この世の全て

「おおおおお!!!」

「うおらぁあ!!!」


 朽ち果てた教会の中、二つの怒声がぶつかり合う。

 ヤマトの右手に握られた陽光色の太刀と、ヨルの右腕に纏わりつく闇色の巨大な腕が、激しく交錯し、火花を散らす。


 芯から逸れた刃と爪が弾け、二人の立ち位置が入れ替わる。

 ヨルのブーツが床板に罅を入れる。

 瞬時に振り返り異形の腕を横薙ぎに振るったヨルの視界に、ヤマトの姿はなかった。

 空を切る腕。

 頭上に悪寒。

 咄嗟に振り上げた左腕に、真上から剣閃が奔り重い衝撃が骨まで響く。

 体の重心をずらして攻撃を逸らすと同時、横に転げて距離を開ける。


 見上げる頭上に、宙に浮遊し太刀を掲げるヤマトの姿。

 それが、一瞬で眼前に迫りくる。

 再び、真上からの剣撃。

 弾く。弾く。弾く。


 その度に、振り下ろされる聖気の余波でヨルの体に傷が刻まれていく。

 反撃の出来ぬ角度から攻撃を繰り返すヤマトの眼が、足を止めて防戦一方のヨルの魔力が僅かに膨れているのを知覚した。

 次の瞬間。


「……『沈守渦襲ちんじゅうずがさね』!」


 攻撃を弾きながら魔力を溜めていたヨルの足元、その、真上から降り注ぐ眩い光によって地に落ちた影から、闇の食人花が咲いた。

 十重二十重に花弁を撒き散らし、燃え上がるようにヤマトの足へと纏わりついていく。

 それを斬り祓えばその腕に。

 引き千切ればその掌に。

 腰に、胸に、首元に、闇の衣がへばりつく。


「ぐぅ…………喝!!」


 喉元に闇影を巻き付かせたまま叫んだヤマトの声に呼応するように、左手に握った錫杖から朝焼けの如き光が爆発し、纏わりつく影を吹き飛ばす。

 引力から解放され一瞬ぐらついたヤマトの頭上に、日の光を遮る影。


 宙を飛ぶヤマトの、さらに頭上を取ったヨルが、棍棒のように右足を振り下ろす。

 狙いは死角――後頭部。

 その一撃が。


 ばしぃっ。


 ヤマトの周囲に浮遊する羽衣によって、弾かれる。


 予想外の防禦に目を見張るヨルを嘲笑うように羽衣が躍り、ヤマトの体が空中を泳ぎ去る。

 着地したヨルに、今度は地上すれすれを飛行するヤマトが、正面から突っ込んできた。 


 突き出される太刀の尖りを弾くように異形の腕が振るわれ。

「……!?」

 虚しく、空を切った。

 ヤマトの体が激突の直前で急停止したのだ。

 金糸の髪が、はらはらと踊り、日の光を撥ね返す。

 太刀が真上に、振りかざされて。


「三世一切阻むものなし。唯一人前を征け。『勇一嘴いさみひとつばし』!!」


 きゅがぁっっ!!!!


 その刃は、天を貫き。

 教会の屋根を崩し。

 壁面を抉り。

 ヨルの脳天へと振り下ろされる。


 ヨルの体から伸びた影がその体を引っ張り、真横へ吹き飛ばす。

 耳を聾する轟音に世界が震え、白煙に視界が塞がれる。

 渾身の一撃を躱されたヤマトは、その掌の太刀を横に倒して握り直し、深く腰を落とした。


「ぜぃぃぃぁぁあああああああ!!!!」


 世界を断ち割る巨刃が、横薙ぎに振るわれる。

 がががががががががが。

 教会の壁面を縦に切り裂いた光の一直線が角度を変え、破壊の痕がL字を描いていく。


 先の一撃をかろうじて躱し体勢を整えていたヨルの眼前に、壁のような刃が迫る。

「ぐぅぉおおおお!!!」

 両の手に作り上げた異形の腕で、それを受け止める。

 ヨルの周囲を覆う闇の衣がずるずると収縮し、腕の質量を増していく。

 陽光と闇影が拮抗し、弾けていく。


「おおおおおお!!!!!」

「ああああああ!!!!!」


 咆哮が交わり。


 ずぱぁぁああん!!


