アヤの戦い
「えええ。じゃあ私、リーダーに騙されたんですか?」
「そういうことね。ヒカリちゃんなら今頃、空家でぐっすり寝てるわ。セイカさんには偽の情報を伝えてもらったの」
「……うう。ショックです」
「何言ってんの、今更―」
「あんな脳味噌お花畑の人に騙されるなんて……」
「……あんたねえ」
ローブのフードを捲くり、青みがかった黒髪を晒したアズミを、呆れたような顔でアヤが見下ろす。
「不覚です。あの聖騎士があんまりお馬鹿さんだったから、油断しちゃいました」
その台詞を聞いたアヤの顔が、険しくなった。
「ヒカリちゃんは、気づいてたわよ」
「え?」
アズミがきょとんと首を傾げる。
その顔を苛立たしげに見下ろしながら、アヤは語った。
二日前。『曙の貴妃』に内通者がいる、という話になった時、急に黙り込んだヒカリを心配して声をかけたアヤに、ヒカリはこう言ったのだった。
『それって、……アズミさん、ですよね……?』
「え、……何で」
アズミの顔に、初めて動揺が走った。
『あの人は、自分たちはいざって時に混乱しないように、一人一人にきっちり役割が与えられてる、って言ってたのに、自分はパーティを抜けて私たちに会いに来てました。非常時に取っていい行動じゃないです。あの人だけが、セイカさんの意思を無視してました』
『それに、あの人が私のことを追いかけてきた時、直ぐに分かりました。ああ、この人は私のこと全然好きじゃない、って。昔、おんなじ目をした人たちを、何度も見てきましたから……』
その時のヒカリの、暗く沈み込むような、無理矢理作った笑みを思い出して、アヤは眉間の皺を深くした。
「確かにセイカさんもヒカリちゃんも、お利口さんじゃあないわ。合理的じゃないし、夢見がちで、騙されやすい。ああいう人たちが、頭の良い連中にいいように利用されて馬鹿を見るのよ。
でもねえ。今のあなたほど間抜けでもないわ。この私を怒らせた、あなた程じゃね」
アヤの髪が、赤く、揺らめき立つ。
「『
瞳が滾る。
両の手足が、眩く光る。
「私の可愛い妹分に、あんな顔させてくれた落とし前、きっちり付けさせてもらうわよ」
その熱気を肌に浴びて。
アズミは俯いて、くつくつと笑った。
「ああ。あーあー。やだなあ、もう。私ってば、柄にもなく、
ばさり、と、纏っていたローブを脱ぎ捨てると、露出度の多い軽装が現れる。
右手には、月光を弾く黒曜石のナイフ。
「嘆きやれ。『
低く囁かれた詠唱と共に、その刃に、黒い靄がかかる。
時折ふつふつと泡立つような、黒の魔力に覆われたナイフを構え、アズミが腰を落とした。
アヤが革の手甲を握り締め、胸の前で構える。
両者の瞳が交差し。
「ぶっ殺す」
「来なさい」
黒と赤の炎が、激突した。
……。
…………。
六畳間の寝室。
中央。
その板張りの床が、悲鳴を上げて罅割れた。
赤熱した拳が真っ直ぐに打ち出され、空を切る。
左に避けたアズミの髪の端が焦げる。
黒靄に包まれたナイフが横薙ぎに振るわれ、これも空を切る。
右足を下げて身体を引いたアヤの服の端が切れる。
アズミの前進。
刺突。
一撃。
二撃。
三撃目を躱したアヤの体が地に沈み込む。
180度の開脚で床すれすれに倒したアヤの体が、矯めた反動を解き放ち、両拳を突き出す。
アズミは背中を反らしてそれを躱す。
肌を焼く熱風。
アヤの体が宙に浮く。
真紅の踵落としが、アズミの眉間に叩き落とされる。
全力のバックステップ。
轟音と共に床の板が割れる。
白煙。
その奥に、濁った瞳と、口元の裂けた笑み。
その姿が、
(隠匿魔法……!?)
