虹の怪
ヒカリとツグミがその騒ぎに気付いて食堂の外に出た時には、既に街の入口には人だかりが出来ていた。
寒空の下、数人の町民たちが一人の男を囲んでおり、少し離れて、遠巻きに様子を伺っている幾人かの女性たちの姿がある。
「見たんだ。本当に見たんだ!」
「いや、しかし、あんた……」
「そうは言ってもなぁ」
男はまだ年若く、濃い金色の髪を頭の後ろで縛り、埃に塗れた旅装に身を包んでいる。
その声は震えており、顔色は心なしか蒼い。
それに対して、周りを囲む町民達はみな困惑顔であった。
その中の一人に、ツグミが声をかける。
「どうしたんですか?」
「おお、ツグミちゃん」
「ひっ。……せ、聖騎士?」
ツグミと、半歩後ろをついてきたヒカリの姿を認めた男が、引き攣ったような声を出す。
「何で、ここに……」
声を震わせ二人の少女を見つめる男に、ツグミも戸惑いながら町民の男に尋ねた。
「あの、一体何があったんですか?」
「それがなあ……」
彼もまた戸惑い混じりに、目の前で震える、蒼褪めた男の話を語った。
……。
…………。
男は、旅の商人なのだという。
扱う品物はいくつかあるが、今回は帝国で仕入れた魔石を商品としての旅路であった。
どこか程よい街で
男が街道途中の大岩に馬車を停め、休息を取っていた時――。
ぴちゃり。
ぴちゃり。
どこからか、水音のようなものが聞こえてきたのだという。
男は頭上を見上げた。
早朝の空には薄い雲が二筋三筋かかるばかりで、雨が降る様子はない。
張りつめた空気は、硬く、乾いている。
気のせいか。
男は辺りを見渡し、自分と車を牽く馬以外、何物もいないことを確かめる。
しかし。
ぴち。
ちょん。
何処からともなく、水音が聞こえる。
微かな音だ。
草の葉に乗った朝露が、一滴ずつ水溜りに落ちていくような。
ちょん。
ぴちゃん。
いや、その音が、心なし大きくなっている。
(近づいている!?)
俄かに気味の悪くなった男が休息を切り上げ、馬車に手をかけた時だった。
ごう!
突風が吹いた。
乾ききった道の地面から砂煙を巻き上げ、男の顔を打つ。
呼吸が苦しくなる。
馬が鼻息を荒くしたのが聞こえる。
それに混じって、ちゃぷちゃぷと、水袋を揺らしたような音が聞こえた気がした。
数秒経って。
ようやく収まった風に、男が恐る恐る顔を上げると、そこは先程までと同じ、何の変哲もない街道の景色であった。
興奮する馬を宥め、積み荷に異変がないか確かめようと、男が馬車の後ろに回った時、それは目に飛び込んできた。
(虹!?)
まだ登りきらない鈍色の太陽の下に、儚げに光る七色の帯が架かっていたのである。
雨は降っていないはず。
一体、何故?
狐につままれたような気分で男が馬車の中身を検めると、果たして、積んでいたはずの魔石の山が、根こそぎ失くなっていたのであった。
……。
…………。
「そんな馬鹿な……」
男の話を改めて聞いた町民たちから、呆れたような声が上がる。
「雨も降ってないのに虹なんて……」
「今朝、大風なんて吹いたかい?」
「あの街道は安全でみな使っているが、ここ十数年盗賊は出ていないよ」
「ほ、本当なんだ! 嘘じゃない!」
男は濃い金髪を振り乱して必死に訴えるが、周囲の人たちは取り合わない。
むしろ男が懸命になればなるほど、場が白けていくようであった。
「なあ、あんた。あまり人を疑いたくはないが、見たとこまだ若いみたいだし、ひょっとして何か仕事で失敗して商品失くしちまったんじゃないか? それが恥ずかしくて妙な話作ってるんじゃ……」
「そんな!!」
男が絶望的な声を上げ、周囲の人たちがそれを宥める。
(う、ううん。どうしよう……)
ツグミは困惑しながらそのやり取りを見ていた。
男の話は荒唐無稽であったが、かと言ってその必死な様子を無下にもできない。
ふと斜め後ろのヒカリに目を向けると、ヒカリは何か考え込むようにして、口元に手を当てて俯いていた。
そうしている間にも、町民たちに相手にされない金髪の男はますますヒートアップしていく。
とにかく、この場を収めなくては。
「みなさん、一度落ち着――」
「あの!」
その声を、ヒカリが遮った。
「「え?」」
突然の大声に、その場の全員が固まる。
ヒカリはふわふわとした栗色の髪を揺らして、商人の男に歩み寄った。
「き、君も、聖騎士なのか……?」
どこか怯えたような態度の男に、ヒカリがぴょこんと頭を下げ、いつもの名乗りを上げた。
