ヒカリの戦い
「よもやこの歳で、世界の広さを知る事になるとは思いませんでしたよ」
「あー、何だ。悪かったな、汚え真似して」
「ほほ。殺し合いに綺麗も汚いもない。完敗ですよ」
「そうかい」
月下の決闘の後。
後ろ手に縛り上げ、拘束したモトベを、ヨルが気まずそうな表情で見下ろした。
「しかし、貴方は随分、普段と印象が変わりますな」
「……こっちが素なんだよ」
「それは、……苦労をされてるようだ」
「そうでもないさ。静かに暮らすのが、俺の望みだったんだから」
「ならば何故、このようなことを? あなた方の立場ならば、雷獣の仔を始末した時に里を出て、何の問題もなかったはず。今頃は車上でのんびりと帰途につけていたでしょうに」
すっかり力を失ったモトベに見上げられ、ヨルは困ったように頬を掻いた。
「さあな、馬鹿は死んでも治らないってことなんだろ」
「??」
「ただ、何だろな。……それが不思議と、イヤじゃないんだ」
「そうですか。ほほ。全く、計算違いでした。ええ。貴方も、コノエさんも、ジンゴさんも。予測のつかないことが多すぎる。私の手には負えません」
その言葉と裏腹に、いっそ清々しい表情で、モトベが笑った、その時だった。
どろろろろろろろろろろろろろろ。
地を震わす雷鳴が。
「「!!??」」
ヨルとトモベが、同時に顔を上げる。
ををををおおおおおおおおおおおん。
「近い。里のすぐそばまで来てるぞ」
モトベの顔を伺ったヨルが、彼の眼もまた、驚愕に見開かれているのを見る。
「……馬鹿な。私は、まだ何も」
「その反応、流石に嘘じゃなさそうだな」
「まさか、あの女が」
ヨルが頭を振る。
「いや、あっちはアヤさんが抑えてる。滅多なことはさせないはずだ」
「ならば、一体誰が……」
「多分、誰でもないんだろ」
「は?」
赤く濁ったヨルの瞳が、細められる。
「あんたの計画は、端から破綻してたんだよ。魔獣を人が御せるわけがない。たまたま二回や三回上手くいったって、いつかはこうなってたさ」
「何と……」
「出来ればあんたらを騎士団に突き出してから備えたかったが、そう上手くはいかねえか。取り敢えず、里の入口にはセイカさんたちが控えてるから、当面は………いや、まずいな」
「どうしました」
ヨルの顔が顰められ、冷や汗が頬を伝った。
「野郎、群れを率いて来やがった」
……。
…………。
その絶望の音がハタガミの里に響き渡った時、ヒカリは、里の外れの空家にいた。
元々寝泊りをしていた家の主―キクも一緒である。
昼間の内に移動しておいた寝具の上で顔を青ざめさせたキクに、ヒカリが駆け寄り、手を握る。
「キクさん。ここから、決して出ないで下さい」
「ひ、ヒカリちゃんはどうするんだぃ」
「……私、行ってきます」
「駄目だよぅ!!」
キクの皺だらけの腕がヒカリを掴む。
「危ないよぅ」
「……キクさん」
「危ないよぅ。ヒカリちゃんが、この里のために、危ないことしちゃ駄目だよぅ」
「私は、聖騎士ですから」
「だからだよぅ。ヒカリちゃん。この里の人たちは、ヒカリちゃんのことを―」
「キクさん」
キクの言葉を遮り、ヒカリがもう一度、キクの手を握った。
「大丈夫です」
「………え?」
その一言で、キクは悟った。
この子は知っている。里の人たちが、まるで彼女を歓迎していなかったことを。
「……な、何で。何でヒカリちゃんは」
「私の命には、意味があります」
「ええ?」
「それを、自分自身に証明するために」
ヒカリはそれだけ言うと、キクの手をもう一度柔らかく握り締め、外へと飛び出した。
生暖かい風が、頬を撫でる。
木の焦げる匂い。
雷鳴と、遠吠え。
こちらへ向け、逃げ走る人々。
