春の話

始まりはイチゴのパウンドケーキ

「……それでねえ、今年のイチゴももう終わりでしょう。最後にみんなでパウンドケーキを作ったんだけど、流石に作りすぎちゃってねぇ。もうみんな一年分のイチゴは食べたわね。折角ジャムも作ってあったんだけど、暫くは食べる気しないわよねえ」

「そういう時は、紅茶に入れて飲むといいらしいですよ」


「ああ、そういえばエルフの人はそうするらしいわねえ。今度やってみようかしら。丁度いいお茶っ葉があるのよ。聖都の方からの頂きものでね。そうそう、それでね。その時、私、代わりにと思ってブランデーを差し上げたんだけど、あちらの方はあんまり強いお酒飲まないって後から聞いたのよ。かえって悪いことしちゃったかしらと思ったんだけど、お手紙頂いてね。美味しかったから今度はちゃんと買いますね、ですって。やっぱり美味しいものは美味しいわよねえ。ホント、誰が言ったのかしらねえ」

「向こうの人は、お酒は色んなもので割って飲むのが普通なんですよ。ストレートで飲む文化がないだけなんだと思いますよ」


「あらそうなの。割っちゃうの。へええ。私なんかブランデーは絶対ロックよ。そう、割っちゃうの。それはなんだか勿体ない気もするけど。お国柄ならしょうがないわよねえ。ああそうだ、その人から貰った干菓子がまだあったと思うんだけど、持ってく?」

「ありがとうございます。頂きます」


「はいはい、これとこれね。ああそう。さっき言ったパウンドケーキも、まだ余ってるんだけど一緒にどうかしら?」

「そうですね。折角なんで貰っていきますね」

「悪いわねえ、余り物押し付けるみたいで」

「いえ。美味しいものは美味しいですからね」

「あらやだ、この子ったら。はいはい、昨日焼いたのだから、今日中に食べてね」

「ありがとうございます。ああ、もうそろそろ支度しないと」


「あらそう? 悪いわねえ。急なお願いで。私ったらすっかり忘れっぽくなっちゃって。いやねえ、ホント。じゃあ、宜しくお願いするわね。どのくらいで帰って来れるかしらねえ」

「帰りはのんびりしてきますんで、大体4、5日くらいですかね」

「そう。じゃあ、帰ってきたらウチに来てね。お夕飯ご馳走してあげるわ」

「お土産買ってきますね」

「いいのよ、もう、そんなの。ああでも、そうねえ。バルに行くなら、鮭トバが美味しいわよねえ」

「はい。了解です」

「おほほほ。やあだ、私ったら」

「じゃあ、行ってきますね」

「はい。行ってらっしゃい。ああ、マーヤさんには私から言ってあるからね。気をつけてね」

「ありがとうございます。では」


 メリィ・ウィドウの街の工業区、その執務室のドアを開けて、黒い外套のポケットをぱんぱんに膨らませた長身の少年――ヨルが出てきた。

 ドアの横の壁に寄り掛かって腕組みしてた、新聞屋・アヤがうんざりとした顔で言う。

「ヨル君。あんたすごいわ」

「はい?」


 ……。

 …………。


 木々の枝葉を揺らす風が、いやに強く吹く日のことであった。

 日差しは流れる雲に時折隠れてはまた顔を出し、少しするとまた隠れてを繰り返している。日陰にいると少し肌寒い朝の町並みを、ヨルとアヤが並んで歩いていた。


「それで、結局何の用事だったのよ」

「こないだの定期便に乗せ忘れちゃった荷物を、港国の街まで届けてほしいそうです。何でもカグヤさんが昔お世話になった人で、この時期は一番いいシードルを贈るのが毎年の習慣になってるそうです」

「……そんな話、してた?」

「してなかったら俺が持ってるこの風呂敷は何なんですか」

「いやいやいや、あんな洪水みたいなお喋りよく全部聞き取れるわね。私なんかいっつも返事する途中でもう次の話題に移っちゃうから、最後の方なんか相槌しか打てないわよ」

「ちゃんと聞いてないからですよ。返事するにもタイミングってもんがあるんです」


 昨日の晩、便利屋の仕事の後で、依頼主の女性から、明日は朝一でカグヤさんのところに行ってほしいと聞かされたヨルは、その日、同じく工業区に用があるというアヤと連れ立ってカグヤの元へ向かった。