表情を強ばらせたアヤが、自分の右脇、何もない虚空に裏拳を振るう。
赤い光が闇を裂き。
その一拍後。
闇の奥から、黒刃が靄を捲いて突き出された。
両手を交差させ刃を握る腕に絡め、防御。
黒い靄がアヤの鼻先に絡みつく。
受け止めた反動をつけ、アズミの身体を突き飛ばす。
吹っ飛ばされたアズミは、四肢を突っ張って壁に着地。
地を滑った。
アヤの足元に滑り込みながら黒刃を振るう。
横に跳んでそれを避ける。
アズミは部屋の反対側の箪笥を蹴飛ばし、さらに床を這う。
黒刃が、鎌首をもたげる。
アヤはそれを見て転身。
床を蹴り。
壁を蹴り。
天井を蹴った。
三歩の跳躍でアズミの頭上を取ったアヤが、右の拳を引き絞る。
「ぜいやぁっ!」
垂直下に繰り出された拳がアズミの身体に打ち込まれるより早く。
その拳が、宙に放り出された小瓶を割った。
にんまりと笑うアズミと驚愕するアヤの視線が交わる。
爆発。
小瓶に詰まっていた高揮発性の液体が、黄色い炎を散蒔く。
左手で顔をかばったアヤがその腕を振るい煙を晴らすと、そこに、アズミの姿はなかった。
背筋を走る悪寒。
咄嗟に頭を伏せ、前方に転がる。
その一瞬後を黒い刃が掠め、避けきれなかった桜色の髪が数本、宙に舞う。
前転受身で振り返ったアヤの目線の先に、闇に溶けるアズミの邪悪な笑み。
突進。
打ち出された正拳突きが、黒い靄を捲いて空を切る。
アヤの背後に闇が翻り。
月光を宿した黒曜石の尖がりが、アヤの左腕を撫でるように斬った。
「くっ」
その左腕の魔力光が消え、がくりと垂れ下がる。
アヤの額に脂汗が浮く。
僅かに血の付いた黒刃を、アズミの舌が舐め上げる。
『冷静』を表し、『侵食』を司る、黒の魔力。
その力が、アヤの拳を侵していた。
「ふんっ」
アヤが両の拳を胸の前で打ち合わせる。
右拳から左拳へ、炎が奔る。
左腕を復活させ、構えを取ったアヤに、地を這うような姿勢からのアズミの追撃が襲いかかる。
振り上げ。
回旋。
刺突。
右袈裟。
魔毒の刃がアヤの服を掠め、鼻先を掠め、ついに、右大腿を撫でた。
「ぐっ」
アヤの膝が崩れる。
黒刃が振り下ろされる。
右手で受け止める。
ぶしゅ、と。
血飛沫が舞い。
受け止めた腕の力が抜ける。
その刃が肩に食い込む寸前。
「うあぁっ!」
繰り出された左拳を避けて、アズミが後ろに跳んだ。
片膝を突き、右腕をだらりと垂らしたアヤを、アズミが見下ろす。
「あは。やだなぁ、アヤさん。勝てると思ったんですか?」
その声を無視して、アヤは左拳を右の膝に叩きつけ、無理矢理発火させる。
「無駄ですよぉ。『水克火』。私とアヤさんの魔法じゃ、端から勝負になりませんって」
荒い呼吸を飲み込みながら、アヤはそれでも、不敵に笑った。
「別に魔法で勝てなくたっていいわよ。大体あなた、ここで私を倒して、その後どうするつもりなの? もう『曙の貴妃』には戻れないわよ?」
くすくすと、アズミが
「そうですねぇ。でも、私思うんですけど、私のことバラしたのって、多分リーダーにだけですよね?」
黒曜石のナイフを手元で弄ぶアズミの目が、邪に細められる。
「だって、ここに聖騎士がいること聞いたの、みんなといっしょの時でしたし。他のメンバーみんなに、私を騙すほどの演技力があるとは思えないですし。ついでに言うと、ヨルさんだって、リーダーのことは信頼できても、他のメンバーまで信頼できたりはしないでしょうし」
「だったら、なんだって言うの?」
「あは。簡単ですよ。新しい筋書きはこうです。『アヤさんとヨルさんは実は恋仲で、突然現れた昔の女に嫉妬したアヤさんはリーダーを陥れようとするも、みんな大好きアズミちゃんがそれを発見。見事陰謀を未然に防ぎましたとさ』
リーダーは、……まあ、イケないお薬でも使ってちょちょいと記憶を弄っときましょうか」
「……ホント、よく考えるわ」
「ですから、それがお仕事ですし。……あ、それとも本当に、
「あなた、年いくつだっけ?」
「15歳です♪」
「あっそ。じゃあ知っときなさい。……世の中そんなに甘くないってね」
アヤが懐から、黒い小箱を取り出した。
『あは。簡単ですよ。新しい筋書きはこうです。「アヤさんとヨルさんは実は恋仲で、突然現れた昔の女に嫉妬したアヤさんはリーダーを陥れようとするも、みんな大好きアズミちゃんがそれを発見。見事陰謀を未然に防ぎましたとさ」―』
アズミの顔色が、一瞬で青褪めた。
「記音の魔道具……!」
「言ったでしょ。別に魔法で勝てなくてもいい、って」
アヤがにやりと笑いながら、人差し指でこめかみをとんとんと叩く。
『―リーダーは、……まあ、イケないお薬でも使ってちょちょいと記憶を弄っときましょうか』
「くっそ」
アズミが踏み出すと同時に、アヤも立ち上がり、部屋の窓へと手を伸ばす。
「ま、窓には鍵が―」
「う・そ♪」
何の抵抗もなく、がらりと窓が空き、アヤが外へと飛び出す。
「あああ!!」
(まずい! あれは流石にまずい!)
あれを誤魔化す筋書きは、いくらなんでも思いつかない。
何としても回収する必要がある。
しかし、狭い室内ならともかく、屋外に出られてしまっては、逃げに徹した赤魔法の使い手に追いつく手段はない。
(後ろから追ってもダメだ。『貴妃』のみんなの所に先回りしなくちゃ)
一瞬の躊躇いの後、アズミはローブを羽織直し、自分も窓から外に飛び出した。
そして肌に風を感じると同時。
己の敗北を悟った。
窓の外には、こちらを真っ直ぐ見据えるアヤの姿。
その桜色の髪が、瞳が、燃えた。
両足で踏みしめた地面がひび割れる。
「舞え! 『
空中で逃げ場を無くしたアズミの身体に、炎拳のラッシュが叩き込まれ。
悲鳴を上げる暇もなく、アズミの体が、民家の壁にめり込んだ。
「魔法の勝負も、私の勝ちみたいね」
その背中に、夜風に靡く大輪の炎の花が、鮮やかに咲いた。
……。
…………。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます