哀しみに、朝が来る
しばらくは誰も、口をきくものはいなかった。
ただ茫然と、巨きな力の最期の、その残響を求めるように、虚空に視線を彷徨わせていた。
緩やかな風が、夜の底に吹いた。
最初に動いたのは、ヨルに介抱されていた、チュウヤ・イブスキであった。
起き上がり、周囲に目を遣り、そして道の先に事切れた雷獣の姿を認めると、再び項垂れ、低く嗚咽を漏らした。
「チュウヤさん」
その肩を、ヨルが掴む。
「泣いている暇はないですよ」
「……ヨル、さん?」
「貴方には、やらなければならないことがある。里長として―」
「里長などと!!」
枯れた声が、吠えた。
「私のことを! 里長などと呼ぶな! 私は、私はただ。愛しい女と、共に生きたいと願った。……それだけのことが。何故こんなことになる! 一体私が何をしたというんだ!! 何故私がこんな目に合わなければならない! この恥辱に塗れた男に、これ以上何をしろというのだ!!」
ヨルの目が細められ、その口元に柔和な笑みが浮かんだ。
「そうですね。確かに貴方は悪いことなど何一つしていない。やるべきことをやらなかったわけでもない。あなたは正しく、清い人間だ」
「何を……言って」
「里長なんて、あなたがなりたくてなったわけでもない。別に誰がやったっていいんだ。なんならこの里を潰したっていい。隣町と合併したって、なんとかなるでしょう。そしたらもう、里長もなにもない」
「……」
「でもね、チュウヤさん。例えあなたが悪人でも善人でも、商人でも里長でも、いっそ乞食になったって、たった一つだけ変わらないものがある。あなたは、人の親だ。アオイ君とアカネちゃんの、たった一人の親なんだ」
「私に、あの二人の親を名乗る資格など……」
「資格の話をしてるんじゃない。ただの血縁の話をしてるんだ。血の繋がりってのは、何よりも強い絆なんだよ。あなたは生きなくっちゃいけない。あの子たちを守り、育てなくちゃいけない。子供には、親の背中が必要なんだよ。
辛い道だし、苦しい道さ。けどあなたは、そうしなきゃならない。もう一度言います。あなたにはやらなければならないことがある。里長として、そして、あの二人の親として」
ヨルのその言葉を、チュウヤは愕然として聞いた。
唇が震え、歯がかたかたと鳴る。
「わ、私は……。でも、あの子たちは私のことを、とうに見限っているのだ。でなければ、心を鬼に食われたりなど……」
「大丈夫です!!」
その手を、今度はヒカリが握った。
「ひ、ヒカリさん」
「大丈夫ですよ、チュウヤさん!」
混乱したまま、その手と顔を交互に見る。
「私の大事な人は、私のことを、心から愛してくれました。とってもとっても、愛してくれました。もう、もう会えなくなっちゃったけど、でも、あの人たちのくれた愛情は、今でも私の中にあります。いつだって思い出せます。
親の愛情が、子供に伝わらないなんて、そんなことないですよ。絶対、大丈夫です。きっと上手くいきます。素敵な家族になれますよ!」
「家族に、なる」
「里のみなさんだって家族ですよ! チュウヤさんのこと悪く言ってた人なんか、里の中に一人もいませんでした。チュウヤさんが、今まで頑張ってきたからです。だから、大丈夫です!」
ヒカリの真っ直ぐな視線に晒されたチュウヤは、言葉を失い、再び力なくその場にへたり込んだ。
その時。
「お父さん!」
「お父さん!」
鏡合わせの、声が。
青みがかった黒髪の双子。
寝巻に裸足のままで、こちらに向かって走ってくる、その二つの影を見たチュウヤが、弾かれたように駆け出した。
「アカネ! アオイ!」
枯れ果てた声で、縺れる足で、二人に駆け寄る。
「お前たち、いつ目を覚まして……。いや、それより、何でここに」
「さっき」
「目が覚めたの」
「とても怖くて」
「怖い夢を見てて」
「お父さんがいなくて」
「探したんだけど」
「お父さん、泣いてるの?」
「どこか痛いの?」
とうに枯れた涙が、再び溢れてきた。
「いや。いや。大丈夫だ。お父さんは、大丈夫だ」
「本当?」
「痛くない?」
「ああ。大丈夫だ。お前たちがいれば、お父さんは大丈夫だ……」
「じゃあ、ずっと一緒にいるよ」
「ずっと一緒にいる」
「だからお父さんも、私たちと一緒にいてね」
「僕たちと一緒にいてね」
震える手を広げ、小さな体を二つ、抱きしめた。
「ああ。ずっと一緒だ。私たちは、家族なんだから」
……。
…………。
それは、暗闇を彷徨い歩いていた。
自分には仲間がいたはずだ。
頼もしい仲間たち。
なのに、仲間の匂いは今、全て血の匂いと共にあった。
淋しい。
悲しい。
ひもじい。
今まで自分を律してきた、何か大きな力が失われてしまった。
山はどこだろう。
あの泉は、あの巨木は、あの日当たりのいい大岩は。
帰りたい。
あの場所に。
何か騒がしい。
血の匂い。
草の焦げる匂い。
肉の匂い。
ああ。
ひもじい。
何かが見える。
大きな体が、横たわっている。
血の匂い。
死の匂い。
あの、二本足で立つ生き物たちが。
全て奪った。
おのれ。
おのれ。
……。
…………。
その場の全員が、油断していた。
弛緩した空気の中に、突如現れた殺意。
青い光が暗闇の奥から。
がるぅあああ!!!
