悪巧み二つ

 白澤羊は非常に警戒心の強い魔獣で、人前にその姿を見せることはめったにない。

 そもそも人前に現れたところで、普通の人にはその姿を視認できないのだ。

 その名前と裏腹に、白澤羊は白と黒の混色魔獣であり、高度な隠匿魔法の使い手である。単純に体毛の色を変化させるだけでなく、自身の周囲の生物の、自身への認識を阻害することでその身を守っている。

 目撃例の少なさから希少な生物とされてはいるが、実際のところ山の中にどの程度の個体が生息しているのかというと、誰にも推測できないのが現状である。


 ただ確実に言えることは、通常発見される白澤羊の個体は全て雌だということ・・・・・・・・

 夏の繁殖期を終え、個体数が増えた秋になると、群れからあぶれた個体が山のそこここで散見されるようになること。

 そしてその中に、極々稀に雄の個体が紛れているということである。


 もともと白澤羊の毛皮には非常に高い魔力導体の性質が確認されているが、雄の個体のそれは、雌の個体の10倍とも20倍とも言われており、更には使う魔法の色まで違う。

 研究者の間では夢幻と言われる希少素材であり、前回捉えられた雄の個体には、金貨120枚の値が付けられた。

 

 ただし。

 雄の個体は、あらゆる点が雌のものとは違っている。

 希少度はもとより、体高は1・5倍。体毛は土色。角は黄玉。

 使う魔法は赤と黄の混色。

 そして何より。

 気性が、非常に獰猛である。


「うおおおお!!!!」

 ヤマネコ型の獣人の片割れ―レンリの雄叫びが、いや悲鳴が、秋の空に舞った。

 吹き飛ばされる体から必死に腕を伸ばし、木の枝を掴む。

「んぎっ」

 掌の皮が引き裂かれる感触と共に、その体がかろうじて宙に留まる。

 顔を顰めながら、眼下に見下ろす。

 その、異様な光景を。


 ずぞ。

 ずぞぞぞぞぞぞぞぞぞ。


 四つ首の大蛇。

 咄嗟に浮かんだその連想を、頭を必死に落ち着けてレンリは目を凝らした。

 野太い土色の大縄がうねり、踊り、森を破壊している。

 その中心にある同じ色の毛玉。

 かろうじて覗く黄玉の角。

 雄体・白澤羊。

 その毛皮を増殖・伸長し、四本の大縄と化して暴れているのだ。

 レンリはその一本の大振りをもろに喰らい、上空へと吹き飛ばされたのである。


「くそっ。ハイジュン!!」

 枝を掴んだ体勢から器用に別の枝に飛び移り、レンリは大蛇に呑まれた相方の名前を叫ぶ。

「ぅおらぁ!」

 気合一閃、振るわれた刃がそれを断ち切る。

 キツネ型獣人の男―ガオが、その柄を握っている。

 山吹色の尻尾が揺れる。

 土色の大縄の一本が内側からざっくりと切り裂かれ、中から先の黒い薄黄色の耳が現れる。

 手にククリ刀を掲げたハイジュンが、苦悶の表情で叫ぶ。

「よ……っけいなことしてんじゃねえぞ、ガオ!」

「ああん!? てめえこそ遊んでんじゃねえよ!」

「くそが! レンリ!!」

「うるせえ! 今行かあ!!」

 罵声の応酬。

 レンリの太腿が膨れ上がり、ぎちぎちと力が溜められる。

 腰のククリ刀を抜き。

「ぐるぅあ!!!」

 解き放つ。


 砲弾の如き速度で飛び出したレンリが、魔獣の背を狙う。

 鈍色の光が尾を引く。

 しかし。


 ずおぅ。

 土色の壁がその前に聳え立ち、レンリの体を絡め取る。

「ぐおおお」

 絡み合う体毛に、レンリの体が沈んでいく。

「レンリ!」

「今だ!」

 その下で、ハイジュンとガオがククリ刀を翻す。

 魔獣は背後のレンリを絡め取るのに大量の体毛を使っている。結果手薄になった正面に、二人が切り込んだ。

 

