夜光の道行き

(くそっ。抜け出せねえ……!)


 ハイジュンは焦っていた。

 体に絡み付く土色の体毛が、徐々に締め付けを強くしている。

 手足の血流が止まっていくのが分かる。

 みしみしと、骨の軋む音が。

 このままでは、絞め殺される。


 こんなはずではなかった。

 雄体の白澤羊は確かに強い魔力を持つが、脅威度は災害級には届かない。

 自分たち三人の力なら問題なく狩れると判断したからこそ、ヘイシンも後詰めに回ったのだ。

 しかし、実際に相対した土色の魔獣は、どこか様子がおかしかった。

 自分たちが接近する前から興奮状態にあったし、接敵した最初の反応も過剰だった。


 まるで、何かに怯えているような。


 完全に出鼻を挫かれた形で、今現在、こうして三人纏めて拘束されているのである。

 霞みゆく視界の端で、自分と同じように体毛に絡み付かれ、木の幹に磔にされたレンリとガオの姿が見える。

 抜け出そうともがけばもがくほど、ますます拘束が強くなっていく。


(やべえ。息が……)


 手から、ククリ刀が零れ落ちた。


 その時。


 ぱし、と。

 それを掴む音がした。


 薄れゆくハイジュンの意識が、不意に背筋を犯す悪寒によって覚醒する。


 ざん。


 体毛の触手が切り裂かれる音と共に、締め付ける力が、半分程弱くなったのを感じる。

「ぐ。……おおおお!!」

 血の一滴までを絞り出すように力を込め、残りの拘束を引きちぎる。

 一瞬で自身の体に重力が戻り、地面へと頽れる。

 荒い息を吐きつつ、まだ霞む目で、翻る黒い外套を見る。

「て、てめえは……」


 きゅごっ


「「おわあああ!!」」

 問い質す声より早く、隣で陽光の爆発が起こり、レンリとガオの悲鳴が聞こえた。

 見れば、しゅうしゅうと白い煙を上げる体毛に絡まったままの二人と、その傍らに立つ少女の姿がある。

「大丈夫ですか!?」

 少女は白木の木剣を携え、二人の残りの拘束を剥がしていく。

「せ、聖騎士…………」


(まずい。あんな奴に介入されちゃあ、報酬がどうのなんて言ってらんなくなるぞ)


「ええ……っと。ハイジュン、でいいのか?」

 事態が飲み込めずに混乱するハイジュンに、ヨルが語りかける。

「ガオの友達なんだろ? タメ語で失礼するぜ」

「ああ!?」

 目を剥くハイジュンの顔を、青白い顔の中から、深い血の赤が二つ、覗き込んだ。

 その、異形。

「……て、てめえ、まさか吸血――」

「それはまた後で。取引しよう、ハイジュン」

「取引だ?」

「あの魔獣さ。狩るんだろ?  俺たちと協力しよう」

「はっ。誰がてめえなんざと―」

「あの魔獣の毛皮は全部あんたらが持っていっていい」

「んな!?」

「その代わり、あんたらが集めた雌の毛皮をくれ。俺たちは元々そっちに用があったんだ」

「………」


 ハイジュンの言葉が詰まった。

 悪くない。

 いや、破格の条件だ。

 却って噓臭いほど。

 雄の個体の毛皮を、雌の毛皮4頭分と交換だと?

 笊に盛った小エビで鯨をやると言われたようなものだ。

 そんな取引をして、こいつらになんのメリットがある?


 思わずレンリとガオに視線を遣ると、そちらでも、聖騎士の少女に同じことを言われたらしいレンリが、恐らく自分と同じ顔をしてこちらを見ていた。

 ガオだけが、にやりと口元を吊り上げ笑っている。

 どういうつもりだ。まさか受けるのか? 信用できるのか?

「ガ――」

 ハイジュンが口を開きかけた、その時。


 ぎゅええええええええ!!!!

 づん。


 嘶きが一つ。

 そして、爆発。


 土色の体毛が空に向けて噴出する。


 突然の闖入者に、さらに興奮を増した魔獣が、特大の魔法を発動させたのだ。

 天に聳え立つ体毛の山塊が、徐々にその先端を倒してくる。

 先程の津波よりもさらに巨大に。


 ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ。


 まるで土石流。

 絡み付いて絞め殺すなどと、生易しいものじゃない。質量で圧殺するつもりだ。


「いけねえ!」

 青ざめた顔で立ち上がるハイジュンを、ヨルが押しとどめた。

「!? 何を――」

「ヒカリ!!」

「はい!!」


 ヒカリが、木剣を地面に突き立て、手を放す。

 ぱん!

 胸の前で、柏手を一つ。


「急ぎ定めの如くせよ。架かるは虹。破魔の御手」


 手を開くのに合わせて、陽光の輝きを放つ狩猟弓が顕れる。

 弓を番え、引く。

 それを、天に向けた。


「天の瞬き、清心にあれ! 不浄を平らげよ!!」


 狩猟弓が大きく膨らみ、輝きを増す。


 ヨルは知っていた。

 ヒカリがジンゴの木剣を得た後も魔法の鍛錬を欠かさなかったことを。

 自分の修行を助けてくれた養成校の仲間の思いに応えるために、決して魔法を手放さなかったことを。

 そしてそれが、既に実を結んでいたことを。


「『降御徴ふるみしるし』!!!」


 蒼穹を光の矢が駆け昇り、次の瞬間。


 きゅががががががががががががががが!!!!!


