後編

わたしのやりたかったこと

 時は半日ほど遡る。


 帝国領のとある宿場町。

 町の灯は残らず消え去り、夜天に輝く月と星々のみが視界の頼りとなる時分。

 町中に点在する宿屋のうちの一つ、その瓦葺の屋根の上に、二つの人影があった。


 一つは薄い金色の髪に月影を映す長身の女性。

 もう一つは、青みがかった黒髪をフードで覆った小柄な少女。


「あれぇ? アヤさ~ん。どこ行くんですかぁ?」


 鈴を転がすような声で、邪悪な笑みを浮かべる小柄な少女――アズミが、背中を向ける長身の女性――アヤに問いかけた。

 それに振り向きもせず、アヤは紫色の深い空を見上げて答えた。


「さぁね。どこ行こうかしら」


 澄んだアルトの声が虚空に響く。

 そこに、数刻前まで言の葉の端々に滲んでいた不機嫌さは欠片もなく、アズミは面食らったように、ぴくりと眉根を動かした。


「え~。ひょっとしてぇ、メリィ・ウィドウの街だったりしてぇ」

 それでもすぐさま元の邪悪な笑みを取り戻し、回り込むようにしてアヤの顔を伺い見るアズミを、アヤは目線だけで一瞥し、苦笑いを零した。

「そうだ、って言ったら?」

「ばっっっっっっかじゃないですか」


 心底蔑むような、その声に、アヤはまた一つ苦笑した。

「そうね。馬鹿みたいよね」

「いやいやいや。えぇ? 今までその隊長さんに見つかるのが怖くてあちこち逃げ回ってたんですよね? 今だってそのために街から逃げてきたんでしょ? 意味分かんないですよぉ、アヤさん」

「……」

「そんなにヨルさんが心配ですか? でもぉ、アヤさんが行ったってどうしようもなくないです? さっき言ってたじゃないですか、滅茶苦茶強いんですよね、その隊長さん?」

「ええ」

「ふっつーに捕まって実家に連れ戻されるだけだと思いますよ? 実家に縛られるのが嫌で放浪生活送ってたんですよね? おかしいじゃないですか。ほんのひと時居ついてた街のために、なんでわざわざ自分から捕まりにいくようなことするんです? ていうか街の人たちだって、勝手にいなくなった人に今更何も期待なんかしてないですよ」


