ヒカリ

「初めに断っておくが、お前が魔法を使いこなすのはかなり難しい」


 ジンゴの資材倉庫の土間で、ヒカリとアヤが並んで座り、ジンゴと向かい合っている。

 ヒカリは今にも泣き出しそうな顔で、アヤは不機嫌そうに眉間に皺を寄せて、その言葉を聞いた。

 ジンゴは目の下に濃い隈を作り、古びた本を片手に、擂り鉢で何かをごりごりと擂っている。ジンゴの後ろには何種類かの干からびた素材が入った皿や瓶が並べられ、白い布に巻かれた、人の腕程の長さの棒状の何かが無造作に転がされている。

 ヨルの姿はなかった。


 あの日の後、ヒカリは悶々とした気持ちのまま便利屋見習いの仕事を続けた。何故かヨルは街から姿を消し、誰に聞いても何かの用事で街の外に出掛けたらしいということ以上の話は聞けなかった。

 仕事の終わりにすることもなくなってしまったヒカリは、ある日にはアヤの酒盛りに付き合わされ、カグヤの家に招かれてはこれでもかと積まれた食事と甘味を小さな体に詰め込まれ、マーヤの家に招かれてはお下がりの着類をあれやこれやと着せられ、そうやって街の人たちと交流して過ごすうち、一週間はあっという間に過ぎてしまった。


 そして約束の日。うんざりした顔のアヤの腕にしがみついたままジンゴの部屋の扉を叩き、通された土間に座らされた直後に聞かされたのが、先の言葉なのであった。


 ヒカリの俯いた顔が更に下を向く。

「うう。やっぱりダメですか」

 アヤの額に青筋が浮く。

「あんたね、そんなこと言うためにわざわざ一週間も待たせたわけ?」

 二人の発言に表情を変えることもなく、ジンゴは手を止めるとヒカリに向かい合った。


「前回、俺はこう言った。その持ち主の人間自身に扱いきれん程の魔力などありえん、と。訂正しよう。確かに、お前の魔力は規格外だ。およそ人の身に収まる範囲を超えている」

「……え。そ、そんな。確かに私、人よりちょっと聖気の量は多いって、昔っから言われてましたけど。そ、そこまで言うほどじゃ――」

「魔力量を数値化する方法など未だに確立されておらんからな。確かなことは俺にも言えん。ただ、俺は人より少し魔力の流れに過敏なタチでな。大体の生物が備える魔力量というものは大凡把握している」

「はあ」


「これは種族や職種によっても違いはあるが、そうだな、この街の人族の備える魔力の平均を仮に100としよう。獣人種はそれより劣って30前後、逆に魔族やエルフは300から500の間くらいだ。普段のヨルはこれより少し少ないくらいだな。ちなみに帝国騎士の隊長で1000前後、団長となると最低でも3000は下らん。それと比べた場合だが――」

「……はい」


「お前の魔力は3万だ」


「…………」

「…………」

「…………」

「…………はい???」


「聞こえなかったか。お前の魔力量は、常人のおよそ300倍だ」

 鬱陶しそうに言うジンゴを気にする余裕もなく、ヒカリが狼狽える。


「え、ええ? さ、3ま、えええ?」

「ちょっと曖昧屋。あんたいくらなんでも盛りすぎでしょ。騎士団長の10倍って。あの人たちの化物っぷり、あんたが知らないわけないでしょ?」

「無論知っている。言っておくが、髪を口にしただけの雑な判断だからな。精確でないのは確かだ。しかし、今言った数字を下回ることは絶対にない」


 あー、あれはそういうことだったのか、と、半ば放心したヒカリがぼんやりと思った。

「俺も魔力に当てられて嘔吐したのは初めてだ。貴重な経験だった」

「うぐ」

「変態野郎」


「こいつにとって魔法を使うということは、普通の人間がピッチャーからグラスに酒を注ぐところを、酒樽を直接傾けて猪口に半分きっちり酒を注げと言うようなものだ。普通に考えて出来るわけがない。それをこの娘は単発の聖光魔法なら取り敢えず放つところまでは出来る上に、より複雑な範囲型の魔法を3回に1回成功させるそうだな」

