管理者マーヤ

「うーん………………はっ!?」


 ヒカリが目を覚ました時、そこは見慣れぬ部屋の布団の上だった。

「あれ? 私、えっと、え?」

 きょろきょろと自身の身の回りを検め、どうやら防具だけ脱がされて横にされていたらしいことまでを確かめる。


「おや、やっと起きたかい」

 そして投げかけられる、低いアルトボイス。

 小皺のよった褐色肌に背中まで伸びる豊かなシルバーブロンド。金色の眼をした美貌の女性が、ヒカリを見下ろしていた。その後ろには、種族もばらばらの何人かの女性の姿が見える。


「あ、あの、私、どうして……」

「まずは、自己紹介からしよう。私はこの街の住民の管理と、教会との折衝役を任されている。マーヤ・ネーブルだ。あんたはこの春からこの街に赴任してきた聖騎士で間違いないね?」


 ヒカリは慌てて飛び起き、直立する。

「はい! 聖王教会第5支部から派遣されて参りまひたっ。ヒカリ・コノエです!」

「初めまして。確か先月届いた教会からの頼りじゃ、もう3日前には街についてる予定になってたはずだけど。何かトラブルでもあったのかい?」

「あ、いやぁー、トラブルといいますか。いつものことといいますか……」


「うん?」

「道に迷って遅れました! 申し訳ありませんでした!!!」

「あー、はいはい。わかったからデカイ声出すんじゃないよ」

「あう。すびばせん……」

 早くも涙声になるヒカリである。


「で、あんた、自分が何でここに寝かされてるかわかるかい?」

 その問いで、ヒカリは思い出した。

 ここに至るまでの艱難辛苦を。


 養成校を卒業したと同時に追い出されるようにこの街へ出発させられたのが五日前のこと。途中の街までは乗り合い馬車に乗せてもらって来たものの、そこから徒歩になった途端いつものように道を踏み外し、まる三日あてもなく街道と獣道を彷徨い、食料品は底を付き、ほうほうの体で街に辿り着いたのが、昨夜遅くのことであった。


 当然街には灯りもなく、泣きべそをかきながら石畳を歩いて起きている人を探したところでようやく見つけた、二つの人影。月光に照らされた民家の出口で、魔族の女性が長身の男を見送っている。

 これはひょっとしてひょっとすると私にはまだちょっと早いそういう関係のそういうシーンに出くわしてしまったのではなかろうか! と一人赤面したのも束の間。その男から確かに感じた、この世ならざる魔性の力の残滓。見るのが初めてだったとはいえ、人一倍陽の魔力の強いヒカリには、その対極に存在する力の気配は不思議なほどの確信を持って感じられた。


 卒業式の前夜に友人の一人から注意されていた、夜の王たる魔物の名。

 吸血鬼。


 まさか、本当に出くわすなんて。

 もしそうなら、自分が何とかしなきゃいけない。この街の前任の聖騎士は3年も前に引退しており、それ以降ずっとこの街は聖王国領でありながらも聖騎士不在の街であったらしい。それをいいことにあの吸血鬼が街の住民を好き放題その毒牙にかけているのだとしたら。

 今、住民の人たちを救えるのは自分しかない。


 ヒカリは早速街の井戸を探すと、手持ちの革袋いっぱいに聖水を作った。頑張って作った。魔力のコントロールが上手ではない(下手なんじゃない。ちょっと苦手なだけだ)自分にしては改心の出来だった。出来た頃にはすっかり日が昇っていたが。


 街の人たちに昨夜見た女性の特徴を伝えると、それならと街の工場区の繰糸場を教えてもらい、首尾よく(よかったはずだ。自分にしては!)聖水を渡すことにも成功した。

 さあ、いよいよ諸悪の根源たる吸血鬼を討伐せねば、と勢い込んで街中を駆けずり回っていたところ、親切な桜髪のお姉さんに吸血鬼が化けた街の便利屋の居場所を教えてもらい、そのまま急行した。

 そこで今まさに男性を襲おうとしている吸血鬼の男を見た瞬間、ヒカリの頭に血が上った。


 そこからは必死だった。

 気持ち悪い影を操る気持ち悪い男の攻撃を必死に撥ね退けたものの、遮二無二放った聖光魔法は気持ち悪い男の気持ち悪い動きの前に掠りもせず、途中からパニックを起こしながら放った、普段は3回に1回成功する広範囲殲滅魔法は、当然のように失敗し。そして、膨れ上がった魔力が制御を外れたところで、ヒカリの意識はホワイトアウトしたのだった。

