悩める女たち
「ツグミ、大丈夫?」
「うぅ。だいじょばない……」
ヒカリの木剣によって聖気を絞りつくされ青息吐息のツグミが、自分が間借りしている部屋のベッドに倒れ込んだ。
ここまで肩を貸してきたヒカリを弱々しく見上げ、部屋の壁を指差す。
「あの、あっちの棚に、作り置きの聖水があるから……」
「あ、私が作ったのがここに――」
「あんたのは、濃すぎて飲むの辛いのよ……」
「あう」
一回り小さくなったヒカリが棚を漁っていると、ノックの音と共に部屋のドアが開いた。
真白い髪を頭の後ろで一つに結わえた老女が、水を張った小さな桶とタオルを盆に乗せて立っている。
深く皺の刻まれた顔から、灰色の眼が鋭く除く。
「大丈夫ですか、ツグミさん?」
その、低い声音で発された言葉に、ツグミの肩がびくりと震えた。
「す、すみません、トキコさん」
顔を顰めて起き上がろうとするツグミを、トキコと呼ばれた女性が肩に手を置いて止めた。
「そのままで構いませんよ」
そして、水を絞ったタオルをツグミの額に当てる。
「あ、あの――」
「食堂で倒れたそうですね」
ツグミの言葉に被せ、ぴしゃりと問いが放たれる。
「何があったのか分かりませんが、お客さんに迷惑をかけることだけはやめて下さいね」
「はい……すみませんでした」
「結構です」
それだけ言って立ち上がったトキコの背中に、声がかかる。
「あの!」
年齢を感じさせないしゃんと伸ばされた姿勢で振り返ると、そこに、栗色の髪が揺れた。
「あの、すみませんでした。私のせいなんです!」
「……あなたは?」
「は、はい。聖王教会第五支部所属、ヒカリ・コノエと申します。ツグミとは、養成校の同期で――」
「あなたのせい、というのは?」
「あう。それは、ですね……」
威圧的な声にしどろもどろになりながらのヒカリの説明を、トキコは灰色の眼を細めながら聞いた。
「つまり、食堂で魔道具を振り回した、と?」
「あ、えと」
「ツグミさん。この街に遊びで来ているのなら、今すぐその法衣をお脱ぎなさい。元よりこの街に、聖騎士など必要ないのですから」
「……はい。すみませんでした」
「今日はもう、手伝いは結構です」
「はい……」
それきり老女はヒカリには一瞥もくれず、木桶を置いて部屋を出ていった。
扉が閉まって数秒。
ヒカリとツグミが同時に深い溜息を溢す。
「ああぁ。久しぶりにやっちゃった……」
「ヒカリぃ。聖水取って……」
「あ、うん」
力なく上半身だけ起き上がったツグミに、背中を丸めたヒカリが小瓶を渡す。
ツグミの隣にヒカリも腰掛け、ツグミがゆっくりと聖水を呷ると、もう一度二人揃って溜息を吐いた。
「ツグミ。さっきの人は……」
「女将さんのお義母さん。食堂を女将さんに譲ってて……」
「ひょっとして、さっき言ってた、『上手く行ってばっかでもない』って……」
「そ。あの人とだけ、どうにも上手くいかなくってさ」
聖気を補充し、いくらか顔色をよくしたツグミが、それでもまだ沈んだ表情で愚痴を零す。
「なんか、私が、っていうより、聖騎士のことが嫌いみたいでさ。女将さんにそれとなく聞いても、理由は教えてくれなかったし。あんまり無理に聞き出すわけにもいかないしさ」
「トキコさんは、ずっとこの街の人なのかな」
「そのはずなんだよねぇ。他所の国だと、聖騎士ってあんまり評判良くないって、聞いたことはあるけど」
「そうなんだよねぇ。私も、夏の時は大変だったなぁ……」
遠い眼をしたヒカリの横で、ツグミはベッドに倒れ込み、呟いた。
「聖騎士ってさ、なんなんだろうね?」
「……え?」
「あ、いや、別に職業的なことじゃなくってさ。ほら、こうやって精気使い果たして倒れ込んでもさ、また聖気補充すれば動けるようになるわけでしょ。聖術使って、魔獣倒して、聖気が尽きたら補充して。何か、魔道具と同じな気がしない?」
「ええ?」
「街で仕事してるとさ、ホント、びっくりするくらい聖術って使わないんだよ。そりゃそうだよね。だって、魔獣なんかいないんだもん。五色の魔法なら生活の中でも色々役に立つことあるんだろうけどさ。じゃあ、私がこの平和な街で聖騎士であることの意味って、なんなんだろう、ってさ。ふと弱気になっちゃったりもするわけですよ」
「……」