「え、ええと、はい」

「新聞屋。お前、この娘の魔力コントロールがド下手と言ったな。お前も訂正しろ。こいつのコントロール技術は、はっきり言って神業だ」

「「は、はあ……」」


 今まで散々下手だのドジだのと言われてきた自分の技術が神業だなどと言われたところで、到底受け止め切れるわけもない。ヒカリはただただきょとんとした顔でジンゴを見つめるばかりである。そして、戸惑うのはアヤも同じであった。


「いや、それがホントならいくらでも謝るけれども。つまりその神業をもってしても現状が精一杯だってことなのね? じゃあ、ヒカリちゃんは結局どうすればいいのよ」

「だから、最初に言ったろう。この娘が魔法を使いこなすのはかなり難しいと。無理とは言わん。ただ、相当の修練を必要とするのは確かだし、俺はそんなことをする必要はないと思う」

「ひ、必要ないって……」


「いいか。お前と同等の魔力を備える生物といえば、それはもう悠久の時を生きる真祖の吸血鬼か、神話級の魔獣くらいのものだ。これらの生物は確かに高度な魔法を使いこなすが、そもそも人間とは命の持つ時間の流れが違う。お前がもし戦闘に自分の魔力を使おうというのなら、それは魔法とは違った形をとるべきだ」

「魔力を使うのに魔法を使わないって、どういうことよ?」


「こいつを使え」

 そういってジンゴは、自身の背後から白い布をたぐり寄せると、それを解いて中身を晒した。それを見せられた二人が揃って首を傾げる。


「……え?」

「おい。曖昧屋、あんた巫山戯てんの?」

「巫山戯てなどおらん」

「これ、木剣ですか?」


 それは、白木で出来た剣であった。

 柄から剣身の根元にかけて等間隔に半透明な石が嵌め込まれ、その間を黄色い線が這い回り、何かしらの紋様を描いている。そこから伸びる二本の直線が剣先まで届き剣身を二段に分けている。

どうやら二種類の白木が使われているらしく微妙に色合いが違う。鍔と柄も同様に白色ではあるが、こちらは木製ではないようであった。


「あんたね、これでどうやって戦えってのよ」

「お前が使う必要はない。黙っていろ。元よりこの魔道具はこの娘にしか使えん」

「これ、魔道具なんですか?」

「そうだ。いや、正確には違う。持ってみろ」


 恐る恐る柄を握り、ヒカリは木剣を構えた。

「……軽い。それに、すごく持ちやすいです」

「腕に魔力を込めてみろ。慎重にな」

「は、はい。……うわ」

 木剣全体が、僅かに陽光を発し始めた。


「うわ。うわ。何か、勝手に力が吸い出される感じがします」

「ちょ、それ大丈夫なの?」

「それは持ち主の魔力に反応し、それを吸い上げて剣身から発散させる効果を持つ。通常の魔道具と違い、中で魔力を塞き止め回路に流して魔法を組み立てるわけではないので、どれだけ魔力を注ごうがパンクする危険はない。

 常人がそれを使ったところで、ただ自分の魔力を垂れ流して干からびるだけだが、こいつの魔力量ならその心配もない。そして、剣身から発せられるのは剥き出しの陽の魔力。並みの魔獣ならそれに触れただけで甚大なダメージを負うというわけだ」


「な、なるほ……ど?」

「無理に仕組みを理解する必要はない。必要なのは、どれだけの魔力を通せばどれだけの威力になるかという経験とコントロールだけだ。お前の技術ならば必ず使いこなせる」


 ヒカリは暫くその木剣を矯めつ眇めつし、魔力量をコントロールしながら恐る恐るそれを振ってみた。構えも剣の振りも不格好ではあったが、どれだけ眩い光が剣身から発されても、爆発する素振りは全くなかった。

 その構えを解いたヒカリが、陽光の放出を収めた木剣を両腕に抱え、躊躇うような口調で言う。

「あの、ジンゴさん。私、実は剣術が苦手で……」

「安心しろ。弓術も得意ではない」

「はう」


「だから、研鑽するならそういう方向にしろという話なのだ。無理に普通の人間用の魔法を鍛えるよりも、剣術を鍛えた上でその規格外の魔力を活かす方法を考えたほうがいい。俺もそんな魔道具を作ったのは初めてなのでな。弓矢に同じ機構を組み込むのはまだ無理だ。苦手という認識があるということは、一応剣術を習ったことはあるのだろう?」