 

「そ、そうでした。あの、あのですね。大変申し上げにくいというか、正直信じてもらえるかどうか分からないんですけど、ただ、非常に重要なことで、でもちょっとショッキングなことかもしれないので驚かないで聞いてもらいたいんですけども……」


「まだるっこしいね。何だい」

「この街に、吸血鬼がいるんです!!」

「知ってるよ」

「そうですよね。信じられないですよね。確かに突拍子もないことだとは私も思、う……って、知ってたんですか!?」


 周りの女性たちが、くすくすと忍び笑いを漏らしている。

「みんな知ってるよ、この街の住民はね。ちなみに、あんたの垂れ流す聖気に当てられて死にそうな顔しながらあんたを此処まで運んできたのが、その吸血鬼さ」

ヒカリの顔が、みるみると青くなっていった。


「ど、どうしよう、まさかもう住民全員がやられていたなんて。ど、ど、どうすればいいの? 聖水って、吸血鬼化した後でもまだ間に合う?  いや、迷ってる暇はないわ、やるのよヒカリ。私がしっかりしないと!」

ぶつぶつと呟き出したヒカリを、マーヤは呆れたように見下ろす。周りの女性は、それを微笑み混じりに見守っている。


「私、聖水作ってきます!!」

「落ち着きなさい」

「あう」

  飛び出しかけたヒカリの首根っこを、マーヤの手が抑え込んだ。


「人の話をきちんとお聞き。私は、街の住民の管理を担当してるんだよ。この街に吸血鬼は一人しかいない。そして、街のみんなはそれを受け入れてる」

「そんな。でも、吸血鬼は、人の生き血を……」

「当然吸ってる。ただね、彼はその代価をきちんと支払ってる。街の便利屋としての仕事でね。勿論吸われる側も合意の上さ」


「危険です! だって、吸血鬼に血を吸われると、その人も吸血鬼になって、……あれ?  でも、街に吸血鬼は、一人……?」

「彼は血を吸う度に聖水を用意してるんだよ。アフターサービスだそうだ。みんなきちんとそれを飲んでる。だから、この街に彼の眷属はいないのさ。いや、彼はそもそも眷属を持つ気はないらしい」

「えええ!? そんな吸血鬼、いるわけ――」

「それがいるのさ。この街にはね。いいかい、お嬢さん。この街はね、人を拒まない。人族も、魔族も、エルフも、獣人も、互いを尊重しあう限りこの街は受け入れている。当然、吸血鬼だって拒まない」


「でも、やっぱり危ないですよぉ。吸血鬼っていうのは、魔王にもなりうる危険な魔物で……」

  首根っこを捕まれたまま、ヒカリが涙目で訴える。

  マーヤはそれを見てヒカリの襟を放すと、腰に手を当てて毅然と応えた。

「だから、この街はそれを拒まないのさ」

「そんな!」


  そこで初めて、マーヤは笑みを浮かべた。

  今年五十を過ぎようかというにはとても見えないほど、それは艶然とした笑みだった。

「そして当然、聖騎士だって拒まない」

「え?」


「ここでは互いの存在を尊重するのがマナーでありルールだ。もしあんたが、自分の使命としてあくまであのこ……吸血鬼を討伐しようと言うなら、私たちにそれを止める権利はない」

「じゃあ――」

「ただし!」

「ひゃう」


「ヨ……あの吸血鬼がこの街で便利屋として働いているのはさっき言った通りだ。そして、街のみんなが彼を頼りにしていることもまた事実。もしあんたが彼を討伐しようというなら、彼がこの街で果たしている役割を肩代わりしてもらわなくちゃならない」

「それって、つまり……」


「私は街の住民の管理をしている。あんたのこの街での仕事は、便利屋見習いだ。仕事を一つ引き受けてくれれば、その度に彼を討伐する権利をやろう。それ以外での争い事は御法度だよ。どうだい、この条件、呑むかい?」


 ヒカリはしばらく呆然としながら、マーヤの言葉を呑み込んだ。

 ヒカリの目に火が点いたのを、マーヤは微笑みながら見下ろす。


「挑むところです! 元より市井にあっては人々の暮らしのお役に立つのが聖騎士の勤め! 吸血鬼に出来て私に出来ないはずがありません! 見ていてください! 今に皆さんの目を覚まして(ぐぎゅうううううう)差し上げます! …………………………はう」


