灯火に背を向けて

 アタゴの街の中央に建つ屋敷の一室。

 書類の積まれた大きな文机に両肘をつき、町長の女性――カノ・タヌマが、悄然とした面持ちで深く溜息を漏らした。

 机を挟んだ向かいには、聖騎士の少女二人と、商人の若い男――サカキ・イヌイ。

 三人とも不安そうな顔で、カノの表情を伺っている。


「ヒカリさん。その、……何とかいう魔獣の話。あなたは何処でそれを聞いたのですか?」

 顔を上げないままに発せられたカノの問いに、ヒカリが慌てて答える。

「え? え、ええっと、私の街に、ジンゴさんっていう、……何というか、その、曖昧な方がいまして――」

「曖昧屋ジンゴですか……」

「ご存知なんですか?」

あの・・ゲンジ・ミヤマの唯一の身内でしょう。あなた方のような若い騎士にはあまり馴染みがないかもしれませんが、『漂泊騎士』ゲンジといえば、私たちの世代で知らないものはいません。その彼の身内ともなれば、自然と噂は耳に入ってきます」

「ふええ……」


「では、その魔獣の話をもう少し詳しく聞かせてもらえますか。街道に魔獣が発生したとなると、今後の対応を突き詰めて考える必要があります」

「し、信じて、頂けるんですか……?」

 カノの言葉に、蒼褪めさせていた顔を上げ、恐る恐る問いかけたサカキを、カノはちらりと一瞥し、やはり意外そうな顔をしているツグミへと問いかけた。

「ツグミさんは、その魔獣の話をどこかで聞いたことがありますか?」

「い、いいえ……」

「では、町民の中に、それを知っていた方は?」

「いません、でした……」


 口元で手を組んだカノが、再び溜息を漏らす。

「私も、長年聖王教会に仕えてきましたが、そんな話は聞いたこともありません。吐くならもう少しマシな嘘を吐け、という奴ですよ。荷を失くした言い訳に、誰も知らない魔獣の話をしてどうするというのですか」

「じゃ、じゃあ、さっきはどうして――」

「よく考えなさい! その話が事実だとして、その次第を町民の方たちにまで知らせる必要が何処にありますか。それこそ徒に不安を煽るだけでしょう」

「あ……」

「す、すみませんでした……」


 しゅん、と項垂れたツグミとヒカリの姿に、カノは苛立たし気にこめかみを揉んだ。

「まあ、それは一先ずよしとしましょう。それに、この方の言うことを全て信じるわけにもいきません」

「「え?」」

 その言葉に肩を震わせたサカキに、カノは真っ直ぐ視線を向けて問うた。


「あなた、この街に来るのは初めてですね?」

「え? いや、その――」

「とぼけなくて結構。あなた、魔石を商品にしてこの街の茶葉を買い付けにきたとか言っていましたが、この街に魔石を扱えるような技術者はいません。仮にも商人ともあろう人間が、そんな情報も仕入れずにこんな辺境の街に足を運ぶというのがまず不自然です」

「それは……」

「言いたくない理由があるのでしたら言う必要はありません。どうやら街道に異変があったことだけは確かなようですから、まずは教会に報告して、調査隊を編成するなり、傭兵団に依頼を出すなりの対応をしてもらいます。とはいえ、今は祭事で、ここから一番近い教会も人はいないでしょうから、数日待つ必要はありますが……」