「は、はい。一応は」

「ならばそれを鍛えろ」

「……はい。でも、あの……」

「何だ」


 ヒカリは木剣を土間の上の白布に置くと、再び俯いて手を前で組んだ。

「私の魔法は、その、私だけのものじゃないんです」

「ふむ。どういう意味だ」


 それを聞いたジンゴは、何故か置いていた本を手に持ちページを手繰ると、片手で再び擂り鉢を回し始めた。

「私、最初はやっぱり、全然魔法使えなかったんです。でも、養成校のみんなが一生懸命練習に付き合ってくれて、それでようやくものにした魔法なんです。初めて成功した時、みんな、ホントに喜んでくれて。私も嬉しくて。だから、その、そんな簡単に、捨てるわけには、その……」

「ふむ」


 ジンゴはページを手繰り、本から目を離さない。

「あの。ワガママ言ってるのは分かってるんです。アヤさんにも、ジンゴさんにも、迷惑かけて、聖騎士の役目なんか全然果たせてないのに……」

 ヒカリの声が、湿り気を帯びてきた。


 アヤは何かを言いかけたが、それより早くジンゴが口を開いた。

「お前の友人とやらが、どうしてそんなに一生懸命だったか分かるか」

「ふえ?」

 不意の問いに、ヒカリが固まる。


「そ、それは、その、私があんまりダメな子だから……」

お前が・・・一生懸命だったからだ」


「………え?」

「お前が一生懸命に頑張っていたから、周りの人間がお前を助けたんだ」


 そこで、アヤが化物に出くわしたかのような顔でジンゴを見た。

「……え。あんた何言ってんの?」

 ジンゴは相変わらず本から顔を離さずに続ける。


「いいか。『迷惑をかける』のと『世話になる』のは違う。お前が迷惑をかけたと思っている連中がお前を嫌っていると思うか。その友人とやらのことを思い出してみろ」


『みんな、あんたのことが大好きなのよ』


 ヒカリの脳裏に、友人の声が浮かぶ。


「そいつらは、お前が戦うために魔法以外の力を鍛えることを不義理と謗るか?」


「いえ。……いいえ。ぐすっ。そんなこと、そんなことないです」

 いつの間にか零れ落ちた涙を拭いながらヒカリが言う。

「みんな、いい人たちばっかりで、私、みんなのこと大好きで……」

「本当に大事なのは自分にどんな力があるかではない。その力を使って何をするかだ。お前が人の役に立つ聖騎士なりたいと思うなら、その手段に拘る必要はどこにもない」


 アヤが心底気色悪そうな顔でジンゴを見つめている。

 ヒカリはごしごしと涙をぬぐい去ると、火の点いた目を大きく見開き、顔を上げた。


「はい! ジンゴさん、ありがとうございます!」

「うむ」

「この木剣。ありがたく、使わせて頂きます!」

「ド阿呆。誰が只でやると言った」

「はうぅ!」


 置いた木剣に手を伸ばしたヒカリが再び固まった。

「おいコラ。曖昧屋」

 アヤが低い声で凄む。

「あ、あの、あの。そうですよね。当たり前ですよね。ええと、そのぅ。おお、おいくらほど……」


 震える声で問いかけたヒカリに、ジンゴは部屋の隅の棚から幅広の木簡を取り出すと、備え付けの墨と筆でさらさらと何かを書き付け、ヒカリに放って寄越した。

 そこに書かれているだろう0の数を想像し恐々としたヒカリがそれを見ると、そこには何何の葉だの、何処其処の木の実だのと、某かの素材のようなものがいくつも書き連ねてあった。


