雷襲
時は、一日前に遡る。
まだ曙光も登りきらない朝靄の中で、『曙の貴妃』のリーダー・セイカと、ヨルが向き合っていた。
「まさか、……アズミが。そんな」
顔を青ざめさせたセイカに、ヨルが淡々と言う。
「彼女を疑う証拠は、俺が思いつくだけでもいくつかありますが、つらつら言う必要もないでしょう。セイカさん。そういう目で見てみれば、思いつく節が、なくはないんじゃないですか?」
「そんな……ことは……」
黙り込んだセイカを、ヨルはただ見つめ、待った。
絡みつくような朝靄が、二人の間を流れる。
セイカの額から、汗の一筋が滴る。
背中まで伸びる、流れるような銀髪が揺れ。
震える手が、刀の柄にかけられた。
「セイカさん」
「あなたは!」
ヨルの声を遮り、セイカが地に吐き捨てるように叫んだ。
玲瓏な鍔鳴りが、白い靄に吸い込まれる。
「そんなことを私に言って……あなたは、私が彼女に指示を出していた本当の黒幕だとは考えなかったの?」
威圧。
突きつけられた鋒の奥。
その青碧の瞳が、涙に滲んでいるのを見て。
「
交差する視線を、先に逸らしたのはセイカだった。
「…………あなたの弱音を、聞く日が来るとは思わなかったわ」
納刀し、背を向ける。
ヨルはそれを見て、自嘲するような笑みを浮かべ。
「俺も少しだけ、大人になれたでしょうか」
「そうね。いつまでも変わらないのは、私だけ。『夜明けの酒樽』でしょっちゅう泣きべそかいてた、小娘のまま」
「セイカさん。俺は……」
「いいの」
背中を向けたまま、セイカは言った。
「あの子には確かに、不審な動きがある。私たちが幸運に恵まれ、仕事で名を上げたときは、いつもあの子の進言があったわ。『あっちの街の方が食事が美味しいらしいですよ』、とか、『こっちの依頼主の方が太っ腹だって噂ですよ』、とかね。それに、団体行動を取っていない時、たまにあの子の姿を見失うの。私、追求しなかったわ。自分に何も疚しいことはないのだからと、目を瞑っていた。
信頼という言葉を、履き違えていたんだわ。でも私にとっては、初めて出来た大事な部下だった。覚えてるわ。アズミは五番目。私、この子を守れるよう、もっと強くならなくちゃ、って。そう、思ったのよ……」
セイカの独白は白い闇に溶けて消え。
ヨルは黙って、それを見ていた。
……。
…………。
ヨルは、自分たちの計画を、セイカに打ち明けた。
「そんな、何故あなたたちが、そんなことを……。危険過ぎる」
「アヤさんは真っ先に帰ろうとしましたよ。それからジンゴも。『これ以上この里の事情に関わる必要はない』って。あの二人の意見が合うのは本当に珍しいです」
「なら、なんで……。もう、里を出ても襲撃を受ける心配はないのでしょう。改めて騎士団に救援依頼を送れば、まだ間に合うかもしれないわ」
「ええ。ただ、間に合わないかもしれません。それを決めるのは俺たちじゃなくて雷獣の方ですから」
「だからって……」
「俺も勿論『帰る派』でしたよ。でも、ヒカリのやつが……」
そこでヨルは、自嘲するような、恥ずかしがるような、それでいてどこか誇らしげな、過去のセイカが一度も見たことのない表情を作った。
「ヒカリが、『自分は絶対帰らない』って目で、黙って俺の顔を見てくるもんですから」
ヨルの夜空を映したような瞳には、真っ直ぐな光が通っていた。
セイカはそれを見て、しばし空を仰ぎ、再び項垂れた。
空白の時間を想った。
自分の背に負った重みと、柄にかけた掌に握る熱を想った。
「すごいのね、ヒカリさんは」
「はい。あいつは、すごい奴です」
「私は、……駄目ね。もう、この手を何処に振るえばいいか分からない。自分の為すべきことが分からないわ。アズミを弾劾する? 彼女のおかげで美味しい思いをしておいて? 里の人を守る? 自分たちで危機を呼び込んでおいて? 私は……」
