天に還るもの
陽の光が、差していた。
高く澄んだ冬の晴天から、清らかな薄絹を垂らすように、光の帯が降り注いでいる。
崩壊した天井。
立ち込める灰色の煙。
そこに乱反射する光の粒。
「あれは、なんだ……?」
その中に、白騎士・キリヤは見た。
風に揺らめく白糸の髪。
色を失った肌。
半眼に伏せられた瞼から覗くのは、珠のような真白の眼球。
口元には微笑。
揺蕩う薄衣が一条、二条、その身に纏わっていく。
虚空に浮かび上がる、その体に。
きら。
きら。
零れ落ちる光の粒が、その体を透かしていく。
ぱらぱらと、崩れ落ちた天井の淵から砂埃が零れていく音のみが、その場に響いていた。
その顔立ちにハズキ・サイオンジの面影を残す
「『
その尋常ならざる光景に呆然とするキリヤの斜め後ろから、曖昧屋ジンゴが答えを発した。
「天人?」
「来るぞ。……構えろ」
「なに?」
ジンゴのその言葉に反応したかのように、
ゆっくりと瞼が開き、ただ白目のみで出来た艶々と照る眼球が顕わになる。
そして、微笑を模っていた唇が、大きな円を作り。
「―――――――――――――!!!」
叫んだ。
凡そ人の発する声からはかけ離れた高音が半壊した地下室に谺する。
それと同時に放たれた数条の陽光が、地下室を暴れ回った。
壁が、床が、僅かに残った天井が、がりがりと削られ、消滅していく。
「ひ、ひいぃ」
先程ジンゴとキリヤに打ち伏せられた杖兵の一人が悲鳴を上げた。
額から血を流すその男の顔が恐怖に引き攣っている。
そこに、陽光の一条が床を削りながら襲い掛かった。
「くっ」
キリヤがそれを庇い、刃で光線を受け止める。
しかし、受け止めた場所から、白魔法で作られた刀身が削り取られていく。
二秒と持たずに断ち切られた白刃の後方、その僅かに稼いだ時間で、ジンゴが杖兵を後ろに放り投げていた。
それを受け止めた彼らの仲間が、互いに体を支え合いながら下がり、破壊の光を撒き散らす怪物に恐怖の眼を向けている。
「くははははははは」
怪物の後ろから響く哄笑が、小さく消えていく。
「おのれ、モンド!!」
隠し通路に消えようとするモンドの背中を追おうとするキリヤを、ジンゴが押しとどめた。
「ジンゴ!……うっ」
キリヤの鼻先を、閃光が掠める。
じゅう。
肉の焼ける音。
思わず振り返れば、先に切り捨てた鬼の死体が陽光に晒され、一瞬で蒸発していた。
ジンゴとキリヤが慎重に後退する。
「落ち着け。あやつの罪を暴くなら、証拠はこの場所に揃っている。お前はそれを確保し、外に待機させているお前の部下と合流しろ」
「お前はどうする」
「あれを何とかしよう」
素早く言葉を交わすキリヤとジンゴの視線の先で、ハズキの顔をした
少なくとも、何かに狙いを付けているようには見えない。大きく見開かれた真白の眼球が、感覚器としての役目を果たしているのかも不明である。
「あれは……天人とは何だ? 一体モンドは何をした?」
「……陰の魔力で鬼と化したものを吸血鬼と呼ぶように、陽の魔力で鬼へと変じたものを『天人』と呼ぶ」
「陽の魔力の鬼だと? 馬鹿な。聞いたこともない」
「当たり前だ。自然にはまず生まれん。仮に生まれたとして、直ぐに消滅するからな。目撃例などさらにない」
「消滅?」
思わず隣のジンゴの顔を見たキリヤは、そこに、初めて目にする友の顔を見た。
皺の寄った眉間。噛み締められた口元。暗く燃える瞳。
怒り?
悲哀?
悔恨?