 ぎゅえええ。

 白澤羊が、嘶きと共にその横長の目を鈍く光らせる。

 黄玉の角が輝き。

「「え」」

 ずぞぞぞぞぞぞぞ

 レンリの体を絡め取ったまま、体毛の山が津波となって二人に襲い掛かった。

「ちょ。おい。嘘だろ」

「待て待て待て―」

 ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ。

「「待てえええええええ!!!!」」


 飲み込まれた。


 ……。

 …………。


「うわー。ちょっとあんた、助けに行った方がいいんじゃないの?」

 呆れた声のアヤの問いに、クマ型獣人の巨漢―ヘイシンは顔色一つ変えずに答えた。

「ふん。あの程度で根を上げる程、軟な鍛え方はしておらん」

「いや、割とマジで言ってるんだけど」

「……まあ、死ぬことはないが、あの様子では狩るのは難しいだろうな」

 そう言ったヘイシンの口元が、不敵に吊り上った。

「ならば、さっさと貴様らを倒して助けに向かうとしよう」

 その灰褐色の双眸の先に、ジンゴ、アヤ、ツグミ、ハズキの四人を見据える。

 ツグミとハズキの顔に、緊張が走る。


 聖騎士の持つ陽の魔力は、その他一切の魔力を分解し、魔法を無効化する。

 しかし、獣人種は元より魔力を殆ど持たないため、戦闘に魔法を使うことはない。獣人が聖騎士の天敵と言われる所以である。

 ましてや、相手は天を衝くかのような巨漢の戦士。

 二人の聖騎士の頬を冷や汗が伝った。

 その時。


 がつん、と。


 分厚い皮の手甲を打ち鳴らす音が響いた。


「あら、それなら私と踊ってくださる?」

 こちらも不敵な笑みを浮かべて、桜色の髪が踊る。

「まさか、魔法を使うのは卑怯とか言わないわよね」

 髪が、瞳が、拳が、赤く輝く。


 雄体の白澤羊にかかる懸賞金の話を聴いた途端に目の色を変えていたアヤが、一歩前に踏み出す。

 腰を低く落とし、構えた。


「面白い」

 それを見たヘイシンが、こちらも腰を落とし、拳を握った。

 視線が交錯する。

 刹那。

 陣風が巻き起こり、堆積した枯葉を撒き散らした。

 赤い光を靡かせ、アヤが地を走る。

 づん。

 神速の踏み込みと共に赤熱した拳が繰り出され、ヘイシンの腹に食い込む。


「………え?」

 いや、その拳が、大きな掌に阻まれている。

 アヤの目が驚愕に見開かれる。

 動かない。

 赤魔法を発動したアヤの拳が、ぴくりとも動かない。


「何故、獣王国の闘技大会で魔法が全面禁止されていないか教えてやろう」

 ぐぐぐぐぐ。

 その拳が、押し返されていく。

「ちょ。嘘。ええ?」

 苦し紛れにもう片方の拳を繰り出すも、同じように掴み取られる。

「ふんっっっ!!」

 投げられた。


「うそぉぉ!?!?」

 ライナーで飛んだアヤの体が、ジンゴの体に受け止められる。

「んぐ」

 その声が苦悶に歪む。

「な、……にをやっている。この鳥娘が」

 アヤの体が乱暴に突き飛ばされる。

「ちょ、…あんたねえ!」

 振り返ったアヤの体を、ジンゴがもう一度脇に突き飛ばす。

「んな!?」

 次の瞬間。

 ごん。

 一瞬で距離を詰め、豪速で繰り出されたヘイシンの拳が、構えたジンゴの黒鞘とぶつかり、鈍い音を立てた。

 衝撃が走り抜け、ジンゴの踵が地面にめり込む。


「ああ、お前の話はよく聞いているぞ、曖昧屋・ジンゴ」

「ぐ。……む」

 ぎりぎりと歯を食いしばるジンゴを余裕の表情でヘイシンが見下ろす。

 力がかかる。

 ジンゴの足が、徐々に地面を押され、滑っていく。

「成る程、この中ではお前が一番ヤるようだが」

「ぬぐっ」

 ジンゴの膝が折れる。

「俺からすれば、赤子の背比べだ」

 ぎらり、と、ヘイシンの眼が光る。

