朝靄の懐疑

「んー、あと二時間……」

「目覚めの口づけが必要なら首を出してください」

「待って。分かった。寝起きはやめて。ホント無理だから」

「早く支度してくださいね」


 ほとんど半裸の状態で薄手の毛布にくるまるアヤに、ヨルは枕元から声をかけると、水差しを置き土産にして借り家を出た。

 空は朝から重たげな灰色の雲に覆われ、里全体を蒸し暑い熱気に閉じ込めている。

 裏手の井戸に回り、てきぱきと自分の装備を整えながら、ヨルは昨晩の四人でのやり取りを思い起こし、何度目になるか知れない溜息を漏らした。


 ……。

 …………。

 

「こいつは借りていくぞ」


 ジンゴはヒカリに伝え聞いた青い花弁をつけた木槿を調べると言い、それにヒカリの同行を求めたのである。

「わ、私でお役に立てるのでしたら……」

「おいジンゴ、あんまり……」

 ヨルは言いかけた言葉をそこまでで飲み込み、溜息一つ零した後で、頭を振った。

「……いや。宜しく頼む。ヒカリ、テンパって聖気漏らして何か壊すなよ」

「き、教官と同じこと言わないでください!」

「つまり前科があるんだな……」


 そしてヨルとアヤは、再度山の調査に入ることになった。

「いやいやいや。何で私がそんな危ないことしなきゃならないのよ」

「お前ら二人なら万一遭遇した所で、速度で逃げ切れるだろう」

「何か、山の中に気になることでもあるのか?」

「ある。だが、余計な先入観を与えたくない。お前の目で見て調べてみろ。俺の思った通りであれば好し。そうでなければ、また別のことを考える」

「分かった」

 なにやら通じ合った様子で段取りを進める男二人に、アヤが不満を顔全体で表して口を挟む。

「いや分かんないって。私、ただの新聞屋なんですけど?」

「ならば取材ということにでもしておけ」

「アヤさん。どの道雷獣の件を解決しなきゃ里から出られません。諦めて協力しましょう」

「はあぁぁあ。さっさと帰ってれば良かった」

 

