでしょう? 下手に力で勝ってしまえば、今度こそ問答無用で街ごと潰されてしまう。だからこそ私が――」

「ああ、それなら心配ないわよ」

「何ですって?」


 アヤはテンヤの言葉を軽くあしらうように遮ると、腰を落とし、構えを作った。


「今、聖都にはあいつ・・・がいるもの」


「あいつ、ですと?」

「もう一人、いるのよ。この街にはね。この状況で、あいつが何もしてないわけがない」

「誰の話をしているのです」


 アヤの眉間に、心底嫌そうな皺が寄った。


「世界一曖昧な、クソ野郎よ」


 ……。

 …………。


 陽の光の届かぬ薄暗い地下室で、曖昧屋ジンゴと、モンド・サイオンジは向かい合っていた。

 ジンゴの手には、赤黒い染みのついた古い記帳と、複雑な文様と文字が刻まれた一枚の紙片。

 相対するモンドの手には、地下室の明かりを鈍く撥ね返す呼び鈴が握られている。

 既に大きく振るわれたそれから、僅かに残響が漏れる。


 その幽かな震えを掻き消すように、扉の外から大勢の足音が近づいてくるのが聞こえた。

 蹴破るような勢いで扉が開かれ、十数名の仗兵が地下室に押し入ってきた。

 すぐさま主たるモンドを守護するように取り囲み、ジンゴに向けて杖を構える。


 その人壁の奥で、モンドが溜息を吐いた。

「残念ですよ、ジンゴ殿。あなたのこと、端から信頼などしておりませなんだが……。もう少し使われてくれていてもよかったものを」

「貴様は誰のことも信頼などしないだろう。腹心の部下にまで服従の魔道具あんなものを使うほどだ」

「ええ。勿論。……ああ、かねのことならば信用はしてますよ。あなたもそのクチでしょう。一体、誰にいくら積まれて私を裏切ったので?」

「くだらん」


 ジンゴはそう言い捨てると、片手に摘まんでいた紙片を宙に放った。

「なにを――」


 そこから、地下室の僅かな明かりをも呑み込むような、闇の渦が顕れた。

 仗兵が一斉に緊張し、杖を構え直す。


 ず。

 ずず。


 蠢く暗黒の虚が、やがて凝り固まり、人の形を成していく。


 まず現れたのは、金と銀の合間のような色の、さらりと伸びた髪。

 抜き身の刀のような鋭い双眸は、灰色。

 艶のない真白の騎士甲冑。

 胸当てには、獣毛の紋様が。


「帝国騎士、……だと?」


 ざわめく杖兵たちの奥で、モンドが目を見開く。


 闇の中から顕れた男は、手に握っていた黒塗りの鞘をジンゴに渡し、自らも腰に佩いていた太刀に手をかけた。


「フソウ帝国白の騎士団第二分隊隊長――キリヤ・キサラギだ。モンド・サイオンジ。禁制魔道具の違法所持の容疑で、身柄を拘束する」


「ば、馬鹿な。どうやってこの場所に潜り込んだ……?」

 自分が最も警戒している研究施設、その最奥に突如現れた侵入者を、モンドが怪物に出会ったような目で見る。


「これだ」

 その問いに答えたのは、ジンゴであった。

 石の床に落ちていた紙片を拾い上げ、ひらひらと掲げる。

「それは――」

「陰の魔道具だ。吸血鬼の転移魔法を仕込んである」


「ありえない!! そんなものが、存在するはずが――」

「ある所にはある、ということだな」

「な……」


 わなわなと震えるモンドに、紙片を懐に仕舞ったジンゴが口元に獰悪な笑みを浮かべて言う。

「この研究施設は貴様の研究の心臓部だ。俺一人ならば潜り込めるところまでは持って行けると踏んでいたが、そのままでは戦力はおろか、武装も満足に持ち込めんことは分かっていた。この状況を作るには、貴様の警戒の届かぬ場所から直接転移させるしかなかった」

「い、いつから、仕込んでいた……?」

「かつて『夜明けの酒樽』で、生意気な吸血鬼の小僧に出会った時からだ」

「な……!?」

「この魔道具を完成させるまでに、五年かかった。全てはこの時のためだ」


 ジンゴが黒鞘から刀を抜き放ち、静かに構えを取った。


「さあ、モンド・サイオンジ。長らく貸していたものを、返してもらおうか」


 ……。

 …………。

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