新しい時へ
遠く東の空に、山吹色の光が咲いた。
剣で切り裂いたかのような、鋭い輝き。
じわり、じわりと、そこから染み出すように、円い光が姿を現す。
熱く。
眩く。
巨きな光。
橙に移りゆく空と、藍色の山の輪郭を白く染め上げ、世界に新しい時の訪れを告げる。
帝国に、聖国に、港国に、獣国に、森国に、魔国に。
人族に、エルフに、海人に、魔族に、獣人に。
野に、山に、海に、街に。
等しく、その光はあった。
「明けまして、おめでとうございます」
「「「明けまして、おめでとうございます」」」
「おお……」
「お父様?」
「み、見ろ。ユズリ。ヒカリが、ヒカリがウチにいる……!」
「ええ。四日前からいらっしゃいますが」
「またヒカリと、共に、こうして年を越せるとは……。見ろ。ヒカリが、こんなにも美しい」
「あう。その、お父様、すみませんでした。ここ数年、全然帰れなくて……」
「いいのだ。いいのだ、ヒカリ。ああ、やはりよく似合っている。さあ、一緒に蕎麦を食べよう」
「は、はい。あの、お父様――」
「分かっている。屋敷の者、全員で食べよう」
「はい!」
「ユズリ」
「ただいま、ご用意致します」
「ああ、そうだヒカリ。明後日は、公務でキブネの大聖堂に行くことになっている。よかったら、お前も着いてきなさい。あの街の葛餅は昔から有名で――」
「あ、すみません、お父様。私、明日にはもう出発しようかと……」
「なん、…………だと」
「お父様!?」
「何故だ!? 何故そんなに急いで帰ろうとする!?」
「いや、……あの。その」
「あの小僧か!? そんなにあの小僧に会いたいのか!?」
「ち、違います!」
「旦那様、少し落ち着いてください」
「ゆ、ユズリ。私は一体どうすれば……」
「お嬢様のお話をよくお聞きになるのが宜しいかと」
「あの、お父様。違うんです。その、私の友達が、今アタゴの街の駐留任務に就いているらしくて。私、この間すごくお世話になったのに、まだ直接お礼も言えてないから、会いに行きたいんです。帰り道から少し逸れてしまうので、早めに出発したくて……」
「う、うむ。しかしだな……」
「ダメ、でしょうか……?」
「ぐぬぬ」
「お父様……」
「くぅっ。可愛い……」
「ふえ?」
「旦那様……」
「はぁ。仕方ない。分かった。好きにしなさい」
「すみません、お父様」
「アタゴの街、だったな。彼処は第二支部の管轄か。確か、タヌマ家の者が治めているはずだ。私が一筆書いておこう」
「そ、そんな! お父様にそこまでして頂かなくても!」
「ヒカリ。せめてそのくらいのことはさせておくれ。然もなくば、私が直接着いていくぞ」
「あう。分かりました。では、宜しくお願いします」
「ああ。お安いご用だ。……おお。蕎麦の用意が出来たようだぞ」
「わあ! いい匂いがしますね、お父様!」
「さあ、皆で食べよう。今年も善き一年を過ごせるように」
「はい!」
……。
…………。
この世界では、新年を迎える際には家族と一緒に過ごす、というのが一般的な慣習とされている。
では住民の殆どが独り身であるメリィ・ウィドウの街はどうかというと、皆で街の中央にある大広場に集まり、初日の出を拝むのが通例である。一応、形式程度にマーヤとカグヤの代表者二人から簡単な挨拶がなされ、あとは三々五々、散り散りになって皆が思い思いの場所で過ごす。
取り決めとして二日間はあらゆる労働が禁じられているため、一人のんびりと自宅で過ごす者もいれば、数人のグループに分かれて作りおいていたお節料理を囲む者もいる。
この日、ヨルは一通り街を廻って住民一人一人に挨拶をし終えると、最後にハバキ食堂の扉を開いた。
陽はすっかり昇り、澄んだ青空が冷たく天を覆っている。
食堂の従業員三人の女性と挨拶を交わし、置かせてもらっていた自分のお節料理を受け取ると、熱く燗をした酒を呷り、深く息を吐いた。
「あら、ヨルちゃん。お疲れ?」
玉蜀黍色の髪を高く結い上げた女性・ヨーコの、微笑み混じりの問いかけに、椅子の背もたれに深く寄り掛かったヨルが苦笑する。
「いえ。ただ、ここ数日バタバタしてましたからね。やっと一息つけたというか……」
「お節料理って、お正月に家事しなくていいように、って意味らしいけど、結局年末にいつもの二倍忙しくなるんだからプラマイゼロよねえ」
「あはは。確かに」
何気ないやり取りにも、何処か弛緩した空気が漂っている。
女性たちは三人とも既に酒器を傾けており、部屋の中には暖炉の熱で攪拌された酒精の匂いが満ちていた。
「トーヤちゃんは、今頃上手くやってるかしらねえ」
ヨーコの呟きに、再びヨルが苦笑する。
「あれだけ準備してたら大丈夫なんじゃないですか?」