 ヘイシンの空いた手がジンゴの腰を掴み、腕一本でその体を持ち上げ、投げ捨てた。

「ぐぉ」

 地面を転がされたジンゴ体がかなりの勢いで木の幹にぶつかり、葉が舞い落ちる。


 その一瞬の隙を突き、ツグミとハズキが間合いを詰めた。

 ヘイシンの体を挟み向かい合い、その太い腕の届く間合いの外から、陽光の錫杖を正眼に構える。

「ふん。聖騎士の小娘が何を―」


「「喝!!!」」


 二人の叫び声と共に、陽光が二つ、爆発した。

「ぬう!?」

 ダメージはない。

 しかし、一瞬、視界を塞がれる。

 そこへ。


「うおらぁ!!!」


 上空から、赤い光を振りまいて、隕石の如き踵落としがヘイシンの頭に打ち下ろされる。

 ガードは間に合わない。

 そう、判断したヘイシンは―。

「ぬん!!」

 足を大きく開き、両手を膝に着き、正面からそれを受け止めた。


 がぃぃん!!!


 まるで金属同士がぶつかったような音が弾け。


「く。……んあああああ!!」


 地面に、足を抱えたアヤが転がった。


 額から血を流したヘイシンが平然とそれを見下ろす。

「軟弱な人族風情が。魔法などいくらでも使うがいい」

「こ、んの、バケモノ……」


「アヤさん、大丈夫ですか!?」

 それを悔しげに睨め上げるアヤの傍らに、ツグミが駆け寄った。

 さらにその前に、ジンゴが立つ。

 傍らにハヅキが。


「突っ走るな、新聞屋」

「つっ。ちょっと曖昧屋。どうすんのよ、この熊男」

 最早ハヅキの前で演技をする余裕はなかった。

「一筋縄ではいかん。災害級の魔獣と思って戦え」

「あっそ。つまり……」

「そうだ。勝機はある」

「はん。……上等じゃない」


 ツグミの手を借りながら起き上がったアヤが、再び魔法の光を身に纏う。

 そのやり取りを見たヘイシンの口元が吊り上る。


「面白い。いや、面白くないな。いいだろう、一人づつ相手をするのも面倒だ。四人まとめてかかってくるがいい!!」


 轟音が、弾けた。


 ……。

 …………。


「うわ。うわわわ」

「すげぇな。あれが獣人のチャンプか」

「み、みなさん、大丈夫でしょうか」

「どうだろな。ちょっとヤバいんじゃないか」


 その争いを、離れた場所で見守る、二つの影があった。

 すっかり元の顔色に戻ったヨルと、指先をかたかたと震わすヒカリが、秋色の迷彩をほどこしたローブを纏い、静かに移動している。


 数分前。

 既に獲物を先に発見されたことを知ったジンゴが、それでもまだ獣人たちも雄体の白澤羊を仕留められてはいないことを認め、ヨルに別行動を言い渡したのだった。


『いいか。一番厄介なヘイシン・ウェンは俺たちで足止めする。お前はその間に他の三人を出し抜いて獲物を狩れ』


 そういって差し出されたローブが、もう一着あることに気付いたヨルが、ヒカリの同行を求めたのである。

 最初は驚いたヒカリであったが、その真剣な顔つきを見て、自分でも気づかぬうちに、小さく頷いていた。

 そして今。背後にはジンゴたち四人を手玉に取る無双の戦士の戦いが。

 目の前には、雄体の魔獣に為すすべなく絡め取られ、捉えられた三人の獣人の姿がある。

 隙を突くなら、今しかない。


「なあ、ヒカリ」

「なんですか、ヨル君」

「俺は……」

「わかってます」

「あん?」

「わかってますよ。『欲張りすぎないことは、採取の基本』、ですよね。大丈夫ですよ、手伝います。そのためについて来たんですから」

「……はぁ」

「何で溜息吐くんですか!?」

「悪い………いや。ありがとな」

「ええ!?」

「行くぞ」

「え、ちょっと。今何て、……えええ!?」


 ……。

 …………。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る