絶句したキリヤに、ジンゴは言葉を続けた。
「モンドがハズキに嵌めたのは、本来勇者の力を制御するための指輪だ。封じられた聖気を使用者の体に流し込み、一体化させ、こちらの設定した命令を刷りこむ。奴の勇者はその莫大な聖気を受け入れるために開発された特製の器だが、ハズキは違う」
「それで、鬼……天人へと転化したと?」
「そうだ。陽の魔力は『解放』を司る。天人は感情の揺らぎから解放され、重力の軛から解放され、いずれ、この物質世界からも解放される。すなわち、存在の消滅だ。あの光が尽きた時、あれはこの世から消え失せる。持ってあと数分という所だろう」
「!? ……なら――」
キリヤの口が、発しかけた言葉を呑み込んだ。
『なら、放っておけばいいではないか』
あの光の化け物が、この場を動く様子もない。
ただ宙に浮かび上がって破壊の光を撒き散らしているだけだ。
ここから奴の悪業の証を押収して逃げるだけならばそう難しいことでもないであろうし、今ならまだ、逃げたモンドの行方も追えるかもしれない。それこそ二手に分かれてもいい。
この場所ならば、あれがあと数分暴れたところで外の市街地への被害もないだろう。
そんなことを、ジンゴが理解していないはずはない。
キリヤは隣に立つジンゴの、瞳に火を灯した横顔を見て、苦笑いを零した。
「この数十年の末にようやく掴み取った機会を、ふいにしようというのだな」
「……そうだ」
「……」
「すまん。俺はやはり、曖昧なだけの男であるらしい」
「ふん」
きん、と硬質な音を響かせて、キリヤが半ばで折れた刀を鞘に仕舞った。
その爪が白く輝き、鞘の中で新たな刀身を形成する。
「あの娘を、助けるのだろう?」
「……」
「分かっているよ。お前は昔から、そういうやつだった」
「そうか……」
「ジンゴ」
「……」
「生きろよ」
「うむ」
二人の背中が、別たれた。
キリヤは恐怖に震える杖兵たちを押しのけ、地下室の奥の通路へ。
ジンゴは刀を放り捨て、代わりに床に落ちていた黒鞘を拾い上げた。
一歩、一歩、足を進める。
その狼のような視線の先で、ハズキの顔をした
一時、絶叫が止む。
その色を失った唇が、微かに震えた。
「……ぁ……え」
意味をなさない音が漏れる。
「あぅ……ぇ……」
それでもその『声』は、ジンゴの体の奥深くに、とうに失ったはずの心魂に、確かに届いた。
『たすけて』
「全く。お前は昔から、人の話を聞かん娘だった」
黒鞘を握り締める拳に、語りかける声に、熱が篭っていく。
「言ったはずだぞ、ハズキ。俺は、お前の味方だ」
再び、絶叫。
死と破壊を振りまく光線の渦。
ジンゴの体が、正面から突っ込んだ。
……。
…………
メリィ・ウィドウの街から北に向けて伸びる街道。
そこから少し外れた場所に、その廃村はあった。
戦時中に飢饉に見舞われ、打ち捨てられたその村は、最早訪れる者もなく、草木の生い茂るに任され、半ば自然の景色と一体化している。
この数十年の間で、時折には浮浪者の溜まり場や、何か良からぬ者共の巣窟としての役割を持ったこともあったようだが、今はそれすらもなく、ただ通り抜ける風に朽ちた匂いを乗せるだけの地と化している。
その廃村に、同じく朽ち果てた礼拝堂が建っていた。
日輪を神体と崇める聖王教会の教義に従い採光を広く取ったその建物は、窓ガラスを失い風雨に晒され続けたせいで所々の壁さえも崩れ落ち、何か巨大な生物の死骸が、その骨を野辺に晒しているようにも見えた。
ただ、建物の正面にある分厚い鉄扉と、それを支える屈強なアーチ形の門だけが、往時と変わらず真っ直ぐに聳え立ち、その対比がますますその風景を落莫とさせているのであった。
その礼拝堂に続く村の並木道に、一陣の風が吹いた。
黒い風だ。
所々歯抜けとなった楡の並木を、陽の光を呑み込むような闇色の霧が、飄々と吹く風に乗り、通り抜けていったのである。
もしもこの場所に生きている人間がいたなら、そこに、己の魂が地の底に吸い込まれていくような、魂の根源を震撼させるような悪寒と恐怖を感じ取っただろう。
その黒い風は真っ直ぐに並木道を吹き抜けると、礼拝堂の鉄扉にぶつかり、弾けて霧消した。
いや。
礼拝堂が地に落とす影に、ゆるゆると吸い込まれていったのだ。
そこから、ずるり、ずるりと、闇の衣を纏った影が立ち上がる。
やがて人の形を取った影は、細い腕を伸ばし、扉に手をかけた。
ぎぎ。ぎ。
悲鳴のような軋みと共に、鉄扉が開いた。
闇の衣を引き摺って、影の主が門を潜る。
礼拝堂の中は、差し込む陽の光が窓枠を透かし、幾何学模様の陰を腐れた床に落としている。
そこに、一人の男が立っていた。
扉に背を向ける、金髪の男。
その顔が、ゆっくりと振り返る。
灰青の瞳と、白磁の肌が陽光を撥ね返した。
「やあ、待ってたよ、ヨル君」
人造の勇者――ヤマト・サイオンジが、春の陽射しのように、柔らかな微笑を浮かべていた。
……。
…………。
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