未亡人たちの戦い

 ごう。


 熱風がうねり、赤い光が奔った。


 ぎん。


 甲高い金属音が弾ける。

 気を失ったままのヨルに向けて駆け出したテンヤの赤熱した拳と、縹色の髪の魔族の女性が掲げる直剣が、じりじりとせめぎ合っている。


「そこをどきなさい。流石にこれは看過できん」

「あら、つれないわね。私が相手じゃ不満かしら」

「市井の人間に振るう拳は持たん」

「なら、名乗って上げましょうか?」


 鞭のようにしなる女性の足が、テンヤの軽鎧の隙間から脇腹を蹴り上げ、直剣を払って距離を離した。

 構えは正眼。

「シンダール流剣術皆伝、アイナ・パイン」

「……『無紋』のシンダール? 何故こんなところに……」

「踊ってくれる気になったかしら?」


 不敵な顔で、それでも油断なくテンヤを見据える魔族の女性を真っ直ぐに睨み返すテンヤの頭上に、青い閃光が咲いた。

 見れば眼前の女剣士の背後で、街の代表者――マーヤが青の伝達魔法を発動させ、町中になにがしかのメッセージを送信しているのが分かる。

 その左右に、エルフと人族の女性が一人ずつ侍り、魔力を練っている。


「さあ。約束の時だ。我らが『夜の王』に、この血を捧げよう」


 芝居がかったマーヤの台詞と共に、二人の女性が魔力を込めた手を地に叩きつけた。

 その瞬間。


 ぼっ。


 灰色の煙が噴出し、天地を覆った。


「くっ。……煙遁か。総員! 息を合わせよ!」


「「「破!!!」」」


 テンヤの掛け声と足踏みに合わせ、十数名の赤騎士が一斉に魔力を解き放ち、立ち昇る灼けた気流が煙を晴らした。

 そこに残っていたのは、変わらず不敵な笑みでこちらを見据える、魔族の女剣士のみ。

 数秒前までいたはずの何人もの女性たちも、ヨルの姿も、全てが幻であったかのように消え失せている。


「さあ、お兄さん? 続きといきましょうか」

 直剣を構える女剣士――アイナに、テンヤは困惑を隠せずに問いかけた。

「貴女方は、本当にそれでいいのか?」

「ん~。何がかしら?」


「この街に、もう聖水はないのだろう? 言っておくが、我らにも持ち合わせなどない。今、彼に血を吸わせれば、吸われた者の吸血鬼化を回避する術はないのだぞ?」

「ええ、そうね」

「街の住人全員、彼の眷属になってもよいと?」

「ああ。全員ってのは言葉の綾よ。さっき恢復したばっかの人たちからは流石に貰えないし、ヨル君だって男の血なんかいらないでしょ。それに、今後吸血鬼化した人たちが街の外にでなくてもいいように、住人同士で血のやり取りができる程度には残しておかないとね」


 その言葉に、テンヤの眉がぴくりと動いた。

「……まさか、貴女方は以前よりこの街の住人を彼の眷属にする計画を立てていたのか?」

「ええ。マーヤさんが、誰と誰の血を吸わせて誰を残せばいいかは計算済みよ」

「馬鹿な! 魔族の少数派の専横で、この街の人間全ての人生を狂わせる気か!?」


 激昂し足を踏み出したテンヤを、アイナは涼しい顔で受け流し、嗤った。

「うふふ。お馬鹿さんはそっち。逆よ」

「……逆?」

「街に火急の危険が迫り、他に回避の方法はないと判断された時、ヨル君に街の住人の血を吸わせ、最大の戦力とする。この『約束』、マーヤさんは結ぶことに最後まで反対してたわ」

「何……?」

「大変だったわ、あの時は。ヨル君に内緒で何回も何回も話し合って、住民全員がそれに納得してることをあの頑固者に分からせるのに、私たちがどれだけ苦労したか分かる?」


「何故だ……。何故そこまでして、あの少年に……」

 その言葉は、テンヤの理解を完全に超えていた。

 眩暈のしそうな頭を振る若き騎士隊長に、アイナは変わらぬ微笑みと共に言った。


「あの子はね、この灰色の街の『王様』なのよ」


「おう、さま……?」

「それまで、ただゆるゆる死ぬまでの時間を過ごすだけだった私たちに、あの子は笑顔をくれたわ。あの青白い肌で、冷たい指先で、私たちに温もりをくれた。そしていつだって、私たちを守るために戦ってくれるのよ」

