夏の話

始まりは夏蜜柑のスムージー

「ヨル君ヨル君」

「ん?」

「ヨル君は、闇の魔法使いなんですよね」

「闇の……? 陰魔法のことか?」

「細かいことはいいのです。じゃあ、『あれ』、出来ますよね」

「あれって?」

「あれですよ。ほら、『闇の炎に抱かれて消えろっ!』」

「……………………はあ?」

「だから、『闇の炎に抱かれて消えろっ!』ですよ!」

「いやポーズつきで言われても」


「……ヨル君、ホントに日本人なんですか?」

「ああ? ……あぁ、何かのアニメの台詞なのか。悪い。俺、そういうのあんま見なかったんだ」

「えええ。勿体ない……。まあいいです。とにかく、ちょっとやってみてくださいよ」

「…………何をだって?」

「だーかーら。『闇の炎にー」

「だから分かんねぇって! 何だよ闇の炎って。闇なのか炎なのかはっきりしろよ!」

「闇の炎は闇の炎ですよ! こう、真っ黒い炎がごわあーっと相手を包んでですね、相手は死ぬんですよ!」


「無邪気な顔して恐えこと言うなよ…………あのな、ヒカリ。火っていうのは酸化反応の一種で、光と熱を放出するエネルギーなんだよ。だから真っ黒い炎なんてのはあり得ないんだ。大体、闇が攻撃になるんだったら、お前日陰に入ってダメージ受けるのかよ」

「む、むつかしいことを言って煙に巻かないでください! じゃあ、いっつもヨル君が使ってるあの気持ち悪い影はなんなんですか!」

「あれは影を触媒にして自分の魔力を体外に表出してるだけだ。陰の魔力の『命』は『束縛』だから、捕らえることは出来るけど、直接的なダメージにはならない」

「う……」


「魔法ってのはちゃんと体系化された技術であり学問なんだ。俺もこっちの世界で勉強して驚いたよ。知れば知るほど奥深くてさ。だから、アニメだか漫画だか分かんないけど、遊び半分に使っていいもんじゃないんだ」

「うう…………」

「お前だって陽魔法の使い手なんだから、子供みたいなこと言ってないで、ちゃんと勉強してそれなりの知識を……」

「よ」

「よ?」

「ヨル君の……」

「ちょ、待て。木剣それ抜いてどうするつもりだ。おい。待てって!」

「ヨル君のばかあああああああ!!!!!」


 ……。

 …………。


 真上から陽光の降り注ぐ、眩しい真昼のことであった。

 石畳は日の光を照り返し、風の吹かない空気を茹でるように熱している。

 あちらこちらに打ち水の跡が残り、数刻待たずにまた消えていく、メリィ・ウィドウの街中。

 その大通りの一角にあるクリーム色の建物の、濃茶に塗られたドアが開き、からん、と涼しげにベルが鳴った。


「毎度です」

「何だ、ヨル坊。随分疲れた顔じゃねえか」

 いつもよりも一層青い顔をした街の便利屋ヨルを、背もたれのない籐椅子に座った、背の低い中年の男性が迎える。

「……ええ。久しぶりにやり合いまして」


 ぐったりとした顔で同じ卓の椅子に座り込み、肘をついて顔を俯かせたヨルを見て、その隣の卓に座った、小太りの男性が苦笑する。

「ヒカリちゃんかい? 最近は仲良くしてたじゃないですか」

「改めて思い知りましたよ。あいつは頭がおかしい」

「がっはっは。女たらしのヨル坊も、年下の女の子には弱えか。弱点発見だな」

「やめて下さいよ、カツミさん」

「まあまあ。ヨル君もたまには、女性のことで苦労したほうがいいですよ」

「ハジメさんまで……あいつは俺の中で女性カテゴリーに入ってないです」

「おいおい。その年で熟女趣味たあ、将来が心配だぜ?」

「いやいや、むしろ有望でしょう」

「違えねえ!」

「もおお……」


「はいはいお待たせ。おや、ヨル君。いらっしゃい。取り敢えずフリッター盛り合わせと、山芋サラダだよ」

 ふた回りは年下の少年をからかう中年男性二人と、辟易した顔のヨルの元に、めし処ハイビの美貌のマスター・ミシェルが現れた。

 両手に一枚ずつ大皿を持ち、真白いクロスの上に置いていく。

 そこには既に取り皿が積まれ、隣の卓には氷水のなみなみ入った木桶に数本のボトルが冷やされている。


「お。いいねえ。おいミシェル。今日はお前も飲めよ」

「そうだねえ。後は火を使わないし、頂こうかな」

「あ、ミシェルさん。これお土産です。バルの街からお中元で」

「ああ。有難う。後でマリネでも作ろうか」

「いいですねえ。私、鮭トバ大好きなんですよ」

「良かったら少し持ってきますか、ハジメさん」

「有難う。でもねえ、最近ちょっと塩分控えてて」


「おい。もういいだろ。始めようや」

「ああ、すいません。ミシェルさん、グラス……」

「これでいいよ。…ああ、気にしないで。自分で注ぐから」

「よっしゃ全員持ったな」

「はい」

「では、月の恵みと太陽の嫉妬に見つからぬよう」

「ささやかな笑いではございますが」

「我らも冥利を分け合いましょう」

「今月もお疲れ様でした」

「「「「乾杯!」」」」


 ……。

 ………。


 酒造と製糸の街メリィ・ウィドウは住人の9割を女性が占める。

 つまり残りの1割は男性であり、その圧倒的な人数差から必然的に、街には女尊男卑の風潮が強い。

 日頃何かと肩身の狭い思いをすることもしばしばな男性陣のために、年齢的には古老であるミシェルが月に一度開催しているのが、メリィ・ウィドウ男子会、通称『秘密のお茶会』である。