「セイカさん」
声の端が震えだしたセイカを、ヨルの声が柔らかく包んだ。
「……なにかしら」
「団則その4。覚えてますよね?」
セイカの肩がぴくっと震え、そして、くすりと笑みが零れた。
「ええ。勿論」
『己の分を弁えよ――』
二人の声が重なる。
『――ただし、最後は己のやりたいようにやれ』
二人顔を見合せ、はにかんだように笑った。
「私は、最後までこの団則が嫌いだったのよ」
「そうでしたね。でも、今はセイカさんを助けてくれます」
「そうね。結局私も、『酒樽』の一員だったのね」
深呼吸を一つ。
「仕方ないわね。ま、考えてみれば、道が見えないなんて、私にとってはいつものことだったわ。いつだってそうだった。そうね。たまには初心に帰って、私らしくいきましょう」
「では、雷獣のほうはお任せしても?」
「構わないわ。今度こそ、決着をつけてみせる」
「流石です」
その手に握った長刀のように、しゃんと芯の通った背筋を見て破顔したヨルに、セイカは一転して、不安そうな声で言った。
「それよりヨル君。あなたこそ、大丈夫なの? ……その、
「あはは。お察しの通りです。もうギリギリですね。多分、次に大規模な魔法使ったら、その場でひっくり返ります」
「わ、笑い事じゃないわよ。それじゃあ……」
「やだな。忘れちゃったんですか? 俺は――」
……。
…………。
ミネコ・タカラは、後悔していた。
深夜。部屋を照らす蝋燭の灯りの中。
風に揺れるふわふわとした栗毛と、その下で輝く無邪気な笑顔が脳裏から離れない。
(私は、何てことを……)
聖騎士の黒い噂を聞くあまり、あの優しい少女を徒に疑ってしまった。
自分の孫でもおかしくない年のはずだ。
長く続いた恐怖と不安に駆られ、自分たちを助けに来た人たちを疑ってしまった。
『ヒカリちゃんは、そんな子じゃあないと思うけどねぇ』
キクさんがそう言っていた通りだ。
一体私は、どうしてしまったというのだろう。里の人たちで寄ってたかって、女の子一人を騙そうとするなんて……。
あの少年の、こちらの魂まで射抜くような視線が、ミネコの胃の腑に、重い鉛を落としていた。
仕方がないことだと思った。
里を守るために、自分たちだっていつまでもチュウヤさんに甘えてばかりはいられない。
けれど、それでもやり方を間違えてはいけないのだと、あの少年に教えられた気がした。
「はあ……」
もう何度目か分からない溜息をついて、ミネコはようやく、立ち上がった。
明日、みなともう一度話し合おう。
そしてあの少女に、頭を下げよう。
そのくらいのことは、出来るはずだ。
ミネコが蝋燭に手を伸ばした、その時。
どろろろろろろろろろろろろろろ。
地を震わす雷鳴が、聞こえた。
「ち、近い……!」
それは、この一月聞いていたどの雷鳴よりも、大きく聞こえた。
ををををおおおおおおおおおおおん。
次いで、脳髄を揺さぶるような、遠吠えが。
そこでミネコは、蝋燭の灯りを消してなお、部屋の中がさほど暗くならないことに気づいた。
窓の外が、明るいのだ。
どこか遠くで、大勢の人の話し声が聞こえる。
大量の足音が。
一体、何が……。
慌てて外に飛び出したミネコを、里の入口に近い位置に居を構える老夫婦の、恐怖に引き攣った顔が迎えた。
何があったのかと、ミネコが聞くより早く。
「む、群れだ」
がくがくと震える声で、男が言った。
「雷獣が、群れを率いて襲ってきたんだ!!!」
その叫び声は、再び聞こえた雷鳴に掻き消され、虚空に消えた。
……。
…………。
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