「全く、みんなして悪ノリしすぎなんだよ」
「カヤちゃんだって気合入れて衣装作って上げてたでしょお?」
昨年末に突如街に現れた記憶喪失の男・トーヤを、大半の住人は既に受け入れていたのであるが、一人頑なに警戒する姿勢を崩さないマーヤに業を煮やした幾人かの女性陣が、トーヤに或る作戦を授けたのであった。
「マーヤさん好みの衣装に、マーヤさん好みのお酒、マーヤさん好みのおつまみセット」
「マーヤさん好みの台詞回しに、マーヤさん好みの歌謡曲」
「最早特注のディナーショウ」
「あれで堕ちないマーヤさんはいないわね」
悪い顔で笑い合う女性たちに釣られ、ヨルもくすくすと笑みを零した。
「トーヤさんもトーヤさんで、教えられたことは完璧に身に着けますからね」
「そうなのよ。こないだの一日でもう料理の腕はヨーコを抜かしたわね」
「す、スミちゃん? それはちょっと酷くなぁい?」
「全く、教会なんて辞めてこのままウチに移住しちまえばいいのにねえ」
「ヨルちゃんも良かったわよね、年の近いお兄ちゃんができたみたいで?」
「あはは。まあ、でも次の定期便でお別れですからね。トーヤさんにも元の暮らしがあるでしょうし」
「何言ってるの。マーヤさん堕としの台本、あれヨルちゃん監修でしょ?」
「ええ? いや、ちょっとですよ? ホントに」
「すっとぼけると、ヒカリにチクるわよ?」
「それは………………やめてくださいよ」
「うふふふ」
一気に気まずそうな顔をしたヨルを女性たちがからかい、ヨルは珍しく恥ずかし気に顔を赤らめる羽目になった。
その後しばらくの間、四人はだらだらと酒を飲みながら他愛もない世間話に興じ、日ごろの愚痴を零し合い、そうして、元日の緩やかな時は過ぎて行ったのだった。
……。
…………。
数時間後。
空は深い紫色に染まり、薄っすらと東から白み始めようとしている時分。
しん、と静まり返ったメリィ・ウィドウの、街外れにあるボロ長屋。
その一室の扉が、音もなく開いた。
生地の厚い外套と、遠出用の革のブーツ。首元にしっかりと巻かれたマフラーと、長身の頭を覆うニット帽。
そこから覗く、桜色の髪。
背には大きめの荷を負い、人目を避けるように、慎重に辺りを伺っている。
風がないため物音一つしない夜明け前の街を見渡したその人影が、爪先を街の出入り口の門へと向けた時、その背中に、上から声がかかった。
「どこ行くんですか、アヤさん」
ボロ長屋の屋根の上、夜闇が凝ったような真っ黒い塊が立ち上がり、赤く濁った瞳でアヤを見下ろしていた。
それを、困ったように眉尻を下げたアヤが見上げ、笑みを零した。
「何でそんなとこにいるのよ、ヨル君」
「見張ってたんですよ、いなくなるなら、今日辺りじゃないか、って」
屋根から飛び降りたヨルが、アヤに向き合う。
「どうしてそう思ったの?」
「ここ数日、様子が変でしたから。トーヤさんにも、取材だなんだって話、全然してませんでしたし」
「あああ。まあ、そうねえ」
「そろそろ二年、過ぎますもんね」
アヤは深く溜息を吐き、天を仰いだ。
「いいえ。ホントはね、あの秋の日、曖昧屋の奴が私の本名ハズキにばらしたと知った時に、出てくべきだったのよ。少なくとも前の私なら、契約なんかほったらかしてそうしてた。それをずるずると先延ばしにしちゃってたんだもの。潮時っていうか、流石にもう限界」
「だからって……」
「言わないでよ。分かるでしょ?」
「……実は、カズエさんにも相談されました。多分、何も言わずに出ていくつもりじゃないか、って」
「もおお。みんな私のこと大好きなんだもんなー」
アヤが頭の後ろをぽりぽりと掻き、ヨルは笑いながら頭を振った。
「いえいえ。これで真夜中に酔っぱらって絡んでくる人がいなくなるかと思うと、俺は清々しますよ」
その言いにアヤは小さく吹き出し、すぐににやりと笑って返した。
「私も、これでもうセクハラ紛いに血ぃ吸われることもないと思うと、ほっとするわ」
「今まで黙ってたんですけど、アヤさんの血って、脂っぽくてあんまり美味しくないんですよね」
「そういえばヨル君。血ぃ吸われる時、頭の後ろに寝ぐせついてると何か萎えるから、気ぃつけたほうがいいわよ?」
「…………」
「…………」
「アヤさん」
「何よ」
「寂しいです。行かないでください」
「…………ありがとね」
「いえ。……すいません」
「落ち着いたら、手紙書くわ」
「ええ。そうして下さい」
「じゃあね」
「はい。また、どこかで」
吐息は白く、道は黒。
桜色の後ろ髪が、曙光の届かぬ暗がりへと、溶けていった。
……。
…………。
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