「ヨル。仮にこれが人の手が加わった事件だとして、お前は何処に黒幕があると思う」

「ん? 俺に聞くのか?」

「聞くだけだ」

「……里の中なんじゃねえの。考えたかねえけど、良くも悪くも閉鎖的な場所だ。誰が誰に何の恨みを持ってたって、外の人間には分かんねえだろ」

「ふむ」

「お前はどう思ってんだ、ジンゴ?」

「単に利害の問題として考えれば、里の人間でこの状況に益している者がいるとは思えん」

「ああ……それもそうか。じゃあ――」

「今は何とも決めつけんほうがいいだろう。それに……」

「それに?」

「いや。……いい」

「そうかよ」


 ……。

 …………。


 そして、一夜開け。

 ぐずぐずとベッドにしがみつくアヤを起こしたヨルが装備の点検をしていると、同じく装備を整えたヒカリが、どこか落ち着かない様子で声をかけてきた。

「里長さん。大丈夫でしょうか」

 ヨルは目線を向けずに、それに答えた。

「辛い状況にあるのは確かだろう。けど、俺たちがあの雷獣を退治できる訳じゃない。やるべきことをやるだけだ」

「『己の分を弁えよ』、ですか? こないだも言ってましたけど」

「ああ。昔所属してた傭兵団の団則だ。ただまあ、これには続きがあるんだけど――」

「あああああ。あったま痛い!!」

 ヨルの言葉を遮るように、アヤが戸を開いて這い出てきた。

 二人の間に割って入り、ヨルが汲んでいた井戸水を豪快に飲み干す。


「お早うございます、アヤさん」

「ううう。何で私がこんな早起きを……」

「もうとっくに日は昇ってますよ」

「私の朝は日が南天過ぎてからを言うのよ」

「大丈夫ですか、アヤさん?」

「んー。何とかねー」

「不安な……ちょっと待ってて下さい。昨日の夏蜜柑まだ残ってたと思いますから」


 二日酔いには取り敢えず糖分と水分の補給だろうと、ヨルはキクの家に戻った。

 その間に濡らした布で身体を乱雑に拭くアヤを、ヒカリがはらはらと見守る。

 そして、周りを見渡したヒカリは、自分たちを見つめる二組みの視線に気づいた。

 それは、青みのかかった黒髪をした、男の子と女の子であった。

 互の手を握り合い、じぃ、っとこちらを見つめている。


「え、えっと、お早うございます」

「……」

「……」

「あの、アオイ君と、アカネちゃんですよね。私は、メリィ・ウィドウっていう街から来ました。ヒカリといいます。こっちのお姉さんが、新聞屋さんのアヤさん」

「どうもねー」

「……」

「……」

「あの、……何か、御用ですか?」


 暫く無言でヒカリとアヤを見つめていたアオイとアカネは、やがて顔を見合わせると、恐る恐るというように二人に近づいていった。

 話しやすいように、ヒカリとアヤが屈んで目線を合わせる。

「お山」

「え?」

「お山、行くの?」


 掠れるような声で、それでも確りと言葉を発してくれたアカネに、ヒカリが驚く。

「行くんなら、これ」

 その横で、アオイが服のポケットから何かを取り出し、二人に差し出した。

 それは、薄い色のついた厚紙で折られたお守りであった。

 たどたどしい工作の跡が、端々に見て取れる。

「これ、二人が?」

 二つの小さな頭が、こくりと縦に振られる。

 しばし呆気に取られていたヒカリとアヤだったが、

「とっても素敵です。ありがとう」

「うん。ありがとうね」

 ヒカリがその名の通りに光るような笑顔を二人に向け、アヤは照れたように笑った。

「二人は――」

 そこで、後ろの戸が開き、手にグラスを持ったヨルが現れた。

「アヤさん。取り敢えずジュース絞ったんで、これ飲んで頭すっきりさせ――」

「「!」」

 それを見たアカネとアオイの肩がびくりと震え、一目散に駆け出していった。

 見る見る小さくなっていくその背中を、三人は呆然と見送り、

 そして、ヒカリとアヤの眉が揃って吊り上がった。

「「ヨル君!!」」

「えええ……」


 ……。

 …………。


 そして、数分後。

 ジンゴが待つイブスキの屋敷に向かうヒカリと別れ、ヨルとアヤは里の外へと歩を進めた。

「まずは顔色良くしたら?」

「もう十三夜ですよ。血が足りないです。正直、次にあの魔獣と戦ったら、本当に逃げるのが限界ですね」

「頼りにならないわねぇ」

「こんな場所で誰かに貰うわけにもいかないですし」

「そういえば、セイカさんは知ってるの、吸血のこと?」

「『酒樽』の人たちはみんな知ってます。セイカさんが『貴妃』の人たちに教えてるかどうかは知りませんが」

「そこは信じてあげようよ……」

「……そうですね。悪い癖です。でも、どの道あの人にも貰えません。今は、立場が違いますから……」

「面倒ねぇ」


 そんなことを言い合いながら歩く二人は、やがて里の出口へと辿り着いた。

 そしてそこで、こちらの様子を遠巻きに見つめる里民の姿に気づく。

 昨日、ヨルが害虫駆除を教えてやった家の、隣の家の住人である。

「お早うございます」

「え、ええ。お早う、ヨルさん」

 柔らかな微笑を浮かべて挨拶したヨルに、里民の女性もぎこちない笑みで返す。

 その、昨日までとは違った様子に、ヨルとアヤは首を傾げる。

「あの、何かありましたか?」

 問いかけられた女性は、一瞬言葉に詰まり、やがてためらいがちに言葉を紡いだ。

「その。……今日は、ヒカリさんは一緒じゃないのかねぇ」

「ヒカリですか? 今日は別行動です。何か用なら、今里長さんの屋敷に向かってると思いますけど……」

 女性の顔が青褪めたのが、分かった。


「ああ。あの、こんなことを言うのは、その、ちょっとあれなんだけどもねぇ」

「??」

「この里に、関わらないで貰えないかねぇ」

 その言いに、アヤの顔色が変わる。

「お生憎ですけどね、おばさま。こっちだって好きで関わってるわけじゃ――」

「アヤさん、ストップ」

 その腕をヨルが引いて止める。

 怒りの顔をそのままヨルに向けたアヤを手で制しつつ、ヨルが前に出る。


「タカラさん。もし、教会に支払う報酬のことを気にしているなら、その心配はないですよ」

「………え?」

「あいつは今、メリィ・ウィドウの里の名代として来ています。そして、仕事を手伝っているのは騎士隊長に個人的な依頼を受けた民間人です。ヒカリの仕事に報酬が支払われるなら、それはその騎士隊長から払われることになるでしょう」

「そ、……そうなの、かい?」


 横でそれを聞いていたアヤの顔が、余計に顰められる。

「あっきれた。昨日散々ちやほやしておいて」

「それは……そのぅ」

「アヤさん。この人たちは、昨日からずっと、ヒカリに仕事をさせないようにしてたんですよ」

「ええ?」

「……気づいて、たのかぃ?」

「どこもかしこも、メリィ・ウィドウウチみたいな所ばっかじゃないってことです。それにしても、一晩でそこまで態度が変わるのも妙ですね」

 ヨルの目が、鋭く細められた。

 その中から覗く、光を呑み込むような闇色の瞳に射すくめられた女性が怯えたように一歩下がった。

「誰かに、何か言われましたか?」

 

 その、魂の底まで見通すような視線に晒され、女性はがっくりと項垂れた。

「ごめん。ごめんよぅ」

「いいんですよ。余所者は俺たちの方ですから。気にしません。それより、何があったのか、教えてくれませんか」

「昨日、言われたんだよぉ。聖騎士ってのは、利にがめつくて、ちょっとでも関わろうもんなら、直ぐに教会から報酬の請求が来る、って。里に入れた時点で殆どやられてるようなもんだ、って」

「そんな……」

「ウチの里はねえ。もうギリギリなんだ。チュウヤさんは頑張ってくれてるよぉ。でも、一夏の稼ぎを全部フイにしちまったんだ。いくらなんでも、これ以上の出費は無理だ」

 沈痛な顔で項垂れた女性を見て、アヤが気まずそうに頬を搔く。

「でも、だからって……」

「それを、誰に言われたんですか?」


 重ねて問うたヨルの言葉に、女性は尚もためらいながら、ぽつりと漏らした。


「あの、傭兵のお姉ちゃんにだよぉ」


 ……。

 …………。

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