彼と彼女の事情

 数十分後。


「うええええ!?!?」


 ヒカリの叫び声が、夜天に朗々と響いた。

「うぐっ……でけぇ声出すんじゃねえよ」

 その音量に顔を顰めたオロが、ぼさぼさの紺青髪を抑えて呻いた。

 その傍らで、うんざりした顔のシンが、オロの体に乱雑に晒を巻きつけながら言った。


「だから、そもそも俺たちはヨル君を襲うつもりなんか無かったんだって」


 唖然とするヒカリの前で、寒空の下で諸肌を脱いだオロの体の傷に消毒用の薬液が振りかけられる。

「痛っつ! おいシン。お前な。『もうちょい丁ね――あぐぅぁ!!」

「言わさねぇよ!?」

 眷属間の上位命令を口にしかけたオロの言葉が、自らの悲鳴で塞がれた。


「で、でもでも。その、ヨル君は真祖の吸血鬼で……」

「ああ。最初は勿論処分するつもりだったさ。けど、こっちの事情が変わってね。ちょいと話ぃ聞くつもりじゃあったが、ホントにそんだけさ」

 戸惑うヒカリの顔色が変わる。


「……ご」

「ご?」

「ごめんなさい!! 私、私、とんでもないことを――」

「あーあー。いいんだ、いいんだ。お前さんは悪くねぇ。悪いのは。全部、この、人、だから!」

「がああああ!! おい、折れる! 折れるって!!」

「ふええぇ」


 目を白黒させるヒカリに、シンは申し訳なさそうな顔で、その日の朝の出来事を説明し始めた。


 ……。

 …………。


 時は少し遡り。


「吸血鬼を助けた!?!?」


 メリィ・ウィドウの街の、行政所兼集会所。

 その、半壊した建物の前で、街の女性たちが炊き出しを行っていた。

 大鍋がいくつも火にかけられ、柔らかな湯気を冷えた空気に溶かしている。


 その周りには、街の住民、赤の騎士団の団員たち、そして昨晩のうちに街に忍び込んだ男たちまでが集まり、芋煮汁を分け合っていた。

 昨晩からの騒動で怪我をしたものたち全員に騎士団の救護班からの治療が施され、その返礼にと、街の食料と酒樽が供されているのである。

 街の住人たちの顔は晴れやかで、騎士団員や黒づくめの男たちは、バツが悪いような、気恥ずかしいような複雑な表情で、それでも暖かな湯気の中に笑みを零している。街の女性たちは、その殆どが、一様に平素よりも青白い顔をしていた。


 その中心から少し離れた場所で、背もたれの高い籐椅子に、殆ど寝そべるような格好でアヤが座っていた。

 両の手足を包帯でぐるぐる巻きにされ、隣に座るカズエの手で、芋煮と酒を交互に口へと運ばれている。

 やはり平素よりも顔色の悪いマーヤと、既に自分の治療を終えていたテンヤが、焦れたような表情でそれを見下ろしていた。


「お嬢様。今は擦り減った手足の魔力回路を恢復させている途中です。飲酒は極力控えていただかないと……」

「うっさいわねぇ。だから控えてるでしょ、四合までに。あ、カズエさん。お肉。お肉も食べたい」

「はいはい。あ~ん」

「あ~ん」

「お嬢様……」


 深々と溜息を吐くテンヤの横で、マーヤが苛立たし気にこめかみを揉んだ。

「おい、アヤ。もう少し詳しく説明しな。あんた一体ここに来るまでに何してたんだい?」

「だから、行きずりの吸血鬼を助けてたんだってば」

「ア・ヤ」

「分かった、分かった。しょうがないわねぇ。でも、さっきも言ったけど、そっちの方は問題ないのよ。もう片付いてるから」


 そうしてアヤは、宿場町でアズミと別れてから、メリィ・ウィドウの街に辿り着くまでのことを話し始めた。


 ……。

 …………。


 それは、アヤが帝国領の宿場町から飛び出し、国境の関所を殆ど素通りするような速度で飛び越し、聖国領内の街道を疾走していた時のことであった。


(あれ。……この感じ、ヨル君? なんでこんなトコに??)


 時刻は明け方。

 東の空に陽が昇り、徐々に影が短くなりつつある頃。アヤは素通りしようとしていた目の前の街――メリィ・ウィドウの街から街道二つ分離れた場所に位置する大きな街から、身に覚えのある魔力の気配を感じ取った。


(いや。微妙に違う気もするけど……。まさか別の吸血鬼? ううん。念のため様子見だけ……)

 その魂を引き摺るような陰の魔力は、よくよく感じ取って見ればヨルのそれとは違ったもののようにも思えた。しかし、どの道街の外からも感じ取れるほどに大きな陰の魔力を、ただ放っておくこともできない。


 アヤは両足に燃やしていた赤の魔法を最小限にまで抑えて街に入り、その気配を辿った。

 そして、街の外れの資材倉庫で、見るからに具合の悪そうな男へ、真白いローブを羽織った数人の人影が近づいているのを見つけたのだった。

 その人影のうちの一人が、ぐったりとした男の首筋にかかる黒革の枷を、無造作に掴み取ったところまで。


 倒れ込んだ男は間違いなく吸血鬼。

 その首枷には、つい先ほどお目にかかったばかり。

 それに手をかける男たちは、どう見ても教会の関係者である。


 思考に要した時間は一秒にも満たなかった。


 アヤは両足の炎を最大限に盛らせ、跳んだ。

 首枷へと手を伸ばした男の、その伸ばされた腕側の脇へと一瞬で踏み込み、急停止の勢いをそのまま右脚に乗せ、脇腹を蹴り上げる。

 一切の抵抗も出来ず、まともにその一撃を喰らった男の体が宙を舞い。

 その拍子に男のローブを留めていた釦が弾け、ぶつん、と音を立てた。


 突然の闖入者に色めき立つローブ姿の男たちは、全員一発ずつで沈められ、地に転がった。


「…………さて。思わず助けちゃったけど。どうしたもんかしら」


 ぱたぱたと埃を掃ったアヤは両手を腰にあて、改めて首枷型の魔道具――『帰順の消印』を嵌められた男を見遣る。

 歳は三十半ば程であろうか。人族の男だ。血の気を失った肌の色と、気を失ってなお、どろりとした悪寒を感じさせる陰の魔力。


 正直に言って、事情が全く分からない。

 ただ、正当な手順を踏まずに外そうとすればすぐさま装着者の命が断たれる服従の魔道具が、あれほど無造作に扱われていたのだ。今地面に転がっている男たちが、この吸血鬼を殺そうとしていたのは間違いない。


(曲がりなりにも禁制の魔道具。これを用意した連中にはそれなりのバックボーンがあるってこと。……確か、ヨル君を罠に嵌めようとしてたのはサイオンジ家よね。何か関係があるの、かも…………んん?)


 ぽつりぽつりと思考を組み立てるアヤの前で、気を失った吸血鬼の男の体から伸びる影が、ぐにゃりと形を変えた。


 ずるり。

 ずるり。


 泥沼を掻きまわすような音を立てて、そこから、艶のない黒髪を背中まで伸ばした、一人の少女が這い出してきた。

 血の色の瞳が、アヤの顔を見据える。


「オ前ガ、コノ人ヲ……!!」

「え? ちょ、違っ――」

「ヨ、ク、モォォォ!!」


 ずおぅ。


 闇の気が吹き出し、アヤに襲い掛かる。

 その、鬼気迫る少女の脳天に。


「聞きなさいっての!」


 アヤの手刀が振り下ろされ。


「はうっ」


 白目を剥いた少女が、地面に転がった。


「何なのよ、もう……」

 新たな気絶者が増えた冬空の下で、アヤが盛大な溜息を吐いた。


 ……。

 …………。


 オロとシンの二人がその念話を受け取ったのは、陽がまもなく南天に差し掛かろうかという時分のことだった。


 行方不明になっていた第六世代の眷属を発見したと、彼の血を吸った第五世代の女吸血鬼から連絡が入ったのだ。

 涙混じりに語られたその報告の内容を聞いて気色ばんだオロは、すぐにメリィ・ウィドウの街へと飛ぼうとした。

 あの秋の日、獣国で行われた闘技大会にて優勝した少年――ヨルが、この大陸に新たに誕生した真祖の吸血鬼であり、自分たちを襲撃した貴族――サイオンジ家の一派と通じ、秘密裏に眷属の拡大を図っている。とある聖都の貴族から齎されたそんな情報が、俄に信憑性を帯びてきたと考えたのだ。


(ダイゴ家……とか言ったか? あの連中)

 昨年末に聖国北部の街で捕らえた自称貴族家の嫡男、その身内を名乗る人物は、いかにも卑屈そうな笑みを浮かべて、オロたちに接触してきた。

『恐れながら、貴方がたにとっても真祖の吸血鬼の新興はご不快なのでは?』

 そんなことを言う男に対し、「自分の家の嫡男を攫った男に、彼を返せと迫るでもなく、そんな情報を寄越してくる理由はなんだ」と問うたオロに、男の言いて曰く――。


『お恥ずかしながら、ノブタダ様は聖騎士としては無能もいいところでしてね。出来損ないの嫡男を穏便に消してくれたことに、こちらこそ御礼を言いたい気分なのでございますよ』


 それを聞いたオロは、それ以上その男と関わることを止めた。

 貰った情報が真だろうと偽だろうと、取り敢えず帰りがけにこの貴族家は潰していこう。オロはそう決めていたのだった。


 自分がやらなければならないことは三つ。


 人造の勇者――ヤマト・サイオンジを殺す。

 真祖の吸血鬼――ヨルを殺す。

 ついでに彼の拠点となっている街も潰す。


 仕事は早ければ早い方がいい。

 オロの足は、自然と急いていた。


 しかし。


『オロ。済まんが一度、俺の眷属を保護して、事情を詳しく調べてくれ』


 第五世代の少女からの念話のしばらく後、オロにとっては唯一同格の眷属であるギムリから、そんな念話が届いたのだった。

 話を聞くに、件の少女が、自分の『子』にあたる眷属の魔力が探知された途端に自ら飛び出して行ってしまい、魔国から聖国までの行きの道のりで魔力を殆ど使い切ってしまったのだという。

 無事に発見されたという第六の男も早めに魔国に帰してやったほうがいいだろうし、彼女たちとは別に、冷静な目で状況を把握しておいたほうがいいだろう、と。


 そうしてオロは、仕方なしに一先ずの行先を、男を発見した街へと向けることにしたのであった。


「はぁ~あ。やっぱ聖騎士になんぞ関わるもんじゃねぇな。気分わりぃ」


 そんなぼやきに込められた底知れぬ怒気によって、従者のシンを蒼褪めさせながら。


 ……。

 …………。

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