鋭い牙が、爪が、角が、チュウヤと子供たちに襲いかかった。
「い、生き残り!?」
その声を発したのは誰だったろう。
彼我の距離は15メートル程。
伸ばされた腕も、駆け出す足も、届きようのない距離。
硬直する二人の子供をチュウヤが庇い、その痩せこけた背で覆った。
コンマ数秒後に迫った惨劇に誰しもが絶望した、その時。
一メートル程の魔獣の、自らの角から発せられる青い輝きによって地に落とされた影の中から、闇の花が咲いた。
「『
魔獣の足に、胴に、頭に、闇の衣が絡み付く。
十重二十重に咲く影が燃え上がるように吹き出し、その体を飲み込んでいく。
ぎゅ。
ぎゅあ。
塞がれた口元から、掠れるような悲鳴が。
やがてそれすらも闇の中に消え。
地の底に、引きずり込まれた。
後にはただ、静寂だけが残った。
「な、何が、起きて……」
茫然とする『貴妃』のメンバーの中で、ただ一人セイカだけがその光景の意味を理解し、地に手をついたヨルの姿を見た。
『多分、次に大規模な魔法を使ったら、その場でひっくり返ります』
最後の魔力を使い果たしたその体が、ぐらりと倒れる所を。
「ヨル君!!」
「大丈夫ですよ」
その体が、ゆっくりと起き上がった。
「え………」
ぱたぱたと服の土埃をはたき落とし、茫然とするセイカを見下ろす。
「今のは、封印魔法です。使った瞬間に空になった魔力を、封印した魔獣で補充しましたから。まあ、外してたら俺が死んでましたけど」
こともなげに微笑むヨルを見て、今度こそ、セイカの腰が砕けた。
「もう……無茶なことを」
「セイカさんに言われたくないです」
「うふふ」
「いや、笑いごとじゃなくて」
「ええ?」
「あのですね、確かに雷獣の方はお任せしますと言いましたけど、誰も一人で討伐してくれなんて言ってないですから! どんだけ突っ走ってるんですか、セイカさん」
「あ、あれ? おかしいわね。何故かお説教が始まったわ」
「いいえ。おかしくないです。ヨルさん、もっと言ってやってください」
「そうですよ。確かにリーダーが化け物なのはみんな知ってますけど、今回のは流石にやりすぎですよ」
「そうだそうだー」
「ちょ、ちょっとあなたたちまで……」
今度こそ、弛緩した空気が一同の間に満ちる。
その中で、ヨルは気づかなかった。
少し離れた場所で、ヒカリが目を見開いて立ちつくし、「はわわわわ」と声を震わせていることに。
「ヨ、ヨル君。ヨル君ヨル君」
あたふたとした声で、ヒカリがヨルの服の端を引っ張る。
「ん? どうした」
「今の、今の魔法は……」
「ああ? だから、封印――」
「それです!!!」
真ん丸に見開かれた目の中で、瞳がきらきらと輝いている。
「それです。それですよ!」
「何が」
「それぞ、『闇の炎に抱かれて消えろっ』ですよ!!」
「……………はぁ?」
「言ったじゃないですか。真っ黒い炎が、相手をごあぁーっと包んで、相手は死ぬんですよ!」
「いや。いやいやいや。待て待て違う。あれは炎じゃなくて―」
「なぁんだヨル君。やればできるんじゃないですか。もう、そうやって勿体ぶるんだもんなー」
「いや聞けって。あれは――」
「今度からヨル君のこと、『ダークフレイムマスター』って呼びますね♪」
「やめろ!!!」
……。
…………。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます