虹色の戦い

 ぱん!!


 乾いた風が吹き抜ける街道に、柏手を打つ音が響いた。

 次いで顕れる、二つの陽光。


「急ぎ定めの如くせよ。架かるは虹。破魔の御手!」

「急ぎ定めの如くせよ。掲ぐは塔。清浄の鐘!」


 栗色と緋色の髪が翻る。

 それぞれの聖光魔法を発現させた二人の聖騎士を、突風が襲った。


 ごう。


 砂塵と枯草が巻き上げられ、二人の視界を奪う。


 ずず。

 ちゃぷ。

 ずずずず。

 ちゃぷ。


 塞がれた四方から、何かを引きずるような音と、水袋を揺らしたような音が断続的に聞こえてくる。

 後方からは、荷車を牽いていた馬の恐怖に嘶く声が。

 風は勢いを増し、叩きつけられる砂粒に目を開けていられなくなる。


「うっ」

 横薙ぎに叩きつけられた風に、ヒカリが膝をついた。


「……これは魔法の風。なら!」

 その横で、ツグミが錫杖をきつく握り締めた。


「喝!!」


 叫び声と共に陽光が爆発し、視界を晴らす。

 一瞬、凪の時。

 途切れた土煙の中、ちらりと見える、波打つ鱗。

 青い光点。


「ヒカリ!」

「うん!」


 引き絞られた狩猟弓から、閃光が放たれる。

 風を切り裂く音の後、遥か遠くで爆音が響く。


「駄目。避けられた!」

 ごう。

 すかさず突風が吹きつけられ、再び視界が封じられる。


「この!」

 ツグミが錫杖を振るい土煙を晴らすが、四方八方から襲い来る風の波に翻弄され、完全には祓い切れない。

 ヒカリの狩猟弓も狙いをつけられず、おろおろと立ち尽くすばかりである。


「落ち着いて、ヒカリさん!」

 その背中に、低い声が掛けられた。

「え?」

 それは、馬と共に後方に退避させていたはずのサカキの声であった。


 振り返ったヒカリが、その姿に言葉を失う。

 サカキはいつの間にか、その濃い金髪の下に黒い目隠しをしていた。


 片膝を立てて跪き、地に片手を突く。

「さ、サカキさん! 危ないです。下がっててくださ――」

「ツグミさん! 右!!」

「え、……うわぁ!」


 突然の指示に一瞬戸惑ったツグミが、右側に錫杖の陽光を振りかざしたのと、そこに魔法の突風が叩きつけられ、霧消したのはほぼ同時であった。

 相殺し切れなかった衝撃にツグミがたたらを踏む。


「次。左後ろ!」

「ああ、もう!」


 今度は躊躇わずに陽光を振りかざし、風の魔法を打ち消す。


「前真っ直ぐ!」

「ちょ、待――」

「右!」

「うああ!!」


 矢継ぎ早に出される指示に、ツグミが必死に食い下がる。

 その度に、突風が陽光によって遮られ、土煙を巻き散らす。

 しかし、その余波はもはや三人には届かず、ヒカリが姿勢を崩されることもなくなった。

 

 ヒカリは数瞬の戸惑いの後サカキの意図を察し、光矢を番えたまま視線を落とした。

 足は肩幅よりやや広く。

 呼吸を整え、その時・・・に備える。


 その後数回の衝撃の後。


「ちょ、これ、いつまで――」

 息を切らしたツグミの声を遮り。


「ヒカリさん! 上だ!!」

「はい!!」


 きゅごっ。


 天を覆う砂塵を吹き飛ばし、閃光が奔り抜けた。

 日の光を透かす、薄曇りの空が現れ。


 そして。


 じぃぇああああああああ!!!!!!!


 耳を劈く、絶叫が轟いた。


 鈍色の空。

 見上げる視線の先に、それは姿を顕した。


 てらてらと濡れ光る鱗は天空のように鮮やかな青。

 人一人を呑み込む大きさの卵型の頭。

 遥か高みから見下ろすそれは、一つ、二つ、三つ。

 立ち昇る三本の首は途中で捻じれ縺れ合い、一本の野太い大繩と化して枯れた草原に波打つ。

 先の見えぬ程、長く、長く。

 ちろちろと踊る、先の割れた舌。

 陽炎のように妖気が煙る。


 それは、不吉の象徴。

 虹を操る魔獣。


 ケロスの三頭蛇。


 ちゃぷ。

 ちゃぷ。


 何処からともなく水音が聞こえる。

 天に踊る三つ首の大蛇のうちの一つ、ヒカリの光矢の直撃を受けた頭の半分が、白い煙を上げている。

 しゅうしゅうと肉の焦げる音。

 体中の鱗の青がみるみる色褪せていき。


 しぃあああああ。


 次の瞬間で、燃えるような赤色に変わった。


 ぐぽ。


 焼け焦げた頭の口が裂けるように開かれ、中から新たな頭が顔を出す。


「再生した!?」

「赤魔法!」


 首元にへばりついた残り皮が火の粉を舞わせて燃え散り、傷一つない頭部が姿を見せた。

 塞がれていた眼がゆっくりと開かれ、青色の瞳が現れる。

 三つ揃った頭部が、狙いを定めるように揺れ始めた。


「ヒカリ!」

「もう一発!」


 ヒカリが光矢を番えた瞬間。

 じゅる。

 三つ首が、解けた。


「ええ!?」

 根元で絡まり合っていた首が解かれ、それぞれ独立して三方に散る。

 目にも留まらぬスピード。

 ぐるぐると三人を囲み、逃げ場をなくしていく。


 その鱗が、徐々に赤から夕焼けのような橙に染まっていく。


 ぼう。


 草原が、燃えた。


 地面が赤熱し、枯草が黒く炭化していく。


「熱っ」

 地面に手を突いていたサカキが思わず腕を引く。

「大丈夫ですか!?」

「橙の混色魔法だ。燃えてる火は魔法じゃないから聖気じゃ消せない」


 狼狽えるツグミと冷静に分析するサカキ。

 自身の足元からも焦げた匂いが登ってくる。

 熱気が肺を焼く。


 ヒカリは口元を引き締めた。

 瞳に強い火が灯る。


「ツグミ! 三秒だけ抑えてて!」

「ええ!? お、OK! 喝!!」

 ツグミが高くかざした錫杖から特大の陽光が爆発し、三人を取り囲む魔獣の動きを牽制する。

 そしてもう一つ、特大の陽光が満ち溢れていく。


「天の瞬き、清心にあれ! 不浄を平らげよ!」


 動かないでくださいね、サカキさん。

 ヒカリの口が小さく動き。


「『降御徴ふるみしるし』!!」


 閃光が天に向かって駆け。


 きゅががががががががががががががが!!!!


 無量の弾丸となって降り注いだ。


「ひゃ!」

「うわぁ!」


 突如始まった光の大瀑布に、ツグミとサカキが悲鳴を上げる。

 数秒続いた殲滅魔法が消えると、三人の周囲は、所々の抉れた更地と化していた。

 白煙が立ち昇る。


 そこに、魔獣の姿はなかった。


「や、やった……?」

 ヒカリとツグミが周囲を見渡し。

「まだだ。下!!」

 再び地に手をついたサカキが鋭く叫んだ。


 ぼごっ。


 更地と化した地面が罅割れ、銀杏のような黄の光が漏れ出でる。

 次いで顕れる、石に覆われた三つの頭。

 裂けそうな程開かれた大顎。


「今度は硬化魔法!?」


 その真白い牙が、三方向から襲い掛かる。


 じぃえああああ!!!


 ツグミが錫杖をふりかざし、サカキが腰元から白魔道具の短刀を引き抜いた。

 弓矢では間に合わないと判断したヒカリは、木剣を構える。


 二つの陽光と真白い閃光が輝き、三つの頭を弾き返した。


 じゅるるるるるる。


 ツグミの放った陽光を受けた頭からぽろぽろと石化した鱗が剥がれ落ちる。

 サカキとヒカリに向かった頭はいち早く顔を逸らしていたため、ダメージはないようであった。


 ゆらゆらと揺れる三つの頭が、再び地を這い、周回を始めた。

 その鱗が、緑色に染まっていく――。


「どうしよう、これじゃキリがないよ……」

「大丈夫。ツグミ。絶対倒せる」

 弱音を零したツグミを、木剣を握り締めたヒカリが叱咤した。

 そしてそれを、目隠しを外したサカキが呆然と見つめていた。


「ヒカリさん……。それ、まさか散魂瓏さんこんろうかい!?」

「ふえ?」


 ヒカリの木剣に嵌めこまれた半透明の石を見るサカキの目が大きく見開かれ、ヒカリの肩を掴んだ。


「あ、あの。これが何か」

「ちょ、サカキさん。今それどころじゃ――」

「僕に考えがある」


 混乱する二人の声を遮って、サカキの瞳が、まっすぐヒカリを映した。


「それを使って、奴を倒す」


 ……。

 …………。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る