立ちはだかる資格
夜の闇に浮かぶ血の色の瞳が四つ。
心なし、周囲の肌を刺すような冷気も一層鋭さを増したようにさえ感じる。
ヒカリは震えそうになる唇を精一杯噛み締めて、正対する二人の男へ、歩み寄った。
それを迎え出るように若い男が足を踏み出したのを、隣の中年男性が片手で制した。
代わりに自身が一歩を踏み出し、口元を歪ませて小さな頭を見下ろす。
「俺の名前を知った上で、
「あの!」
褐色肌の中年男――オロの言葉を遮って、ヒカリがさらに詰め寄った。
「あの、秋の……ペイジンのお祭りのとき、医務室にいた方ですよね?」
「……あん?」
その思わぬ問いかけに、オロが呆けた声を出した。
「わたし、その、ヨル……優勝した男の子の……ええっと、…………知り合いで」
そして改めて、夜陰の中でも視力を失わない瞳で、何故かおたおたと説明をするヒカリの頭から足元までをじっくりと眺めた。
「あ。……あー!!」
「オロさん!?」
突然大声を出したオロに、ヒカリと若い男がびくりと肩を震わせた。
「あーあー。はいはいはい、あん時の小っさい嬢ちゃんか!」
オロの脳裏に、数か月前の獣国での光景が思い起こされる。
あの日、夕焼けに染まる舞台の上で、勝負がついた途端に立ったまま気絶した優勝者の少年が担架に乗せられるのを、大泣きに泣いて見送る一人の少女がいた。
連れの男女に引き留められていなければ今にも駆け寄って泣き縋っていただろう。
その後も、治療の邪魔をしてはいけないからと医務室には近寄れず、さりとてその場を離れることも出来ない様子で廊下に座り込んでいた彼女に、そういえば毛布を一枚貸してやったのだった。
「おめぇさん、聖騎士だったのか。はぁん。けったいな縁もあるもんだなぁ」
「あの時は、大変お世話になりました!」
もう一度深々と頭を下げるヒカリを、オロは物珍しそうに見下ろし、その横で若い男の吸血鬼が戸惑ったように頭をかいた。
「おい、オロさん、一体――」
その言葉を手で制して、オロは栗色の髪の頭に言葉をかける。
「いやいや。あの坊主の治療なら、連れの桜髪の嬢ちゃんが魔法でちょちょいとやっちまったからなぁ。俺は大したこたぁしてねぇよ」
「いえ! アヤさ、そのお姉さんも言ってました。治療前と後の処置がすごく丁寧できっちりしてて、そのおかげで魔法の効きもよかったって」
「くひひ。そうかぃ。ま、そりゃ年の功ってもんだ」
潤んだ瞳を目一杯見開いて自分を見上げるヒカリを、オロは口元を緩めて見下ろす。
そして。
「で?」
ず。
ずずず。
オロの足元から、闇の衣が立ち昇った。
うねうねと蠢くそれが、ヒカリの周りを取り囲んでいく。
「俺に何の用だぃ、お嬢ちゃん?」
ヒカリの背筋に、氷水を直接流し込まれたかのような悪寒が走る。
妖しく濡れ光る血の色の瞳が、ヒカリを真っ直ぐに見据え、答えを促した。
普段、戦闘態勢に入ったヨルから感じるそれとは桁外れの陰の魔力が、ヒカリの体を芯から竦ませ、その膝を地に着かせようとする。
ヒカリは一度、きつく目を閉じて、数秒を使い、再び大きく見開いた。
その眼に、強く火が灯る。
「お願いします。ヨル君を、見逃してあげてください」
「へえ?」
再び首を垂れたヒカリを、オロが口元に笑みを浮かべて見下ろす。
「そいつは一体、どういうわけで?」
面白そうに問うオロに、ヒカリは面を上げて答えた。
「聞きました。吸血鬼の真祖っていうのは、眷属を増やす前に他の吸血鬼に殺されちゃう、って。私、そんなこと、全然知らなくて……」
「ま、吸血鬼あるあるだからな。普通は知らんめぇよ」
「ヨル君は、眷属を増やしたりするつもりはないんです。今も、棲みついた街で、街の人たちと仲良く暮らしてて、その、血を吸う時にはちゃんと聖水を用意して……」
「はあん……」
腕組みをしてそれを聞いていたオロが、顎に手を当ててしばし考え込むと、不安げにそれを見上げるヒカリへ、問いを重ねた。
「けどなぁ、嬢ちゃん。俺がその話を信じてこのまま引き返したところで、数年後に新たな真祖の吸血鬼の勢力が出来てましたなんて話になっちゃあ、俺ぁ立つ瀬がねえんだ。おめぇさん、どうやってそんなことにゃあならんと証明する?」