「あ、あの!」

「何ですか、ヒカリさん」

 カノの鋭い目線に射すくめられたヒカリが、恐縮しながら言った。

「その、ケロスの三頭蛇みずへびは、人を襲う魔獣です。その、あまりのんびりしている余裕は……」

「では、どうすると?」

「こ、この街から、直接傭兵団に依頼を出しましょう。隣町なら、組合がありますよね? それなら――」

「馬鹿なことを言わないでください……」


 ヒカリの言葉を遮り、カノが呆れたような声を出す。

 ヒカリの隣で、ツグミも同じように「それはちょっと……」と声を漏らした。

「で、でも……」

「盗賊の類が出たならともかく、魔獣絡みの事件で教会の頭越しに傭兵を雇えるわけがないでしょう。あなた、本当に聖騎士ですか?」

「うぅ……」


 委縮するヒカリの両手が、握り締められた。

 顔を上げたその目に、微かな火が灯っている。

「そ、それなら――」

「その先を言う必要はありません」

「はぅ」


 険しさを増したカノの声に、ヒカリの瞳の火が消える。

「ヒカリさん。あなたの噂は私もよく聞いています。ですが……」

 カノは机の隅から一葉の手紙を摘まみ上げ、掲げて見せた。

「私は、あなたのお父様から、あなたのことをくれぐれも・・・・・宜しくと頼まれているのです」

「う。……はい」

「あなたも聖騎士であるのなら、少しは世渡りを身に付けなさい。サイオンジ派の貴族家が治める街で、コノエ家の令嬢が魔獣の討伐に出る? あなたの身に万が一のことがあったとして、私がどういった被害を受けるかあなたに分かりますか?」

「そ、それは……」

「仮に討伐が上手く行ったとしても問題です。私はむざむざコノエの人間に功績を贈ったことで、サイオンジ家から無用の恨みを買うことになる」

「うぅぅ……」


 カノが言葉を重ねれば重ねる程ヒカリの身は小さくなっていき、このままでは消えてなくなってしまうのではないかと思われた頃、ツグミが意を決してカノの言葉に割り込んだ。

「ま! まぁまぁ! 町長。あの、大丈夫ですよ。そんな、いくらヒカリだって毎度毎回バカなことばっかりやるわけじゃないですし。ね、ヒカリ?」

「うぅ。ツグミ、でも――」

「ね? ヒ・カ・リ」

「…………はい」


 険のこもったツグミの声に、とうとうヒカリも折れ、カノはそれを見て三度深い溜息を吐いたのだった。


 ……。

 …………。


 結局、町民たちには街道の変事はサカキの法螺話で、心配はないと思うが念のため教会に調査依頼だけはしておくという説明をするに止めることとなった。

 ツグミは街を廻って住民たちに不安がらせた詫びをし、ヒカリはカノの元で魔獣についての詳しい情報を纏めさせられ、そのまま屋敷に逗留することとなったのであった。


 そして、時は払暁前。


 町長の屋敷の西側の壁に並ぶ窓のうちの一つが、小さく軋る音と共に開いた。

 そこから、もぞもぞと枯茶色のローブが這い出てくる。

 その厚手の生地の下からは、分厚い皮のブーツ。

 慎重に窓から降りたその人物は、きょろきょろと辺りを伺いながら屋敷から逃げるように忍び足で歩を進める。

 その、背中に――


「そこの下手糞な変装した不良騎士」


 不機嫌そうな声がかけられた。


 ぎ、ぎ、ぎ、と恐る恐る振り返ったフードから、ふわふわとした栗色の髪が零れ。

 ローブ姿の人物―市井の民の旅装に身を包んだヒカリは、楡の木の下で腕を組む赤毛の少女―ツグミと向き合った。


「あ、あの。あの、ツグミ――」

「なに、ヒカリ?」

 つかつかと歩み寄ったツグミが、ヒカリの眼前30センチで停止し、両手を腰に充てる。


「お願い、ツグミへぶっ」

「そのお願いが、『どうか見逃して』とかだったら今すぐカノさんを叩き起こすわ」

 ヒカリの頬を片手で挟んで潰したツグミが、静かに燃える褐色の瞳で、ヒカリの潤んだ眼を覗き込む。


「でも、『一緒についてきて』だったら、聞いてあげてもいいわよ?」

「ふえ?」

「ふえ? じゃないわよ!」

 眉毛を釣り上げたツグミが、ヒカリの両頬を引っ張った。


「つ。つぐび。ひたいひたい」

「あのねぇ。あんたがいくら聖騎士として仕事をしたんじゃないなんて言い張ったって、そんな幼稚な言い訳が教会に通じるはずないでしょ?」

「で、でぼぉ……」

「わ・た・し・は。サイオンジ派の第二支部所属で。ハズキ様から紹介されてこの街に赴任してるの。その私が、街道に異変があったから調査に出て、原因となった魔獣をたまたま発見してその場で退治する。それをたまたま居合わせた旧知の仲のあんたが手助けするの。それで対外的な問題は何もなくなるのよ!」


「でぼ、それりゃ……あうっ」

 ツグミは、ぱちんと音を立ててヒカリの頬を離すと、真っ赤になった頬をさすり蹲るヒカリを見下ろして言った。

「ま、あくまで対外的には、だけどね。当然、カノさんにはめっちゃ怒られる」

「それじゃ、ツグミが……」

 ヒカリが潤んだ瞳で見上げたツグミの顔は、いつしか悪戯っぽい笑みを浮かべていた。


「だから、一緒に怒られましょ? 養成校の時みたいにさ」

 その言葉に、ヒカリは大きく目を見開いた。

 呆けたように開けられた口からは、上手く言葉が出てこない。

 そこにツグミから手が差し伸べられ、ヒカリは躊躇いながらもそれを取った。


 起き上がったヒカリは、改めてツグミと向き合い。

「ありがとね、ツグミ」

「いいってことよ」


 はにかんだように頬を緩ませた。


「なら、俺も一緒に行くよ」

「「!?」」

 

 そこに、暗がりから声がかけられる。

 飛び上がった二人の少女の前に現れたのは、濃い金髪を頭の後ろで縛った、年若い男だった。

「さ、サカキさん?」

 目をぱちくりさせるヒカリとツグミに、流浪の商人――サカキは歩み寄り、気まずそうに頬を掻いた。

「どうして……」

「君が、夜中こそこそ遠出の準備をしてるのを見ちゃったから、ひょっとしてと思ってさ。一応、建前上は調査として行くんだろ? なら、唯一の目撃者が同行するのは、何も不自然じゃない」

「け、けど、危ないですよ……」


 困惑するツグミたちに、サカキは顔を引き締めて正対した。

「大丈夫。自分の身くらいは自分で守れる。足手まといにはならないよ。それに、気になることがある」

「気になること?」

「本当に魔国の魔獣がここの街道に出現したんだとしたら……もし俺の想像が当たってるなら、事態はもっと深刻かもしれない」

「ええ?」

「それは追々話すよ。とにかく、行くなら急ごう。あんまりここで屯してると、誰かに気づかれるかもしれない」


 そう言って歩を進めようとしたサカキを、ヒカリは顎を引いて真っ直ぐに見つめた。

「ヒカリ?」

 その様子を不審に思ったツグミの声も聞こえないように、ヒカリは瞬きもせずに、サカキの顔を見続ける。

 サカキの足が、後ろに退けた。

 頬に冷や汗が伝う。


「な、なに、かな、ヒカリさん」

「いいえ」

 ヒカリはようやく視線を外すと、深々と頭を下げた。

「宜しくお願いします。決して、危ない目には合わせませんので」

 

 サカキはほっと胸を撫でおろし、同じように頭を下げる。

「こちらこそ、よろしく」

 

 まだ訝し気な様子であったツグミもそれを見て慌てて頭を下げ。

 こうして、奇妙な三人連れは、夜明け前の街を抜け出して行ったのだった。


 ……。

 …………。


 その怪しげな三つの影がこそこそと移動するのを、街の大食堂の中から見つめる人物がいた。


 真白い髪を頭の後ろで結わえた、背筋の伸びた老齢の女性。

 皺の刻まれた細い手は窓の桟に置かれ。

 灰色の眼は細められ、街の外へと向かう三つの影が追っている。


 やがて彼らの姿がすっかり夜陰に紛れて見えなくなるまで、老女はじっと、窓の外を見つめ続けていた。


 ……。

 …………。

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