 にやにやと、にまにまと、邪な笑みでアズミが問う。


「アヤさん。……あなた一体、何しに行くつもりですか?」


 その、聞くだけで毒に侵されそうな声に、アヤは軽やかな笑みで正面から答えた。


「決まってるでしょ。『好き勝手』しに行くのよ」


「……はい?」

 アズミの顔が、固まった。

「いつも通りよ。いつも通りの私。何もおかしいことなんてないわ」

「いや。だからぁ、それなら好き勝手自分のことだけ考えて逃げればいいでしょ」

「何よ、アズミちゃん。心配してくれるの?」

「…………イラっと来るなぁ。相変わらず」


 ついにその顔から笑みが消えたアズミから、アヤは鼻で笑って視線を逸らし、再び空を見上げた。

 その瞳に、星屑が映る。


「私ね、やりたいことがあったのよ」

「……はぁ?」

「別に、実家に縛られるのが嫌だったわけじゃないわ。なんなら少しホームシックなくらい。ただ、それを果たすまでは、帰りたくなかった」

「……なんです、それ?」

「内緒。でも、どうやらそれも無理っぽいわね」


 その自嘲めいた台詞に、アズミは不快そうな顔を隠しもせずに口を開く。

「じゃあ――」


「でもね、それはそれで私らしいかな、ってさ。思っちゃった」


「…………」

「私の旅も、これで終わり。目的は……果たせるかもしれないし、そうならないかもしれない。そんな中途半端が、いかにも私らしいじゃない」

「…………ばっかみたい」


 アヤは外套を乱雑に脱ぎ捨てると、アズミに放って投げた。

「ちょっ――」


 アヤの瞳が、両の脚が、赤く輝きを放ち始める。

 魔法で金色に染めた髪の毛が、元の桜色に戻っていく。


「それ、あげるわ。アズミちゃん」

「……大っきすぎますよ、こんなの」

「お酒ばっか飲んでないで、ちゃんとご飯食べなさい」

「うっざ」


 アズミの体を、熱風が打ち付けた。

 轟音。

 屋根が震え、残響が耳に抜ける。

「ホント、バカみたい……」


 夜天に尾を曳く赤い光を、アズミはいつまでも見つめていた。


 その顔を、ほんの少し綻ばせて。


 ……。

 …………。


 そして、時は進み。


「ま、来る途中でちょっと寄り道しちゃったけど、何とか間に合って良かったわ」


 メリィ・ウィドウの街の製糸工場。

 その入り口の前の、少し開けた空き地で、アヤはかつての魔法の師――テンヤ・アリワラと向かい合っていた。

 微かに吹く風が運んでくる、肌を刺すような真冬の冷気の中で、向かい合う二人の周囲だけが静かな熱気を放っている。


「成程、あの黒魔法の娘か。キリヤ殿から話は聞いていたが……」

「感謝してあげてよね。あの子、多分私がこうするって分かってて、わざと情報漏らしたんだと思うから」

「……何やら、事情があるようですな」


 二人が言葉を交わす最中にも、刻一刻と、町中から感じる陰の魔力が濃くなっていく。

 街の住人たちが、次々と血を吸われているのだ。


「お嬢様。もう一度言います。そこをお退き下さい」

「退かせてみせなさいよ、お師匠」

「私は今、赤の騎士団の一隊長としてここにいるのです。この無益な戦を終わらせるのが、今の私の務め――」

「私が大人しく実家に帰るって言ったら?」

「なんですって?」


 テンヤの顔色が変わった。


「だから、私と勝負しなさい、お師匠」

「…………懐かしい言葉ですな、お嬢様」


 アヤの口元が不敵な笑みを作る。

 テンヤの顔もまた、同じように綻んだ。


「あら。昔とは違うわよ」

「……ほう。何が違うと?」

「貴方にも戦う理由がある、ってこと。貴方が勝ったら、私は大人しく実家に帰る。騎士団にでもなんでも入ってやるし、家にいろ、ってんならそうするわ」

「その言葉に、偽りはないでしょうな?」

「ええ。その代わり、私が勝ったら、『テンヤ・アリワラは未亡人だらけの街で色仕掛けにあって任務に失敗した』って記事書いて、帝都中にばら撒くわ」

「ふふ。お戯れを」


「………………」

「………………お嬢様?」

「………………ふふん」

「いや、……あの。それはちょっと――」

「隙ありぃ!!」


 ごう。


 赤い光を捲いて繰り出されたアヤの前蹴りが、テンヤの股間を襲った。

「ぬぅっ」

 咄嗟に膝を上げたテンヤが、足裏でそれを止める。

 筋力のみで衝撃を殺し、体勢を保った。


「成程。詭道を弄するとは嘆かわしい。正道の拳を思い出していただきましょうか、お嬢様」

「はっ。ヨル君にアイナさんにミシェルさんに、随分と私の家族をボコボコにしてくれたみたいじゃない。万倍にして返してあげるわ」


 ぎりぎりと拮抗する力を、両者同時に弾いた。


 一歩ずつ後退。

 二人の髪が、瞳が、拳が、赤く発光する。


「「『踊雀おどりすずめ』!!」」


 激突。

 お互いの肘の内を掴み、組み合った。

 地面が罅割れ、窪みが出来る。

 アヤの体が押し込まれる。


「うっ」

 堪らえきれずに重心をずらし、テンヤの左脇へ逃れる。

 すかさず、左の裏拳がアヤのこめかみを襲う。

 頭を下げて躱した先に、掬い上げるような右拳。

 寸での所でスウェーバックが間に合う。

 鼻先を熱風が掠める。

 そこへ、打ち下ろしの手刀。

 拳で弾いていなす。


 曝け出されたテンヤの正中線に、左の拳を撃ち込む。

 掌で受け止められる。

 右の膝蹴り。

 止められる。

 そのまま全力で踏み下ろし、テンヤの足の甲を砕きにかかる。


 足を引いて躱されると同時、受け止められていた左腕を引かれ、体勢を崩される。

 咄嗟に両足を屈めて重心を落とし、その反動を肘に込め、背中越しに撃つ。

 空を切る。

 その勢いで振り返ったアヤの目の前に、正拳突きが迫り。

 それを、両手で掴んで受け止めた。

 

 再びの拮抗。

 示し合わせたように、お互い繰り出した蹴りがぶつかり、距離が離れる。


 一拍置いて。

 二人は鏡合わせに、両の拳を胸の前で撃ち合わせた。


「「舞え!『芳心孔雀ほうしんくじゃく』!!!」」


 爆炎が、花咲いた。

 

 先程のそれに倍する轟音が乾いた空気を震わせ、熱していく。

 激突し、クレーターのように陥没した地面の中央で、炎塊と化した拳の応酬が繰り広げられる。


 右拳。

 廻打。

 肘。

 踵落とし。

 左拳。

 正面。

 打ち下ろし。

  

「「おおああああああ!!!!!」」


 燃え盛る焔を背に負った二人が、目にも留まらぬスピードで撃ち合う。

 二人を中心に灼熱の暴風が吹き荒れ、焼けた粉塵を撒き散らす。  


 ごき。


 時間にして、僅か六秒。

 その間に繰り出された、膨大な打撃の嵐が、一発の快音と共に止んだ。


 連綿と続いた攻防の最後、互いに繰り出したのは右拳。

 テンヤの腕が、アヤの頬を掠め。


 アヤの拳が、テンヤの頬にめり込んでいた。


「な……」

 テンヤの体がぐらつき、その眼が驚愕に見開かれる。

 二人の背に負った大輪の炎が、風に流されて霧消した。


 荒い呼吸を繰り返すアヤが、その眼に強い光を宿して顔を上げる。


「私が……どうして、この七年間逃げ続けてきたんだと思う?」


 国から国へ、町から町へと渡り歩いて。

 逃げて。見捨てて。裏切って。

 戦って。戦って。戦って。

 生きてきた。


 かつて一度として敵うことのなかった人に、追いつくために。


 その拳を、想い続けてきた。

 その強さを、想い続けてきた。


 だから。


 今――。


「あんたをこの手で、ぶん殴るためよ!!!」


 ……。

 …………。

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