「それは……。ヨル君は、その……そんなことをする人じゃなくって……」
「大体、なんで聖騎士の嬢ちゃんが吸血鬼の坊主を庇うんだ? 俺からすりゃあ、何か裏の意図があると見る方が自然なんだがなぁ……」
「おい、オロさん!」
その、獲物を甚振る肉食獣のような表情を浮かべるオロに、隣でそれを見ていた若い男が声をかける。
「どうするつもりだよ。大体俺らぁ――」
「シン。……『下がってろ』」
「う……」
強制力を伴って発されたその言葉に、シンと呼ばれた若い男は、恨みがましい視線を一つ向けて数歩下がると、それきり口を噤んだ。
そして、改めて、ヒカリへ意地の悪そうな目を向ける。
「ああ、悪い悪い。で? なんでおめぇさん、そうまでしてあの坊主を庇うんだね」
「それは……。その。オロ、さんが、ヨル君のことに気づいたのが、例の闘技大会の時なんですよね。ええっと、何ていうか、そもそもヨル君があの大会に出ることになったのが、私のせいなんです……。それがなければ、ヨル君の正体がばれることもなくって……だから……私には……」
その、おずおずと語られた言葉を、オロはにやにやと口元を歪ませながら聞いた。
その血色の瞳が、ヒカリの顔を真っ直ぐに見据える。
無言であった。
ヒカリの脳髄の奥まで見透かすような、冷気を伴う視線。
ヒカリはごくりと唾を呑み込み、一つ、深呼吸をした。
「ヨル君は、私の、……とても、…………とても、大事な人なんです」
オロの口の端が、さらに持ち上がった。
「ヨル君は、すごく、強い人です。いつも、正しいことをしようと、一生懸命で、そのために、頑張って、努力をしてて。私はそれをずっと見てて。私も、あんなふうになりたくて」
とりとめのない言葉。
それでも、そこには確かに、先程までの言葉にはない熱があった。
「いつもいつも、優しく笑ってくれて。みんなを助けてくれるんです。ヨル君は、たくさんの人を助けて、笑顔にできる人です。私が、そんなふうになりたいって、ずっと思ってた人なんです」
「……」
「ヨル君は、色んな人を助けて、守ってくれます。だから、……だからヨル君のことは、私が守って、助けてあげるんだ、って。そう、決めたんです。だから、もし、あなたが、止まってくれないのなら――」
「くひっ」
しゃくれたような声が、不意に零れ出た。
「ふっひひひひひひひひ」
「え? ふえ?」
オロが額に手を当てて、俯きながら笑い声を漏らす。
木剣の柄に手をかけたヒカリが戸惑っていると、不意に笑い声が止み、オロの体を闇の衣が包み込んだ。
「ええ!?」
ずるずるとオロの体を這い廻る影は数秒を使って収束し、その足元へと収まっていく。
そして。
「……え?」
月光の淡い光が注ぐ夜闇の中に、それは顕れた。
褐色肌の顔にまばらに生えていた無精髭は消え去り。
ぼさぼさだった紺青色の髪は丁寧に撫でつけられている。
曲がり切っていた背筋は芯棒を差し込んだかのように真っ直ぐに。
「……オロ、さん?」
躊躇いがちにかけられたその声に、容貌を変じた中年の吸血鬼は、苦笑いで応じた。
「まったく、ここんところ胸糞悪い連中ばっかり相手にしてたせいで気分が悪かったが、いるところにはいるもんなんだなぁ」
「あ、あの……」
「悪い、嬢ちゃん。さっきの名乗り、ちゃんと聞いてなかったんだ。もっかい名前、聞かせてくんねぇか」
その言葉は不思議な温かみを持ってヒカリに届き、その姿勢を正させた。
「聖王教会第五支部…………いえ」
いつも通りに口をついた言葉を呑み込み。
「メリィ・ウィドウの便利屋、ヒカリ・コノエと申します」
ヒカリの腕が躊躇いなく動き、木剣を抜いて構えた。
オロの顔から笑みが消え、口元が引き締められる。
「真祖カルミラが眷属、オロ・トゥオルだ。若き聖騎士よ。我が君より賜りし命。阻めるものなら阻んでみせよ」
白木の木剣から、眩い陽光が生まれ出で。
それを呑み込むように、闇の帳が世界を包んだ。
……。
…………。
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