そしてそれを追う、一体の魔獣。
大きさは一メートル半。目は翡翠。鱗は鮮やかな蒼。
赤黒い舌が覗く牙。
人間を食い殺すための牙。
地を走る爪。
人間を切り裂くための爪。
足が竦んだ。
手が震えた。
眼に涙の膜が張る。
けれど。
「ひやあああああ!!!」
けれど、その、逃げ惑う悲鳴を聞いて。
ヒカリの眼に、強い火が灯る。
竦む足を地面ごと蹴り飛ばし。
震える手を、心一杯握り締める。
顎を引いて、視線は真っ直ぐ。
首と腹に力を込めろ。
振りかざすは、神聖の力。
「やああああああああああ!!!!」
全力で振り払った木剣が朝焼けの如き閃光を解き放ち、今まさに里民に襲いかからんとする雷獣を、吹き飛ばした。
その轟音と閃光に、逃げ惑う人たちが一瞬、呆気に取られる。
剣を振り抜いた姿勢のヒカリの先に、しゅうしゅうと煙を上げて倒れる雷獣の姿がある。
「あ………え……?」
何が起きたのか分からずに、倒れ込んだまま呆然とする女性に、ヒカリが振り返る。
「怪我はないですか!?」
「ひ、……ヒカリちゃん?」
「立てますか? ここはまだ危ないです。早く建物の中に逃げてください!」
「あ、あの……」
「大丈夫です! ここから先へは入らせません!」
ヒカリの握り締めた木剣の先が小さく震えている。
その腰が少しだけ引けていることに、しかし、女性は気付かなかった。
「あの、でも、………教会に払うお金―」
「今そういうのいいですから!!!」
女性の言葉を遮って、ヒカリが叫ぶ。
「夏蜜柑のゼリー。美味しかったです!」
「……ええ?」
「とっっっっても、美味しかったです!」
その言葉に、女性が言葉を失う。
「来年の春には、桶柑も食べに来ますから。だから絶対、死んじゃだめです!」
その時、里の入口の方向で、青い稲光が弾けた。
ヒカリはそれを見て、再び木剣を握り締める。
駆け出した。
「ヒカリちゃん!」
後ろからかかる声を背負って。
「誰ひとり、死なせませんから!!」
陽光の残滓を引く、その後ろ姿を。
呆然と見送る里民の一人が、塵を撒く風の中に、幻を見た。
長く揺れる栗色の髪。
夢のようにはためく純白のローブ。
瑠璃色の、希望の光。
「………勇者、…様?」
……。
…………。
「はああっっ!!」
振り下ろされた戦鎚が、地面を打ち鳴らす。
巻き上がる土煙の先で、その一撃を躱した1メートル程の雷獣を、『曙の貴妃』のメンバーの一人―コハルが鋭い視線で睨みつける。
ぐるぅあ!
その角が青く輝く。
「くっ」
後ろに飛んだコハルの鼻先を、紫電が掠める。
「ユイカ!」
「OK!」
短い掛け声の一瞬後。
ぎゃん!
コハルの背後から飛来した矢が、雷撃の後で動きを止めた魔獣の肩に突き刺さった。
「もらったぁ!」
身体を沈み込ませるようなコハルの前進に、一拍置かれて戦鎚が追従する。
最大限に遠心力を載せた横薙ぎの一撃が、魔獣の頭蓋骨を砕いた。
「よっし」
「コハル! 油断しない!」
後ろから掛けられたその声に、コハルの顔が顰められる。
目の前に見えるのは翡翠の眼光と、青白い雷電の花。
その数、五体。
暗闇に紛れ、こちらを取り囲む雷獣の群れ。
コハルが戦鎚を握り直したと同時。
「きゃあ!」
後ろから、悲鳴が上がった。
「ユイカ!?」
思わず振り返ったコハルの足元に、長弓使いの少女が滑り込んでくる。
それに襲いかかる、新たな雷獣。
「っ! こ、のぉ!」
腰を入れた踏み込みからのアッパーカットでそれを迎撃する。
直前で避けられる。
「しっ」
空中に跳んだそれを、寝転んだままの体勢で射ったユイカの矢が貫き、絶命させる。
「何で後ろから!? まさか、西口が……」
「お馬鹿。普通に回り込まれただけよ。向こうが抜かれてたらこんなもんじゃ済まないわ」
