一緒にいる理由
まだ朝靄の立つ、底冷えのする山の沢。
緩やかな清水の流れに、茜や金色の葉が混じっている。
そこから少し距離を置いた木陰の下で、5人の男女が休息を取っていた。
「ヒカリ。おめえ、その体術は誰に習ったんだ?」
「はい?」
「おめえがそのピカピカ光る木剣振り回してる時に使う体術だよ。そりゃあ、ひょっとして獣人族の戦士のもんじゃねえのか」
「そうだな。それも、国軍の戦士の正統派に近い動きだ」
「へえ? そうなのか、兄貴。おい。どうなんだよ、ヒカリ」
「これはですね、街にいる獣人のおばあちゃんに習ったんです。習ったというか、見様見真似って感じですけど」
「その者の名は?」
「シャオレイさんっていう、リス系の―」
「「!?」」
「あ、あの……お二人とも、どうしたんですか?」
「…………まさか、シャオレイ・ワン??」
「馬鹿な。……いや、確かに風の噂に、今は聖国領で隠遁生活を送っていると……」
「おばあちゃんのこと、ご存じなんですか?」
「ご存じもお掃除もあるもんかよ。『朱鎧の
「ふええ」
「しかし、戦士長の任を辞してからは、頑として弟子の類は取らなかったと聞いた。まさか異国の地で人族の娘に教えを下しているとはな……」
「やっぱおめえは凄えヤツだったんだなあ、ヒカリ。どうやって弟子入りを許してもらったんだ?」
「で、弟子入りなんてそんな! 私はただ、偶にお茶を飲んだり、お菓子を食べたりした時に、ちょっとだけ稽古をつけてもらってるだけで……」
「ふむ。しかし、そうだな、ヒカリ。そういうことならば、切り返しの際の足踏みはもう少し踵の踏み込みを意識するといい」
「ふえ?」
「兄貴?」
「ワン族のように尾の長い獣人の戦士は、自らの尾を使って重心のバランスを取る。お前が同じ動きを真似しても旋回の勢いに体が引っ張られてしまう。だから、踵だ。ここに力が入ることで瞬発力を損なわずに姿勢を維持できる」
「あ、ありがとうございます、ヘイシンさん! やってみます!」
「お。おお。すげえぜ、ヒカリ。まさか兄貴が人族の女に戦い方を……。ていうか、ひでえよ、兄貴。俺そんなこと言ってもらったことねえじゃねえか!」
「お前は尾があるだろうが、ハイジュン!」
「??……あ、そっか、ヘイシンさん、クマさんですもんね!」
「ぶほぉ!」
「ええ?」
「…………その言い方はやめろ」
「あ、あの、すすすみません、つい―」
「がっひゃっひゃっひゃっひゃ……ふげっ!」
「山で騒ぐな。ハイジュン」
少し、離れた位置で。
「ヒカリちゃんは誰とでも仲良くなるわねぇ」
目を赤く染めたアヤが、呟くように言った。
「それが、彼女の持つ一番の力なのでしょう」
殆ど独り言のような台詞に返事を返され、少し意外そうに隣に立つハヅキを見る。
「あら、いつものお小言はいいの?」
その言葉に顔を顰めながらも、ハヅキは視線を合わせないように言い返す。
「貴女こそ、私に対しての猫被りはもういいんですか?」
はん、と鼻で笑って。
「もういいわよ、面倒臭い。そんな余裕もないしね」
「かの獣には、私とヒカリさんの魔力探知が通じません。貴女の索敵が頼りです」
「分かってるっての。その代わり、魔獣が出てきたら丸投げするからね」
「丸投げまではしないで下さい」
「けっ」
「というか、その顔の傷、治したらどうなんです? 若い女性がみっともない」
「あんたの想い人にやられたのよ。ムカつくからそのまんまにしてんの」
「性格の悪い……。大体、貴女がジンゴさんに食ってかかるからでしょう」
「女子の顔に頭突きする、普通!?」
「ふん。…………良いですね、対等に扱ってもらって」
「止めてよ、そこも嫉妬ポイントなの? もう気ぃ使わないって決めたから言わせてもらうけど、あんたの男の趣味どうかしてるわよ?」
「はあ。流石、年下の美少年に手を出すような女性は言うことが違いますね」
「出してねぇし!!」
……。
…………。
「患部を冷やすのを怠るなよ。水袋はこまめに取り替えろ。特に頭だ、常に冷やし続けろ」
三人の男が寝かされた広間を、数人の女性が慌ただしく行き来している。
寝かされた男達―ガオ、レンリ、ヨルの三人はみな一様に顔を苦しげに歪め、荒い息を吐いている。
手や首筋に、赤黒い錆のような瘡蓋ができ、当てられた水袋を温くしていく。
一番容態が酷いのはヨルであった。
一人だけ俯せに寝かされたヨルの背には、他の二人とは比べ物にならない大きさの瘡蓋が出来、湯が沸かせそうなほどの熱を帯びている。
荒い吐息の中に、時折湿っぽい咳が混じる。
「解熱と鎮痛の漢方を片っ端から集めろ。粥はなるべく薄めて、量を採らせろ。汚物と吐かれた血には直接触るなよ。灰に混ぜてまとめて焼け。最低でも20分以上竈に入れろ。煙が拡散する? ド阿呆。そんなもので感染するか。呪詛魔法ではないと何度言ったら分かるのだ!」
顔のあちこちに擦り傷と青あざを作ったジンゴが、獣人たちへ指示を出していく。
あるものは薬の原料となるその他の素材の収集へ。またあるものは薬の精製に必要となる器具の調達へ。そしてまたあるものは、丈夫な棺を3つと大量の薪を、手配しに。
赤毛をポニーテールに結った聖騎士の少女―ツグミは、ヨルの背中の水袋を取り替えながらそれを聞いていた。
数分前に換えたばかりの水袋が、もう熱い。
『ジンゴさんは、ここに残ってください』
夜明け前、白み始めた空の下で、山への出立の支度をしていたジンゴに声をかけたヒカリの姿が思い出される。
『薬を作れるのは、ジンゴさんだけです。ジンゴさんには素材が揃うまで無事でいてもらわなきゃいけません』
最初は聞く耳を持っていなかったジンゴだったが、ヒカリの真剣な目に押され、渋々残留を認めた。
そこからの切り替えの早さに、ツグミは目を見張った。
ジンゴは元々街に残していくはずだったらしい書付を放り捨てると、自分の足で方々を廻り、次々と街の住人に指示を飛ばしていった。
その様子を見て、ツグミは察した。
ヒカリは信頼されているのだ。
だから、彼は自分に出来ることを、自分にしか出来ないことを、全力で果たそうとしているのだ。
ヒカリからの信頼に、応えるために。
「ぐ。………あぁ」
その時、地獄の底から漏れ出たような声を上げて、ヨルの背がむくりと起き上がった。
「だ、ダメですよ、ヨルさん、起き上がっちゃ!!」
ツグミが慌ててそれを抑え、ずれ落ちた水袋を当て直す。
「……ツグミさん?」
「寝てて下さい、ヨルさん」
「ガオは……?」
「横で寝てます。レンリさんも一緒です。ヨルさん、寝てないと!」
「他の……みんなは。………ヒカリは、無事ですか」
それでも肘を立てようとするヨルを、ツグミが泣きそうな顔で押さえつける。
「倒れたのは三人だけです。ヨルさんのおかげで、他の人はなんともありません。今、薬の材料を採りに行ってくれてますから」
「……薬?」
「帝国で開発された新薬だそうです。ジンゴさんが製法を知っているから、って……」
「抗生物質……。そうか、開発に成功したって」
「こう、せい……?」
「あああ。すいません、何でもないです」
「ヨルさん、とにかく、今は寝てて下さい。白湯、飲めますか?」
掠れるような声で礼を言うと、一口ずつ、一舐めずつ、染み込ませるようにしてヨルは白湯を飲んだ。
長く息を吐き、再び床へ倒れ込む。
「今、お粥を作ってもらってます。辛いでしょうけど……」
「ええ。何とか、命を繋がないとですね」
その台詞を聞いて、ツグミの顔が暗くなる。
「ヨルさん。その、ひょっとして……」
「ええ。紅疽症は、死体から伝染する病気ですから。拡大させないためには、罹患者が死なない内に焼き殺すしかない。今頃ジンゴの奴、棺の手配も進めてるんじゃないですか?」
ツグミの肩が小さく震えた。
「何で……。ヨルさんは平気なんですか?」
「平気じゃないですよ。俺だって死にたくない。だから、生きるんですよ」
「そうじゃなくて!」
「はい?」
「ジンゴさんは。……ジンゴさんは、本気です。もしも薬が間に合わなかったら、本当に、ヨルさんたちを……」
その震える声を聞いて、ヨルは目を閉じ、柔らかく微笑んだ。
「ツグミさん。その、なんて言ったらいいですかね。……俺とジンゴは。…………そう。俺たちは、何の『約束』もしてないんですよ」
「約束?」
「俺も、ジンゴも、自分の生きたいように生きる。俺たちが一緒にいるのは、たまたま今いる道が重なってるからで、それ以上の理由なんかない。別にそれが分かたれたからって、引きとめたり着いて行くつもりは、全然ないんですよ」
ツグミはその言葉を俯いて飲み込み、そして、少し間を置いて問いかけた。
「……じゃあ、ヒカリは?」
「え?」
「ヒカリとは、どうして一緒にいるんですか?」
潤んだ目で、ツグミがヨルを見つめる。
ヨルは、言葉を探し。
見失った。
「ごほっ。がっ。がはっ」
「ヨルさん!?」
「げえっ」
枕元に置かれた盥に、ヨルが吐血する。
「お、お水持って来ます!」
慌ててツグミが部屋を出ていく。
ヨルは暫く咳き込み、やがて、力を失ったように布団に沈み込んだ。
しばしの静寂の後。
「悪い男がいるなぁ」
「今のは狡いんじゃねえのか、ヨル」
「……聞いてたのかよ」
……。
…………。
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