独り言のようなツグミの台詞に、ヒカリはしばし考え込み。
やがて、口を開いた。
「人を、笑顔にするためだよ」
「え?」
「ミツ、……勇者様がさ、戦争は終わらせてくれたわけじゃない。私たちはもう、敵と戦って殺す必要なんかない。それって、いいことじゃない?」
「そりゃ、まあ……」
「だから私たちは、平和な世界で、平和に生きてる人たちを、笑顔にするためにいるんだよ。それって、すごく素敵なことだと思う」
「う……」
うめき声を挙げたツグミが、寝ころんだまま背を丸めた。
「ツグミ?」
「ヒカリに、……また負けた気分」
「ええ? い、いや。その、受け売り! 受け売りだから!」
「……誰のよ?」
慌てたヒカリにツグミがジト目を向け、それを受けたヒカリが目を逸らした。
「え、ええと、…………内緒」
「こいつめー!」
「きゃあ!」
ばたん。
ツグミが後ろからヒカリに抱き着き、ベッドに押し倒したタイミングで、再び部屋の扉が開いた。
「ツグミさん」
底冷えのする低音と、灰色の眼光に二人の少女が固まる。
「随分と元気になられたようで大変結構です」
「「す、すびばせんでした……」」
……。
…………。
一方、その頃。
「一体、私はどうすれば……」
アタゴの街の中心にある大きな屋敷で、町長を務める中年の女性―カノ・タヌマが一葉の文を手に頭を抱えていた。
砂色の髪は短く切り揃えられ、少し太り気味の体を丸め、脇に書類の積まれた机に肘を突いている。
肌には染みが目立ち、眉間には深い皺。
「何故私が、こんな目に……」
思わず、といった風に零れた声は沈痛な色を滲ませ、その目は手に摘ままれた手紙に意味もなく視線を落としている。
その文面は、聖都の古参貴族であるコノエ家からのもので、几帳面な文字で、娘が旧友を訪ねるので宜しく便宜を図って頂きたい、との旨が認められている。
だが、この街の統治を任されているタヌマ家はどちらかと言えば親サイオンジ家の派閥だ。
赴任された聖騎士のツグミ・ハシバミも、サイオンジ家の令嬢たるハズキ・サイオンジの所属する第二支部からの派遣であり、当然親サイオンジ派の聖騎士のはず。
そこに、政敵であるコノエ家が一人娘を寄越してくるだと?
そもそも、数か月前にツグミが赴任されてきた時点で話がおかしかったのだ。
こんな毒にも薬にもならない(お茶にはなるが)田舎町に新人の聖騎士が派遣されるだなんて、ただ事ではない。
何かこの近辺で異変が起きているのかと、カノはしつこく第二支部に問い合わせたが、返答は「そういった事情はない」との一点張り。
何か不祥事を起こしたが故の左遷なのかとも思ったが、それらしき事件もなく、寧ろツグミは上層部の覚えもいい、有望な新人であるとのこと。
実際、やってきたツグミは人当たりも良く、社交的で、それでいて強かな、いかにも聖騎士社会で生きていくのに適した人材であった。
腑に落ちないものを抱えたまま一先ず適当な仕事を与えて様子を見ていた矢先の、今回のヒカリ・コノエの訪問である。
この訪問に政治的な意図はないと文には書かれているが、そんな言葉を鵜呑みにするような極楽とんぼでは、聖国の貴族家は務まらない。
何か工作が行われているのか。
自分の知らないうちにタヌマ家が何かやらかしたのか。
それとも、コノエ家は我が家を自分たち側に寝返らせようとしているのか。
はたまた、コノエ家とサイオンジ家は裏で何か取引を行っていて、この田舎町を隠れ蓑にするつもりなのか。
疑心は次々と暗鬼を生じ、カノの胃袋をきりきりと捩じ上げていく。
「はあ……駄目だ。とにかく、諜報からの連絡を待つしかないわね」
何度目か分からない溜息を吐いたカノの耳に、廊下を走る足音が聞こえてきた。
次いで、勢いのつきすぎたノックの音。
「今度は何!?」
思わず怒鳴ってしまった自分の声に、少しだけ冷静さを取り戻す。
(駄目よ。部下に当るようじゃあ。落ち着きなさい、私)
恐縮しきった様子の使用人に、努めて自然な風を装いながら、報告を促す。
「か、街道に、魔獣が出現したようです」
……勘弁してくれ。
カノの体が、椅子に沈み込んだ。
……。
…………。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます