まれ人こぞりて

 世界にはまず一があり、別たれて二となった。

 膨らんで三となり、流れて四となった。

 色を持って五となり、五は万物を生じた。


 四とは時を表し、即ち四季を指す。


 春に萌え、夏に盛り、秋に実って、冬に閉じる。


 流れて、巡り、繰り返す。

 人の営みもまた。

 次の一巡へ。


「ここ、持ってればいいのかな」

「ええ。そのまま固定してて下さい。動かないように」

「了解」

「回します。……よっと」

「じゃあ、次はこっちを回して、かな」

「そうですね。一回、芯刺しちゃいましょう」


 メリィ・ウィドウの街の工業区。

 製糸工場の前の開けた大通りで、二人の男が藁の縄を綯っていた。

 人の背丈よりも遥かに長い藁の束を纏め、形を確かめながら慎重に編んで行く。


 一人は青白い顔に艶なしの黒髪の少年―便利屋・ヨル。

 もう一人は、年の頃は二十半ばといったところの、整った顔立ちをした金髪の青年・トーヤである。


 空は快晴。

 南天の太陽が、乾いた空気に真白い陽光を零している。

 鼻の頭と耳を赤くした二人の吐息が、交互に空に溶けていく。

 時折吹く風には、何処からか流れてきた、皺だらけの枯葉が乗っている。


「ううん。いい景色ねえ」

「お茶が美味しく飲めるわねえ」

「馬鹿なこと言ってんじゃないよアンタたち」


 工場の中から、数人の女性がヨルとトーヤを見つめている。

 普段は絹糸を紡ぐ場であるそこは、年末のこの時期だけは臨時の注連縄工場となる。

 中では何人かの女性が、出来上がった大小いくつかの注連縄の形を整え、飾りを付けている最中である。


 既に午前のノルマを終わらせた女性たちが、外で一番大きいサイズを作っている二人の男を、口元を緩ませながら見守っているのである。


「いいわあ。いい」

「やっぱりねえ。一人じゃダメなのよ。二人いなきゃ。なんでもそう」

「癒されるわあ」

「はあ……」


 トーヤと名乗った青年が目を覚ましてから、5日目。

 既に傷は癒え、体力も回復していたが、彼が記憶を取り戻すことはなかった。

 身に着けていた衣服から、聖王教会の関係者なのは間違いないのであろうが、それを確認しようにも手段がない。

 教会のある隣町までの定期便は半月後まで来ないため、連絡の取りようもないのである。


 しかし当の本人には、それをさして気にする様子もなく、トーヤは早々に自分の現状を受け入れてしまった。

 そして床から起き上がるが否や、お世話になった礼に何か自分に仕事を与えてほしいと言い出したトーヤに、ヨルは快く自分の仕事の手伝いを任せた。

 街の管理者たるマーヤもそれを了承し、トーヤは臨時の便利屋見習いとして働くこととなったのである。


 突如街に現れた正体不明の男に最初は警戒していた住人たちであったが、トーヤの屈託のない笑顔と純朴な心根にすっかり毒気を抜かれ、寧ろ日ごろ見慣れない美男子の登場に、相好を崩すばかりか邪な視線を投げかける者まで現れる始末であった。

 そんな女性陣からの視線に気づくこともなく、ヨルとトーヤは全長2メートルになろうかという注連縄を二人だけで完成させ、工場に運び込んだ。

 労いの言葉に答えながら、次の仕事に手をつけようとした二人だったが、現場のまとめ役の女性がそれを止め、一度全員で休憩に入ることになったのであった。

 そして。


「毎度でーす」

 ほくほくと熱い湯気の立つ湯呑やマグカップが配られる工場に、外から澄んだアルトの声が飛び込んできた。


「おや」

「あら」

「アヤさん?」


 鼻の頭を赤くした、新聞屋・アヤであった。

 両手に一つずつ風呂敷包みを提げ、耳まで隠すニット帽から、明るい桜色の髪を揺らしている。


「はいはーい、皆さん。差し入れですよー、っと」

 二つの大きな包みを解くと、先日アヤとヒカリが森国からレシピを持ち帰った、リンゴのクラフティが現れた。

「カグヤさんからね」

「わお。グッドタイミング」

「頂きましょ」


 顔を綻ばせた女性たちが一切れずつ摘まみ、その甘酸っぱいスイーツを頬張る。

 紅茶の香る湯気の中に、リンゴとラム酒の香りが混じった。

  