 一緒に入るかと聞いた所、首をぶんぶんと横に振ったアヤを残してドアを開けたヨルに怒涛のようなお喋りを始めたカグヤから何とか要件を聞き出し、下手に遠慮すると次から次へと土産を持たされることを経験から知っていたため、早々に荷物をいっぱいにすることで最短での執務室からの脱出を成功させたヨルは、取り敢えず膨れ上がった外套の中身を自分の家に持ち帰るところである。


「いや、いいわ。私には無理だわ。ていうか、そのイチゴのパウンドケーキ、街中に溢れ返ってるわよね。私も昨日から食べ過ぎて胃もたれしてるんだけど」

「ケーキつまみにしてお酒なんか飲むからですよ。大体みんな、庭でイチゴ作ってますしね。俺らみたいなのにはお裾わけが集中するんですよ」

「それで、そのケーキ食べるの?」

「無理です。ジンゴに押し付けます」

「あは。あいつならカロリーさえ取れりゃ何でもいいだろうしね。それで、何、今日もう行くの? ええと、何処って言ったっけ」

「バルの街ですね。ええ。丁度依頼も入ってないですし」

「ヒカリちゃんが頑張ってるからねー」


 そこで、ヨルの顔が露骨に顰められた。

 重く長い溜息を吐く。


「頑張ってるのはいいんですけどね……」


 ……。

 …………。


「それでね、マーヤさんったら折角貰った新しい生地……あら、ヒカリちゃん。こんにちは」

「あ、クーネさん。アニーさん。スバルさん。こんにちは! 今日はお仕事お休みなんですか?」

「こんにちはぁ。そうよぉ、やぁっとお休みよ」

「蚕ちゃんも最後の子たちがようやく繭玉作ってくれたからね。明日からまた忙しいけど、今日は休養日」

「ヒカリちゃんは?」


「私も今日は予定がないのです。朝の鍛錬も終わりましたので、ちょっとお散歩しようかと。何を隠そうこの私、散歩が趣味みたいなところがありまして!」

「あらまあ、素敵な趣味ね。田舎暮らしに向いてるわ」

「そうです。決して迷うのが得意というわけではないのです。私はただ、当てのない道をお散歩するのが好きなだけなのであって!」

「はいはい。野菜の買い物で街中半周したことは誰も口にしてないよ」

「ススススバルさん! それは内緒とあれ程!」

「内緒も何も、アヤの新聞記事にしっかり書かれてたじゃないか」

「ふぐっ。そ、そうでした……」

「ほらヒカリちゃん、折角だから混ざりなさいよ。お菓子もあるわよ」

「あうう。お邪魔します……」


 街中の井戸の横に設えられた東屋で文字通り井戸端会議をしていた女性三人に、新米聖騎士の少女が加わった。


「おいふぃいです」

「ほらほら、食べるか喋るかどっちかになさい」

「ふぁい」


 もふもふとパウンドケーキを頬張るヒカリを、人族、魔族、エルフの中年女性三人がにこやかに見つめている。

「それで、この街にはもう慣れた?」

「はい! 居住区ならもう迷いません!」

「あらあら、ホント?」


「便利屋の仕事はどう?」

「そっちは、……まあ、最初よりは、……その、はい」

「うふふ。焦らなくていいわ。分からなかったらヨル君を頼ればいいのよ」

「それはダメです! あいつは倒すべき敵ですので!」

「もお、いい加減仲良くしたら? ヨル君、いい子よ?」

「何がいい子なものですか! 聞いてください。ヒドイんですよ!」

「あら、なあに?」


「この間、折角ジンゴさんが私を頼って素材の採取を依頼してくれたのに、横から口出しして『この山地は危ないからお前じゃ無理だ』とか言って、仕事を横取りしようとしたんですよ!」

「あら、そうなの」

「でもでも、同時に入っていた依頼がお庭の灯篭の修繕で、そっちのほうが私には無理です。だから、私はきちんとものの道理を説いて諭し、自分の仕事を吸血鬼から守ったのです!」

「あら、偉かったわねえ」

「えへへ」


 ヒカリが目に涙を浮かべながらアヤに助けを求め、間に入って仲裁してもらったことも、ヨルがその日いつになく真剣な顔で最速で修繕を終わらせ、ヒカリの後を追って後ろからこっそり手助けしていたことも知っている女性たちは、にこやかな顔を崩さない。