「……」

「男が命を賭けるなら、わたしたちは人生をあげる。簡単なことでしょ?」


 ずん。

 その言葉を振り払うように、テンヤが大きく震脚した。

「二班。アツミ殿を安全な場所へ」

「はっ」

「その他の班は、各自散開して吸血鬼の少年を探せ。……この街の狂気を、食い止める」


 拳を握り締めたテンヤに、アイナもまた、直剣を握り直して応じた。


「やってみなさい。『陽気な未亡人たちメリィ・ウィドウ』の本気、見せてあげるわ」


 どん。


 十数名の赤騎士たちが一斉に飛び上がり。

 テンヤの手甲と、アイナの剣が激突した。


 ……。

 …………。


 数分後。


「うおおおお……ぐぶっ!」


 猛る若い赤騎士の怒声を、顎を蹴り抜く膝の一撃が黙らせた。

「貴様!」

 その背後から、もう一人の騎士が拳を赤熱させて迫る。

 繰り出された一撃が、空を切る。

 朱色の風が騎士の眼前に踊り、一瞬でその意識を断ち切った。


「ば、馬鹿な。魔法を発動させた我らが、速度で劣るだと……?」

 慄く三人目の騎士に、その朱鎧の主は、嗄れ声で応じた。


「はん。文字通りの赤ん坊が、ぴぃぴぃ鳴くんじゃないよ」


「おのれ!」

 怒声と共に駆け出した騎士に、雲の流れるような動きで絡みつく。

「んぐっ」

 延髄を強打され地に倒れ伏した男の頭上に、もこもことした、大きな茶色の尾が揺れた。


 そこに過った影に、リス系獣人の老婆――シャオレイが頭上を見上げると、住宅街の屋根の上を疾駆する二人の赤い騎士の姿が見えた。

 街の中心部へと向かうその二人の太腿に、二本同時に飛来した矢が突き刺さる。

 苦悶の声と共に地上に落下した彼らに、追撃の矢が降り注ぎもう片方の足を地面に縫い留めた。


 通路を挟んだ反対側の屋根の上に、淡い金糸の髪が躍る。

 陽光を撥ね返しきらきらと光る髪の下には、長く尖った耳。


「いたぞ、弓兵だ!」

「囲んで捉えろ!」


 そこに、三方向から赤い影が襲い掛かる。

 その人物は、かけらも焦りの色を見せず、冷静に四本の矢を放った。


 一本目は右から来る赤騎士に避けられ。

 二本目はその騎士が避けた先で、その太腿を正確に射抜き。

 三本目は左方向に飛び、屋根の上の爆破罠を作動させ。

 四本目はそれに怯んだ騎士の肩を穿った。


「御免!」

 背後から最後の赤騎士が躍りかかり。


 それを、朱色の風が叩いて落とした。


「ああ。ありがとう、シャオレイちゃん」

 構えていた短刀を揺らめかせ、その男・・・が笑う。


「けっ。……何であんたなんかと共闘する羽目になってんだか」

「まぁまぁ。昔は散々殺し合った仲じゃない」

「その昔から何一つ容姿を変えてないのは嫌味かい、『狂人』?」

「ふふ。懐かしいね」


「あんたがこの街でめし屋を開くと聞いたときは、とうとう世も末かと思ったもんだ」

「あはは。でも、それを言うならお互い様でしょ? 弟子は一切取らないので有名だった『朱鎧の暁雷』が、こんな田舎で人族の女の子に技を教えてるんだもの」

「私はヒカリを弟子にとった覚えなんざないよ。お前こそ、『妻の味を他人に伝えるつもりはない』とか言って、厨房には誰も立ち入れさせなかったくせに、ちょくちょくヨルの小僧に料理教えてるだろうが」

「ヨル君はねえ。なんだか若い頃の僕に似てる気がして……」

「かああ。やだねぇ。やだやだ。若者が年寄りに言われたくない台詞ワースト一位だよ。『あいつは自分の若い時に似てる』」

「あははは」


『ちょいとお二人。お喋りしてる余裕はないよ。シャオレイさんは西の二の一へ。ミシェルはその場で5秒後に会敵だ!』


 二人の頭上に青い光が弾け、マーヤの言葉が降ってきた。

「年寄り遣いの荒い小娘だねぇ!」

 悪態を一つ零し、朱色の軽鎧を纏った老婆は、風を巻いて飛び去って行った。


 残されたエルフの古老――めし処『ハイビ』のマスターは、背に負った筒から矢を取り出すと、南の空へ向け、静かに番えた。


「ごめんよ、エミリア。僕にはやっぱり、こっちのほうが向いてるみたいだ」


 そう、呟きを零して。


 遥か遠くに飛来する、赤騎士たちの姿を見据える。

 サファイヤブルーの瞳が細められる。

 絵画の中から抜け出てきたような美貌に、妖しげな笑みが浮かぶ。

 ぺろりと、舌なめずりを一つ。


「『千手』のミシェル。推参おしてまいる


 ……。

 …………。

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