そして、おずおずと男に問いかける。
「あのぅ。先程のお話なんですが……。なんというか、すごく大事なことなので、よおく思い出してもらいたいんですけど……」
「な、なんだい?」
「虹が、架かってたんですよね?」
「ああ。信じられないかもしれないが。でも、確かに――」
「お日様の下に、ですか?」
「え?」
思いがけない問いに、男が固まる。
「その。言ってましたよね。太陽の下に、虹が架かってた、って。本当に、太陽の下でしたか? よく、思い出してみて下さい」
「あ、ああ……」
男は記憶を辿るように、視線を宙にやった。
「俺は……街道を南下してた。……馬車はそのままの向きで止めて、俺は馬車の右側で休憩をしてた。……それで、後ろに回ろうとして虹を見たんだ。そうだ。間違いない。太陽と同じ向きに、虹は出てた。でも、どうしてそんなことを……」
「おかしいですよ。虹は普通、太陽と逆向きに出るはずです」
「ええ?」
その言葉に、周囲の町民たちも顔を見合わせる。
「そう……だっけ?」
「言われて見りゃ、そんな気もするなぁ」
「何でだ?」
「虹っていうのは、空気の中の水っ気が、日の光を反射して出来るんです。だから、必ず太陽と逆の向きに出るんですよ」
「ヒカリ。あんた何でそんなこと知ってんの?」
「い、いや。その。……まあ、いいじゃない。だから、私が言いたいのは――」
「あんたやっぱり、出鱈目言ってたんだな!?」
「ち、違う! 違う!」
「あ! 待って、待って下さい!」
慌てて首を振る商人と、彼に詰め寄った町民との間に、ヒカリが小さな体で割って入った。
「嬢ちゃん。なんだよ。こいつは――」
「この人が見たのは、多分虹じゃないんですよ!」
「「はあ??」」
「じゃあ、一体何があったってんだ?」
「積み荷がなくなってたのも、本当のことなんだと思います」
「だから、何で――」
「魔獣の仕業、……だと思います」
ヒカリの言葉に熱が冷めたように、一同が静まり返った。
……。
…………。
「ああ、ここにいたのか、オロさん」
「おう。どうだった?」
「報告するから、その饅頭をしまってくれ」
「しょうがねぇな、ほれ、半分」
「……こりゃどうも」
「いやあ、しかし聖国ってのは甘いものが美味えんだなぁ」
「ああ、確か、先代の勇者が甘味好きだったとかで……」
「で、報告は?」
「え? あ、ああ。……ええ、っと、そうだな。やっぱりこの辺の
「ま、そうだろうなぁ」
「どうする、オロさん。その行方不明の第六の野郎、まだ探すか?」
「ん。ん。さあて……」
「生きてるのは確かなんだよな?」
「ああ。『親』の第五の奴が、まだ繋がりを感じてるそうだ」
「……なあ、そいつ、ひょっとして逃げちまったんじゃねえのか?」
「あん?」
「言いたかねえが、ギムリの旦那のトコだろ? あそこ、下っ端には厳しいって言うぜ?」
「まあ、堅っ苦しい職場ってな、そんなもんさ」
「ウチと違ってか?」
「くっひっひ」
「けどよぉ。そうなると行先は人気の少ねえ田舎町かどっかだ。トラブルでも起こされちゃ、厄介だぜ?」
「なぁに。そう決めつけることもねえや。とにかく、あのお坊ちゃんのおかげで下手人は分かったんだ。順番に行こう。捜索にゃ、別の手を回して――」
「それだけどよ、オロさん」
「あん?」
「あんな連中の言うこと、ホントに信じるのか? どうにも胡散臭いぜ、あいつら」
「馬鹿だなぁ、おめえ。よく考えな」
「へえ?」
「いいかぃ。ああいう手合いがわざわざ俺らに接触してきたってこたぁ、情報が正しいか、あいつらがやったことの濡れ衣を着せてるかのどっちかだ」
「お、おう。そうだな」
「なら話は簡単だ。両方潰しゃいい」
「…………んん?」
「どっちかが黒なのは間違いねえんだ。何もまだるっこしいこたぁねえ。違えかぃ?」
「そりゃ、まあそうだが。けど、そうなると相手方が濡れ衣着せられてたんだとしたら……」
「ま、気の毒なのは確かだがよ。けどなぁ……」
「けど?」
「俺らが気にする必要、あるかぃ?」
「…………」
「…………」
「ま。ねえわな」
「だろ? どの道、
「うへえ。あんまやりすぎないでくれよ、オロさん」
「そいつぁ相手次第さ。……なあ、
……。
…………。
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