 その月によって参加者はばらばらだが、今年梅雨明け一回目の『お茶会』参加者は、次の三人であった。

 街の建築事業全般を管理するカツミ・シジマ。

 靴職人のハジメ・カマド。

 便利屋ヨル。

 カツミもハジメもいずれ街の最初期からの住人であり、それぞれ伴侶を戦争で亡くしている。


「だからよう。俺はその時言ってやったんだよ。『お前の髪を、毎日結わせてくれないか』ってよう」

「はいはい、それで?」

「そしたらお前、『あんたに毎日結えられるくらいなら、さっさと子供作ってそっちに結わってもらうわよ』ってよう! なあ! ぐっとくるだろうがヨル坊!」

「何十回聞いても素敵ですね、その話」


「そうだろうそうだろう。お前もよう、ヨル坊。こんな街でじゅくじゅくの熟女の相手ばっかしてねえで、どっか他所の街でぴっちぴちの若え女でも捕まえてだな……」

「聞き捨てなりませんねえ、シジマさん。いいですか。蜜柑ってあるでしょう。あれはもぎたてのぴちぴちももちろん美味しいですが、少し皺がよって皮がだぶつく頃になるとより蜜柑本来の甘みと香りがですね……」

「好みは人それぞれですもんねえ、ハジメさん。あ、ミシェルさん。ボトルもう一本開けていいですか?」

「……ヨル君のそういうバランス感覚は僕も見習いたいと思うよ」


 そう、始めは『お茶会』だったのだ。

 それが、ミシェルが故郷の森から取り寄せた各種のハーブティーと焼き菓子を振舞う場であったそこに、ある日招かれたジンゴが酒瓶を持ち寄せたことから、『ああ、何だ、そういう方向でいいんだ』と早合点した中年男たちがこぞって酒と肴を持ち込み始め、最初は渋い顔をしていたミシェルも溜息一つできっぱり諦め、今ではすっかりそこに加わるようになっていた。

 こうして、真昼間からの男たちの酒盛りは始まったのである。


「ていうかよう、ヨル坊。お前、アヤとはどうなんだよ。仕事の代金代わりにババアどもから血ぃ吸うくらいなら、あいつに頼んで吸わせて貰えばいいじゃねえか。やっぱそういうのも、若い女の方がいいんだろう?」

「んー」

「どうしました、ヨル君?」

「ちょっと生々しい話していいですか?」

「ほう。聞きたいね」

「ぶっちゃけアヤさんの血って、香りはいいんですけど油っけ多くてあんまり好きじゃないんですよ。ちょっと年いってる人の方が意外とあっさりしてて美味しいんです」

「…………お、おう」

「引かないでくださいよ……」

「ヨル君。それ、絶対他の所で言わない方がいいよ」


 ……。

 …………。


 やがて用意されたボトルも全て空になり、木桶の氷水もすっかり温くなり、部屋にアルコールの匂いが満ち満ちてきた頃、窓から差す日差しが幾分傾いてきたのを見て、ミシェルが高く積まれた空の皿を片付けて、調理場に引っ込んだ。


「そういやあ、今日は確かジンゴの奴も来ることになってたんじゃなかったか?」

 日に焼けた顔を真っ赤に茹で上げたカツミが未練がましく空のグラスを舐めながら、誰とはなしに問いかける。

 ほんのりと頬を上気させたヨルが、卓を片付けながら答えた。

「先週、急に帝国から遣いの人が来まして、出かけてきました。また例の隊長さんからの依頼でも入ったんじゃないですかね?」

「噂の『迅狼』殿か」

「へええ。でも、今回は本人は来なかったんですねえ」

 火の消えたキセルを咥えてぷらぷらと揺すりながら、眠そうな目でハジメが言う。


「来てたら街の女共が放っておかねえもんなあ」

「あはは。ほら、あの人も小隊長から出世されましたから。そう気軽にはこんな僻地まで来れなくなったんじゃないですか?」

「かああ。平民出の騎士様の出世コースたあ恐れいるねえ。それでお顔も整ってらっしゃるときたもんだ」

「いやいやシジマさん。整ったお顔ならこちらも負けておらんでしょう」

「違えねえや」

 にやにやとしたハジメと、豪快に笑うカツミの視線が調理場に向けられる。

 その視線の先から、街一番の美貌が、暖簾を潜って現れた。


「何だい、僕の顔に何か?」

「いやいや、何でもねえよ。……お。何でえそりゃあ」

 ミシェルの手の盆には、グラスが三つ並んでいる。

「酔い醒ましにどうかと思ってね。夏蜜柑のスムージー、作ってみたんだけど」


 見るからによく冷えたグラスには、濃い向日葵色の液体と、薄皮まで剥かれた凍ったままの柑橘類の房、彩に添えられたミントの葉が見える。

 卓の上で寄木細工のコースターに置かれると、アルコールの回った肺に爽やかな香りが抜けた。

「へえ。新作ですね」

 甘いもの好きのヨルが目の色を変える。


「最近森国で流行ってるらしくてね。製氷の魔道具も随分普及してきたからね」

 確かに、火照った喉と胃袋には丁度いいかもしれないと、中年男二人も手を伸ばす。

「いただきます」


 にこにこ顔のヨルと、物珍しそうなカツミとハジメが同時にグラスに口を付け。

 くいっと一息にそれを煽り。


 そして、三人の目と口が揃ってバッテンになった。


「「「すぅっっっっっっっっっぱぁ!!!!」」」


「あ。やっぱり?」


 身悶える三人を前に、ミシェルが気まずそうに頬を掻いた。


 ……。

 …………。

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