 無量の光の弾丸が、雨の如く森に降り注いだ。

 それは、光の大瀑布。

 視界が白く塗りつぶされる。

 世界から、音が消えた。


「「「うおおおおおおお!!!????」」」

 目の前で起こる超常の奇跡に、三人の獣人が肩を寄せてしがみつき合った。


 そして、光が収まり、粉塵が晴れると。

 魔獣の半径3メートルの円周を囲むように、地面が抉れ、白煙を上げていた。

 怯えた様子の魔獣が、その中で震えている。

 伸ばされた土色の体毛が、円の外側で焼き崩れている。


「な……な……」

 がくがくと、レンリが震える。


 あの大規模な魔獣の攻撃を、魔獣本体に一切ダメージを与えず、封じ切ったのだ。

 この、目の前の少女が。


 言葉を失くすハイジュンたちを尻目に、ヨルが、ヒカリが、駆け出した。


 ぎゅええええ!!

 再び魔獣が嘶き、黄玉の角を輝かせる。


 ずおう。


 土色の体毛が捩れ、絡み合い、一本の槍となる。

 豪速突き出されたその一撃を、二人は左右にばらけて避ける。

 槍が地面に突き刺さり、激震が走る。

 次の瞬間。

 ぞぞぞぞぞぞぞぞ。

 地に打ち込まれた槍から無数の触手が伸び広がり、二人の背に迫った。


「やあ!!」

 きゅごっ。

 それを、ヒカリの木剣が根本から焼き切った。

 力を失った体毛がばらばらと地面に落ちる。


 その隙に一歩先んじたヨルが、地面に手を着き魔力を込める。

「『這蕨はいわらび!』」

 魔獣の体から伸びる体毛の槍の、その影が持ち上がり、鎌首をもたげた。

 ぎゅい!?

 焦ったような魔獣の、前足二本に絡み付く。


 身動きが取れなくなった魔獣は、体の左右から更に一本ずつ触手を伸ばし天に躍らせる。

 その内の一本が手を着いたままのヨルの体に向かう。

「させま、せんっ」

 それをヒカリが、陽光を振るって退ける。

 もう一本の動きをヨルの目が追う。


 みし。

 ばきばきばき。

 高く伸びた木の一本に絡み付き、太い枝を折った。

 それを、ヒカリに向けて投げ飛ばす。

 ヒカリの持つ力を学習した魔獣が、単純な物理攻撃に切り替えたのだ。


 ヨルの手が、もう一度地面に叩きつけられる。

「『硯樹すずりいつき!』」

 その足元から闇色の大樹が伸び広がり、迫りくる大枝を受け切った。

 枯葉が舞い踊る。

 ヨルとヒカリがさらに前進する。

 黄玉が輝き、悲鳴を上げるように、魔獣が嘶く。


 それを、レンリとハイジュンの二人が呆然と見つめていた。

「俺は、夢でも見てんのか?」

「聖騎士と吸血鬼が、共闘してやがる……」


 深い血の赤を瞬かせ、闇が翻る。

 その上を栗色の髪が踊り、陽光が煌めく。

 闇と光は寄り添い、時に分かたれ、互い違いに魔法を発動させて徐々に魔獣との距離を縮めていく。

 魔獣の物理攻撃は闇影に囚われ、魔法攻撃は聖光に焼かれる。


 完全な一対。

 無缼の力。

 陰陽和合し、大極は成る。


「やああああ!!!!」

 きゅごっ!!

 地に朝焼けの光が爆発し、土色の体毛の山を吹き飛ばす。

 その白煙の向こうを、白澤羊が背を向けて逃げていた。

 後ろ向きに触手を伸ばし、べきべきと枝を折って撒き散らしていく。

 ヒカリにそれを追う機動力はない。

 しかし、魔獣は気づかなかった。

 自身が散々暴れまわらせた触手の一本に、ヨルの血が一滴、付着していたことを。

 逃げ回る体の、その影が、既に捉えられていたことを。


「『緋咲釦ひわらいぼたん』」


 ぎゅい!?

 自身の腹の下から聞こえたその声に、白澤羊が急停止し、跳ねまわる。

 敵の姿は何処にも見えない。

 混乱する魔獣の、その脇腹から。


 ぽん。


 赤い花が咲いた。


 ぽん。ぽん。


 二つ。三つ。

 匂い立つような深い緋の花弁が、開いていく。


 ぽん。ぽん。ぽん。ぽん。ぽん。


 土色の体毛がみるみる赤く染まっていく。

 それに従い、徐々に白澤羊の体から力が抜けていく。

 

 ぎゅ。ぎゅぅ。


 ずるり。

 と、羊の影から、闇の魔物が顕れた。

 その目を、血花と同じ赤に染めて。


「眠れ」


 その掌を、羊の頭にかざした。


 魔獣の体から、最後の力が抜け落ち、地に沈み込む。

 はらはらと、枯葉が舞い落ち。

 後にはただ、静寂が残った。


 ……。

 …………。


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