意地っ張りなあなた

 メリィ・ウィドウの街外れに建つボロ長屋。

 向かって右から二番目の部屋は、ジンゴの所有するアトリエとなっている。

 その、所々が煤けた畳の上に胡坐をかき、ヨルが顔を顰めていた。


「ううん。発熱は出来るけど、ずっとこれじゃ火傷しちまうな。温度を調節できるようにするにはどこを弄ればいいんだ?」

 ヨルの手元には、拳大の赤い石と、それを囲む幾何学模様の線が入った木板がある。

 よく見てみれば、線と見えたのは赤い糸であり、それを無数に刺された極細いピンに引っ掛けて張ることで、板面に模様を現しているのだと分かる。


 魔道具。

 本来は生物の体内で行われる魔法の組成を、器物を介して発動させる人族独自の技術体系である。

 必要なものは核となる魔石と、発動させる魔法に応じた紋様を描く導体。

 複雑に絡み合う紋様は、ミリ単位の違いで発動される魔法の効果を左右する。


 ぶつぶつと独語を呟くヨルの傍らには、乱雑に散らばるいくつかの書物。

 時折それらを取って読みながら、ああでもないこうでもないと、赤い石を取っては着け、糸を張っては編み直し、試行錯誤を繰り返している。


「機構の分割……そうか。出力の弱い魔石を三つ並べて、それぞれに点火することで強弱をつける…………ってことはこれ全部三重に張るってことか? マジかよ……。いや、纏めちまえばいいのか。ううん、そうするとここの構文が窮屈だな……」

 

 赤く濁った眼をしぱしぱと瞬かせ、青白い指先で糸をっていく。


「あと三日か。ちょっとギリギリかな……」


 ヨルのぼやきは、白い吐息となって宙に溶け。

 その後しばらく、アトリエの窓から漏れる光は、消えなかった。


 ……。

 …………。


 甘い匂いが、満ちている。

 小麦の発酵する匂い。

 微かな苦みを感じさせる蜜の匂い。

 鼻に滑らかに抜ける果実の匂い。

 それを、くつくつと湧く湯の音と、ぱちぱちと爆ぜる炭の音が静かに攪拌し、部屋全体が大きな一つの焼き菓子であるかのような匂いで満ちているのである。


「左手はニャンコの手。包丁は真っ直ぐ。ゆっくり押し出すように……」


 そんな甘い匂いに包まれたキッチンの中で、三角巾とエプロンを身に着け、そのあちこちを白い粉で汚したヒカリが、まな板と向かい合っていた。

 まん丸に目を見開き、ぷるぷると震える手で包丁を握り、赤い果実に刃を入れる。

 亀の歩みのような速度で、それでも丁寧に、均一に、リンゴが薄くスライスされていく。


 やがて最後の一片まで切り終わると、ヒカリは盛大な溜息と共にその場にへたり込んだ。

 数十秒間開きっぱなしだった目を瞬かせ、袖で擦る。

 その顔に、また一つ白い粉の跡がつく。


「あら、大丈夫、ヒカリちゃん?」

 その背にかけられた声に、ヒカリは勢いよく立ち上がり、輝くような笑顔を浮かべた。

「カグヤさん! 見て下さい! キレイに切れました!」

 心配そうな顔の街の管理者の一人・カグヤが、まな板を覗き込み、その表情を綻ばせた。


「まあ、本当。上手にできたわねえ、ヒカリちゃん」

「えへへ」

「あら、こっちは……」

「あう。そ、そっちは見ないで下さい……」

「あらあら」

「す、すみません。頂いたリンゴを……」

「いいのいいの、後でジャムにしましょうね。それよりヒカリちゃん、折角キレイに切れたんだから、早くお水に晒しておかなくちゃ。色が悪くなっちゃうわ」

「あ、そうでした!」


 水を張ったボウルに塩を振り入れるヒカリを見守りながら、カグヤがにこにこと笑顔を浮かべている。

「それにしても驚いたわ。ヒカリちゃんが自分一人でお菓子を作りたいなんて。駄目ね、私ったら、見てるとついつい手伝いたくなっちゃって」

「すみません。カグヤさん。でも、こればかりは譲れない、女の意地というやつなのです!」

「あらあら、もしかして、またヨルちゃんと喧嘩したの?」

「えへへ。それが、実はですね……」


 ……。

 …………。


 二週間ほど前のこと。

 便利屋の二人の間に、こんな会話があったのだった。


「こたつ?」

「はい。こたつです。こっちの世界にはないんですかね?」

「俺が知る限りじゃあ、ねえな」

「魔道具で何とか作れないですかねえ」

「どうだろうな。設計も材料の調達も全部一からになるからな。ちょっと難しいんじゃないか?」

「そっかぁ。私、こたつって入ったことないんですよねえ」

「へえ。意外だな」

「そうですか?」


「俺も入ったことねえんだよな。あれ、電気代が馬鹿になんないらしくってさ。別にコンセント刺さなきゃいいんだろうけど、あると使っちゃいたくなるから、冬場でも出さなかったんだよなぁ。そっかあ、おまえんちも節約家だったんだな」

「いえ、うちは普通に床暖房だったので」

「……ゆか、だん……ぼう?」

「全部洋間だったんですよ、うち。空調にはお母さんがすごい気を使ってて加湿空気清浄機とかあって。家に入っちゃえばどこでも全然寒くなかったんですよねえ。だからこたつって、使ったことなくて」

「……かしつ……くうきせいじょうき? 家に?? え???」

「憧れだったんですよねえ。畳の上で家族そろってこたつ入って、お菓子とか食べて、隣で猫が丸くなってて……」

「…………」

「あ、あれ、ヨル君? 何で落ち込んで……」

「…………なんでもねぇし」


「あ、あの! あのですね。今度、アヤさんが森国で売り出してる新作のスイーツの取材に行くそうなんですよ。クラフティっていうんですけど。ほら、今、町中に余ったリンゴがいっぱいあるじゃないですか。果物なら割となんでもいいそうなんで、有効活用できるんじゃないかって」

「あ、ああ。そりゃいいな。いい加減そのまんま食うのも飽きてきたからな」

「はい。それでですね。私も着いて行っていいことになったんですよ。作り方ばっちり教わってきますから、楽しみにしてて下さい!」

「おお。じゃあ帰ったらレシピ教えてくれ。ミシェルさんのとこ借りて作ってみるから……」

「え?」

「ん?」


「と、当然のように自分で作る気でいる……」

「ヒカリ?」

「あ、あの、ですね、ヨル君。一応ですね。私も女の子ですからね。スイーツ作りの一つや二つ……」

「こないだ餡子焦がして鍋一つ駄目にしたのは誰だったっけ?」

「ふぐっ」

「ドーナッツ作るとか言って油に水零して爆発させたのは?」

「う。うぅ……」


「あのな、ヒカリ。お菓子作りってのは……」

「ヨ」

「よ?」

「ヨル君の…………」

「ちょ。ちょっと待て。ヒカリ。おい!」


「…………ヨル君の、言う通りです」

「…………え?」


「確かに私、お料理は得意じゃないです。でも! 失敗は繰り返さなければ経験値となるのです。今度こそ成功させますから! そしたら、一緒に食べて下さい!」

「…………」

「ヨル君?」

「おう。期待してる」

「はい!」


「じゃあ、俺も頑張らないとな」

「ふえ? 何をです?」

「帰って来てからのお楽しみだ」

「ええ~。教えて下さいよ」

「イヤだ」

「もお~」


 ……。

 …………。

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