「もおお! 何体いるのさぁ!」
「コハル、構え!! とにかく、この坂を登らせなきゃ私たちの勝ちよ!」
ハタガミの里の入口。
三手に分かれた『曙の貴妃』のメンバーの内の一組と雷獣の群れとの争い。
里の中枢へと続く坂道を死守する二人の少女と、それを取り囲む魔獣たち。
そこに、がらがらと響く車輪の音と、世にも情けない悲鳴が割って入った。
「ふえええええん。どいてどいて、どいてくださいぃぃぃぃぃぃ」
「「ええええ!?」」
自分たちが守っていた坂道を駆け下る、その四輪の荷車をコハルとユイカが慌てて避ける。
ぎゅぶ。
それに、不幸な雷獣の一体が衝突し。
「ひゃああああ」
その衝撃で半壊した荷車から、白い塊が転がり落ちた。
ごろごろと地面を転がり、動かなくなる。
埃まみれの栗毛が、萎れたように地面に散らばる。
二人の少女の口があんぐりと開いた。
「「ヒカリさん!?!?」」
……。
…………。
「うう。ふぐっ。ううううう」
地面に突っ伏したヒカリの口から、嗚咽が漏れる。
(こんな。こんなはずでは。もっとこう。颯爽と! 駆けつけるはずだったのに! 折角さっきはちょっとカッコいい感じで決められたの思ったのに! 馬鹿馬鹿。私の馬鹿! 何でこの荷車でイけるとか思っちゃったの!? 色んなものが台無しだよ!)
「ひ、ヒカリさん。危ない!」
「ふえ?」
呆けるヒカリの身体を。
ぱあぁぁぁぁん!!!!
四方八方から、稲光が襲った。
「ヒカリさん!」
コハルが悲鳴を上げる。
その視線の先、舞い上がった粉塵を、陽光の爆発が晴らした。
「い、痛くないんだからぁああ!」
今にも溢れそうなほど目に涙を溜め。
握り締めた木剣を振りかざし、目の前の雷獣に斬りかかる。
空を切った。
しかし。
きゅごっ。
剣身から放たれる陽光が雷獣を襲い、その身体を地に沈める。
ぐる。
ぎゅるあぁあ!!
すかさず三体の雷獣がヒカリを囲む。
その殺意を正面から受け止めて、ヒカリは足を強く踏みしめた。
(おばあちゃん。力を貸して下さい……!!)
襲い来る雷獣の爪を、左に沈み込んで避ける。
次の殺意は下から。
飛び上がった牙を、右足を軸に旋回していなす。
真っ直ぐ向かって来る三番目の爪。
ヒカリの体が宙に舞い、雷獣の背を仰向けに跨いで躱した。
雲の流れるような動き。
その間に木剣から振りまかれた聖気に晒され、三体の魔獣が崩折れた。
「うそ………」
その一連の動きを、コハルとユイカが呆然と見る。
「今の、獣人族の体術? ……何で
「ていうか、さっき、雷撃まともに食らってなかった??」
「あ」
「あ」
「へぶっ」
最後の足さばきを間違えたヒカリが、顔から地面にすっ転んだ。
ぎゅるうあああ!!!
そこに襲いかかる、最後の雷獣。
「きゃあ!!」
咄嗟に木剣を構えたヒカリの腕を、横薙ぎに振るわれた尾が打ち据える。
ぎゅあ!
尾の先端が白く焼け、ヒカリの木剣が弾き飛ばされる。
「あ。……わ。わ」
途端にヒカリが狼狽え出す。
「「ヒカリさん!」」
コハルが駆け出し、ユイカが矢を番えた、その時だった。
「飛べ! 『
暗闇を裂いて飛来した風の刃が、雷獣の胴を打ち据えた。
その一瞬の隙に。
ぱん!
ヒカリが柏手を打つ。
「急ぎ定めの如くせよ。掛かるは虹。破魔の御手!」
その手が開くのに合わせ、光り輝く狩猟弓が顕れる。
その光矢の先端を雷獣の顔に合わせ。
「お願い。当たってええええ!!!!」
きゅごっ。
特大の陽光の爆発に、魔獣の体が塵と消えた。
……。
…………。
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