「やれやれ。先ずは腹拵えが先ですって?」

「ふぐっ。すみません、実は二日程前から、水しか口にしておらず…………」

「あらまあ、そりゃ大変だ。まあ、どのみち今日のところはもうおよし。住民登録はあんたが寝てる間にあらかた済んでる。あんたの寝床は前任の聖騎士が寝泊まりしてた一軒家だ。寝具の類は5日前に揃えてあるから、あんたの到着が遅れた日数分溜まった埃を払えばすぐ使える。あとはこの書類でお仕舞いだ。最後にカグヤさんのハンコをもらっておいで。案内をつけよう。アヤ!」


 二人のやり取りを、机に突っ伏しながら見るともなしに眺めていたアヤが、びくっと跳ね上がった。

「え!? 私?」

「どうせ暇してんだろ。カグヤさんとこ行ったら、一通り街を案内しておやり」


「ええっと。いやあ、マーヤさん。私、実は今ちょっと貧血気味で……」

「あんたなら飯食って酒呑めば治るだろ! ついでにこの子にも何か食わしておやり!」

「………へいへい」

「あ! あなたは、先程の親切なお姉さん!」

 そこでヒカリは初めてアヤの存在に気づいたようで、ぴょこぴょこと栗毛を揺らして、アヤの前に駆け寄った。


「ぷっ」

 くすくすと、そのセリフを聞いた周りの女性たちから失笑が漏れる。


「先程は、どうもありがとうございました!」

「あ、あー、うん。どうもね。えーっと、ヒカリちゃん?」

「はい。アヤさん、というのですね。宜しくお願いします!」


 ごほん、と咳払いが一つ。

「あー、ヒカリ。後はその、ごほん。親切なお姉さんに任せるから、もうお行き。なんなら先に食事をとってからでいい。カグヤさんにはもう話は通してあるからね。書類は明日にでもここに持っておいで。ああ、その時にでも仕事の詳しい話をしようかね」

「わかりました! マーヤさん。到着そうそうご迷惑をおかけして、すいませんでした! 皆様も、後日またご挨拶に伺います。これから、宜しくお願いします!」


 深々と礼をしたヒカリに、女性たちがめいめい挨拶を返した。

 それをしばし待ってから、アヤが出口の扉に手をかける。


「じゃ、行こっか、ヒカリちゃん」

「はい! では、お先に失礼します!」

「はいよ」

「まずはご飯だねー。ハバキさんとこは今日定休だし……ヒカリちゃん、辛いの好き?」

「ちょ、ちょっと苦手です……」

「そ。じゃあ『ハイビ』だね。あそこはパスタが美味しいんだよ」

「わあ、楽しみです!」


 ……。

 …………。


「不思議な子ねえ」

「でもかわいいわ」

「マーヤさん、最後はすっかり毒気抜かれちゃってたわよね」

「ヨルちゃんがあの子運んで来た時、凄い目してたのにね」

「うるさいね」


「でも、いいの? あんな条件出しちゃって」

「そうよ、マーヤさん」

「アヤちゃんがあの案言い出したときはびっくりしたけど、マーヤさんがOK出したのにはもっとびっくりしたわ」

「ねえ」

「ヨルちゃん可哀想じゃない」


「何言ってんだい、あんたたち。覚えてるだろ。ゲンジさんが引退した日のこと」

「あー、あの時は大変だったねえ」

「あの頑固ジジイが『後はこいつに任せる』って言ってったんだ。あんなへなちょこな聖騎士にヨルが討伐されるわけないだろう」

「それはまあ」

「そうかしらねえ」


「それよりあんたたち。今からあの子にやらせる仕事、考えときなよ」

「やだ、マーヤさん。悪い顔してる」

「ふん。ウチのヨルに手え出そうってんだ。タダで済ます訳ないだろうが」

「何だかんだ一番溺愛してるわよね、マーヤさんが」

「あのコート、めっちゃいい生地使ってるもんね」

「うるさいね。もういいだろ、あんたたちも、仕事に戻りな。カグヤさんにどやされるよ」

「はいはい」

「ううん。何してもらおっかなー」

「私もう決めてるわ」

「あはは、実は私も」

「みんな性悪ねえ」

「うふふ」


 ……。

 …………。

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