 ヨルとトーヤも一切れずつ摘まみ、相伴に預かる。

「おいしい!」

 トーヤが女性たちに囲まれながら朗らかに笑みを零した。

 ヨルも上機嫌でそれを味わい、アヤにもお茶を淹れる。

 片手で急須を揺らしながら、自分もクラフティの切れ端を摘まんでいるアヤに笑顔を向けた。


「わざわざありがとうございます、アヤさん」

「いえいえ。それよりヨル君、ひょっとしてその人が例の……?」

 アヤに視線を向けられたトーヤが口元を拭い、女性たちの輪を抜け出して改めてアヤに相対した。

 すっかり彼のトレードマークになった、輝くような笑みを浮かべる。


「初めまして。トーヤといいます」

「おぅふ。こりゃ確かに美青年だわ」

「はい?」

 トーヤにきょとんと首を傾げられ、アヤが苦笑する。

「いやいや、失敬失敬。初めまして、私はアヤ。新聞屋よ。それより、大変だったわね、記憶がないんだって?」


 ええ、まあ、と、トーヤは恥ずかし気に頬を掻いたが、すぐにまた、元の笑顔に戻って答える。

「でも、全然平気ですよ。みなさん、よくしてくれますし。ヨル君にも、すっかりお世話になっちゃって」


 その台詞を聞いたアヤの口元が、にちゃ、と吊り上がった。

 少し後ろに下がり、ヨルとトーヤを同時に視界に収める。

「ほう。美少年と美青年。……ほうほう。成程ねえ」

「ちょっと、アヤさん?」

 邪悪な笑みを浮かべるアヤを、ヨルが不気味な目で見る。


「ねえ、ヨル君。ちょっと今、こないだの変装魔法使ってみる気はない?」

 それを聞いた女性陣から黄色い声が上がった。

 ヨルはそれをさらりと受け流すと、にっこりと微笑んでアヤの襟に手をかけた。

「そうですね。じゃあ魔力下さい。貰いますね。頂きます」

「分かった。私が悪かった。分かったから手ぇ離して!」


 そのやり取りをみて、トーヤがくすくすと笑みを零した。

 ヨルが気まずそうにアヤから離れる。

「二人とも、仲がいいんだね」

「いや、まあ……」

「それにしても驚いたよ。ヨル君は、本当に吸血鬼なんだね」

「え? もうバラしちゃったの?」


 目を丸くするアヤに、トーヤが苦笑混じりに答えた。

「ええ。最初は信じられませんでした。眷属を作らずに、人と共生する吸血鬼なんて……」

「そう珍しくもないですよ。俺ほど極端じゃなくても、今どきは吸血鬼だって、人を襲ってばかりじゃいられませんから」

「私はちょいちょい襲われるけどねー」

「それはアンタが悪い」「アヤちゃんが悪いわね」「自業自得よね」

「それはもういいから!!」

「あはははは」


 そこで、笑い声が響く工場の中に、ぱん、と手を叩く音が木霊した。

「ほらほら、みんな。休憩お終い! そろそろ作業に戻んな。あとちょっとだから、ちゃっちゃと終わらせるよ!」

 この場のまとめ役の魔族の女性の声に、みな渋々と腰を上げ、茶器を片付け始める。

 それを纏めるヨルに、アヤが声をかけた。


「じゃ、私はもう行くわね」

 それを、意外そうな顔でヨルが見る。

「あれ、もういいんですか?」

「ん? 何が?」

「いや。……いえ、何でもないです。差し入れ、ありがとうございました。カグヤさんにもお礼言っといて下さい」

「あいあい。じゃあねー」


 ひらひらと手を振って立ち去ったアヤの背中を、ヨルがぼんやりと見送る。

「ヨル君? どうかした?」

 それを不審に思ったトーヤの声に、いえ、と短く答えると、ヨルは手早く全員の食器を纏めて篭に入れた。


「じゃあ、まずは形が出来てないのを優先して片付けるよ。飾りつけは後で流れ作業にしちまおう。手が空いてんのはそれの準備と床の掃除だ!」

 てきぱきと出される指示に、歯車が回るように女性たちが動き出す。


 師も走る歳末の街。

 もういくつ日を数えれば、新たな一年の始まり。


 ……。

 …………。


「で、どうだった?」

「いやあ。噂に違わぬ美男子だったわねえ」

「…………アヤ」

「ちょ。冗談だって、マーヤさん。怒んないでよ」

「いいからさっさと報告をおし」


「はいはい。つっても、ごめん、分かんなかったわ。演技をしてるようには見えなかったけど……」

「そうか……。まったく、今年は色々と厄介な年だったが、最後の最後まで……。何故かヨルは懐いてるし」

「あら、嫉妬? でも、それはいいんじゃない? 仕事、出来る人なんでしょ」

「ああ。胡散臭いくらいにね。少なくとも、街に来たばっかのヒカリの十倍は役に立ってる」

「ヒカリちゃん……」


「あの男がなんのつもりでウチにいついているのか。或いは本当に何のつもりもないんだとしても、所属も来歴も分からないってのは落ち着かないんだよ」

「ううん。ヨル君が見つけた時、ホントに持ち物はなかったのよね?」

「ああ。着の身着のままだったそうだ。だが、あの全身の傷から察するに、彼自身が何者かと戦ったとしか思えない」

「確かに体は鍛えてたわね。体幹がすごい。あれは長年のものだわね。けど、ここ一月、この近辺で聖騎士が戦闘行為に及ぶような事件はないわよ?」

「はあ……」


「そんなに気にしすぎなくてもいんじゃない? 見たとこ、ちょっと能天気なだけの普通の人よ?」

「私はこの街の管理者だ。得体の知れない人間をほいほいと受け入れるわけにはいかないんだよ」

「気苦労が絶えないわねえ、マーヤさんも」

「他人事みたいに言うんじゃないよ。あんただってこの街の一員なんだから」

「……ふふ。そうね」


「まあ、取り敢えず、あいつのことは気にしといておくれ。それで、準備の方はどうだった?」

「あれならあとちょっとで終わるでしょ。問題はなさそうよ」

「そうかい。そりゃ結構。ああ、そうだ、アヤ。あんた、服のサイズ変わってないだろうね。イブスキ商会から反物貰ったんだ。若者向けの柄だったから、あんたにやるよ」

「わお。……あー。でも、今回は遠慮しとくわ。ヒカリちゃんに作って上げて」

「あん? まあ、あんたがいいならいいが……」

「その代わり、マーヤさん。さっきチラッと見えちゃったんだけど。ひょっとしてあのボトル……」

「目敏い女だね。夜まで待ちな」

「うふふ」


 ……。

 …………。


「ね、マーヤさん」

「あん?」

「私、この街、好きよ」

「はっ。何だい、急に。気持ち悪いね」


 ……。

 …………。

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