「ああ、そうだ。ヒカリちゃん、あなた、シャオレイさんにはもう会ったことある?」

「シャオレイさん? 獣人の方なんですか? ええっと……」

「リス系の獣人のおばあちゃんなんだけど」

「リス! まだお会いしてないです。そして会ってみたいです!」

 ヒカリの顔が輝いた。

 三人女性は顔を見合わせ、頷き合うと、小さな風呂敷包みを取り出した。

「そう? じゃあ、もし良かったらなんだけど、このパウンドケーキ、届けて貰ってもいいかしら。まだお裾分け行ってないと思うのよ」

「はい! お安い御用です。任せて下さい!」

「助かるわ。お願いね。ええっと、場所は――」


 ……。

 …………。


「ええっと、何なに、『工業区外縁を時計回りに歩くと小川にぶつかるので、流れと反対に歩いていく。ずっと歩いていくと、あれ、何もないな、道間違えちゃったかな、引き返したほうがいいかな、と不安になってくる頃、小川を渡る小橋があるのでそれを渡って、後は道なりに真っ直ぐ』。……何だこれ」

 紙に書き付けれた道案内を読みながら首を傾げるヒカリは、てくてくと道を歩いていく。手にはイチゴのパウンドケーキが包まれた袋を抱え、もう片方の手でメモ書きを掲げている。


『少し気難しいおばあちゃんだけど、ヒカリちゃんなら仲良くできると思うわ』

『気をつけて行ってきてね』

『なんだったら、包み置いてくるだけでいいから』


 どことなく不安を誘う声に見送られ、書いてある通りに桑畑と果樹園の間を流れる小川を、流れと逆方向に歩いていくヒカリだったが、一向に小橋の見える気配はなかった。


「うーん、見えて来ないなぁ。ひょっとして途中で見落としちゃったのかも。1回引き返したほうがいいかなぁ………あ、あった。ほ、ホントだ……」

 慎重に小橋を渡り、桑の木々に囲まれ曲がりくねった小径をてくてくと歩いていく。

 三回目のカーブを曲がった時、不意に視界が開けた。

「わあ」

 思わず、声が漏れた。


 まず目を引くのは大きな木。縦横に広がる枝は葉を落とし、寒々しく風に揺れている。

 その横に、臙脂色の瓦屋根を葺いた丸太造りの小さな家が建っている。

 庭は菜園になっており、耕された畝には何かの野菜の緑の葉が、小さな木には赤い実がいくつも実っている。家の周りは淡い色合いの花が綺麗に並んでおり、黄色い蝶がひらひらと飛んでいるのが見える。


「素敵なお家。……あれ?」

 その、花壇の前に、何かもこもことした、茶色いものが見えた。

 その人物はヒカリの気配を察するとくるりと振り返り、胡乱な目を向ける。

 それは、灰色の髪の毛をした老婆だった。身長はヒカリと同じか少し低い程。頭の上には髪の中からぴょこりと三角の耳が生え、小豆色の服の後ろからは頭まで届く、見るからに柔らかそうな大きな茶色の尻尾が立っている。


「何だい、あんたは?」

「ほわあぁぁぁぁぁぁ」


 顔を顰めて問いかける老婆に、ヒカリは返答することが出来なかった。

 見た目の年齢より、かなりしっかりとした足腰で、ヒカリを睨みつけながら老婆は歩み詰める。

「ああん? あんた、ひょっとしてこないだから街に赴任してきたとかいう聖騎士かい」

「はわ。はわわわわ」

 ヒカリは呆けたように口をあんぐりと開け、ぷるぷると震えている。


「全くどんなやつが来たかと思ったら、こんなちんちくりんの赤ん坊だとはねえ。何だい、その包みは。甘い匂いがするね。さては連中に唆されて私を懐柔しに来たんだね。全く、発想が陰険なんだよあの小娘たちは」

「はわわわわ」

「何だいあんたさっきから間抜けなオットセイみたいに」

「あ、あの! あの。あの!」

「はっきり喋んな!」


「尻尾を! モフモフさせてもらえないでしょうか!!???」

「!?」


 ……。

 …………。 

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