「あの。これは?」

「その魔道具はお前専用の特注品だ。値段などつけられん。お前には代わりに、今俺が外部から受注している薬種の素材を採取してきてもらう」

「そ、それでいいんですか?」

「構わん。どうだ、やれるか」


 ヒカリは、その言葉を噛み締めた。どう考えても、特注品の魔道具一つと引き換えになるような条件ではない。ジンゴにとって割が合わなすぎる。

 私は今、この人の『お世話になる』のだ。


「わかりました。お受けします。ジンゴさん。今後も素材の採取で手が足りないときは、いつでも私に言いつけてください」

「うむ。では早速行ってこい。急ぎの案件なのだ。ああ、現物を見たことがなければそこの棚から図鑑を持っていけ」

「はい! ありがとうございます!」


「あああ、ちょっとちょっと、ヒカリちゃん、この辺の地理なんか分かんないでしょ。私も行くわよ」

「え、アヤさん? いいんですか?」

「乗りかかった船よ。どうせ暇だしね。どれどれ……。んー。そうだね、これなら、頑張れば今日中に帰って来られると思うよ。じゃあヒカリちゃん。私は自分の部屋で準備するから、ヒカリちゃんも出かける支度をしてきてね。一応危険な魔獣はいないけど、念のためちゃんとした装備でね。ああ、あと、マーヤさんにも報告しておいたほうがいい。ただし、カグヤさんには見つかっちゃだめよ。動けなくなっちゃうから」

「はい! 了解です!」


「よし。じゃあ街の出口前で落ち合おう」

「わかりました!」

 そう言って、最後に一つ特大の礼をジンゴに向けると、ヒカリはボロ長屋を飛び出して行った。


 ……。

 …………。


「ねえ、ジンゴ。それ、仮に値段つけたらいくらくらいになるの?」

「金貨30枚でも足りんだろうな」

「はあああ。で、あんた一体どういうつもりよ?」

「何がだ」

「あの歯の浮くような台詞!」

「あの娘が受け取りを渋る可能性は考えてあった。そのための対策も用意しておくのは当然だろう」

「けっ」

「支度するんじゃないのか? 早く行けよ」

「はいはい。言われなくてもね。それよりジンゴ。あんた、ヨル君どこ行ったか知らない? 部屋にも戻った形跡がないし……」

「俺が知るか」

「あっそ。じゃあね」

「おう」


 ……。

 …………。


 二人が街を出発する頃、ジンゴは先程から擂っていた粉末を薬包にまとめ、アトリエにしている真ん中の部屋を通り抜け、寝床用の部屋の扉を開けた。

 そこに敷かれた薄っぺらの布団の上で、普段よりも数段蒼い顔をしたヨルがぐったりと寝転がっていた。

「取り敢えず、間に合わせだ。これを飲め」

 水瓶から柄杓を寄越し、薬包と一緒に差し出す。

「……………わるいな」

 その声は掠れ、見るからに力がない。


「全く、魔力欠乏症の吸血鬼など聞いたこともない」

「仕方ねえだろ。エルフ領まで行ってきたんだぞ」

「ふん。魔力を抵抗無しに通す木材など、あの森の金比羅檜以外にはない。大体、魔力が足りなくなったのならば誰ぞから血を吸ってやればよかったものを」

「……それは筋が違う」

「強情者め」


「あいつは受け取ったか」

「ああ。予想通り最初は渋ったがな。お前の台本が役に立ったぞ」

「そうか」

 ジンゴは先程のやり取りの最中に捲っていた本から幾枚かの紙片を取り出し、薪にくべた。


「なあ、これ、あんま効かねえんだけど」

「間に合わせと言ったろう。魔力回復の強壮薬などそう簡単に用意できるか。ただまあ、早ければ今日の夕には素材が届く。それまで大人しくしていろ」

「そうか。世話かけるな」

「後でたっぷり元は取らせて貰う。気にするな」

「はは。怖えな」

「俺は曖昧屋だ。誰か一人の味方などせん」

「うん?」

「こっちの話だ」


 ……。

 …………。

 

 そして、数日後。


 長く街を満たしていた梅の香も薄まり、はらりはらりと桜の花弁がどこからともなく舞うようになっていた。

 日は一日毎に長くなり、草木が萌え、遠くに見える山々は錦色に烟り、街では蚕の世話の忙しくなる頃。


 街の外に広がる森の手前を流れる川で、一人の少年が竿を突き出し、春の陽気にとろとろと微睡んでいる。


 そこへ走り来る軽快な足音。

 陽光を放つ、白木の剣。

 少年は大儀そうに振り向き、立ち上がる。


「邪悪な吸血鬼! 今日こそ退治してあげる!」

「イヤだっつってんだろ!!」


 ……。

 …………。

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