 ヨルの纏う闇の腕が、砕けた。

 それと同時、その体積を殆ど減らしつつ、それでも僅かに残った陽光の刃がヨルの胸に届き。

 赤い一文字を作る。


 宙に緋の花が咲き。

 ヨルの膝が崩れた。


「ん………ぐ」

 顎を引き、大きく目を見開き、何かを堪えるように口元を引き結ぶヨルの顔が小刻みに震える。

 そこへ。


「僕の、ごほっ。……勝ちだ、ヨル君」


 消え入りそうな刃を右手に。

 依然として輝きを放つ錫杖を左手に。

 その身に揺蕩う羽衣を纏って。


 人造勇者・ヤマトが歩み寄った。


「君は本当に、選択を間違えるのが上手いね、ヨル君。あのまま僕に指輪の力を使わせ続けていた方が、まだしも勝ち目はあっただろうに」

「……ん……んぐ」

「喋ることもできないかな? 今の僕は、『正答者』の答えに頼ることなく戦える。君の絡め手はもう通用しない」


 一歩、一歩、ヤマトが歩み寄る。

 右手に握る太刀が、徐々に本来の輝きを取り戻していく。

 その、足元に。


 音もなく闇の衣が纏わりつくのを、勇者の眼は見逃さなかった。

 無言で左手の錫杖の柄先で床を撃ち、陽光を奔らせる。

 次の瞬間。


「無駄なこ……な!?」

 ヤマトの足が、崩れた。


 錫杖型の聖光魔法のめいは守護。

 その陽光では、魔法で作られた闇の衣は溶かせても、その中に隠された・・・・・・・・本物の衣・・・・は破れない。


(外套の切れ端!? しまっ――)


 足を引かれ、がくりと下に落ちた視界に、頬を膨らませた魔物の顔が映る。

 そして。


 ぶぅぅっっっ!!!


 口内を噛み切って作られた真っ赤な毒霧が、ヤマトの眼を焼いた。


「があああっ!」

 堪らず顔を仰け反らせたヤマトの耳に、低く囁かれる詠唱。

「……『垂曇しずりぐもくるい』」


 ぶわっ。

 飛散した血を媒介に造られた深紅の幻結界がヤマトの周囲を覆い尽くし、一瞬で上下左右の平衡感覚が失われる。

 それと同時に、魂を侵す陰の魔力の呪怨。

 ヤマトの両目が血走り、全身に蛇がのたうつような血管が浮かび上がる。


「ぐ……お、おおおお」

 震える手で、錫杖を握り直し。

「喝!!!」

 根限りに、叫んだ。


 爆発と共に、視界が晴れる。

 陽の光を取り戻したヤマトの眼と鼻の先に、それはいた。


「『這蕨はいわらびささめ』」


 魔法を唱うその呼気が顔にかかるほどの至近距離。

 ヨルの全身から、糸のように細い闇の触手が伸びていた。

 百か、二百か、いや、もっと多くか。

 全方位に延ばされたその極小の陰魔法の先には、先のヤマトの聖術によって破壊されかかった教会の壁、天井、床板。

 それが、みしみしと音を立てている。


 陰の魔力は、『欲望』を表し『束縛』を司る。

 その能力は、『引力』。

 つまり、この魔物は――。


「大事なのは間違えないことじゃねえ。間違えた後にどうするかだ」


 ごしゃぁぁ!!!!!


 世界が、崩れた。


 ……。

 …………。


 時間が、引き延ばされていく。

 刹那を百秒にも感じるほどの感覚の中で、ヤマト・サイオンジは歓喜していた。


 自分には、分からないことはないのだと思っていた。

 自分には、出来ないことはないのだと思っていた。


 全てを見通す眼と、全てをこなす両腕。

 それをただ、指令の通りに振るう人生。

 あの醜悪な男の元で、無辜の魔獣を屠る日々。


 そこから解放された後に広がる、無窮の自由。

 今、自分は本当の意味で全能なのだ。

 何でも分かる。

 何でも出来る。

 目に映る、この世の全てが、自分の全て。


 ああ、それなのに。

 自分に立ち向かう男がいる。

 自分に抗う男がいる。


 必滅の聖術を幾度となく躱し。

 無謬の肉体を幾度となく毀損する。

 意味不明の男が。


 引き延ばされた時間の中、目の前の男が、とぷんと音を立てて自分の影に潜り込む。

 後に残されたのは、ヤマトただ一人。

 そして、こちらに向かい360度全方位から飛来する大小無数の瓦礫の山。


 陽の魔力のめいは、『解放』。

 魔力の結合を解放し、魔法を分解する力。

 それを極限まで凝縮すれば、魔力のその先にある物質の分解も可能になる。それをわざとして具象したのが太刀型や弓矢型の聖術だが、そもそもの前提である魔力の凝縮という過程のため、その有効範囲は狭い。

 全身を覆う防禦の術は錫杖型の業であるが、こちらは物理攻撃を防ぎきるほどの出力は出せない。


 ならば。

 どうする。


 ヤマト・サイオンジは歓喜していた。


 絶体絶命。

 不可避の絶望。

 全能のはずの自分を追い詰める混沌の敵。


 それを、正面から打ち破る悦びを!!


 ぱん。


 両腕を胸の前で撃ち合わせ、太刀と錫杖を光の粒に還す。

 弾けた粒子が混じり合い、再び一つの形を成していく。

 その完成を待たず、ヤマトは右の人差し指に嵌められていた指輪を外し、左に嵌め直した。


「接続を確認」


 その顔から、表情が消え失せる。

 そう。

 我は自由。

 指輪の力に頼らないことも、頼ることも出来る。


 そして顕れた、陽光の輝きを放つ薙刀を、両の腕で握り締めた。


「天」


 ずぱぁぁん!!!


 斜め後ろに振るわれた刃が、一番初めに飛来した床板の破片を消し去った。

 ぐるん。

「日」

 その遠心力を殺さず、自分の重心を僅かにずらして軌道を変えた刃が、壁の破片を弾く。

「似、階」

 右に、左に。

「標、衆」

 前に、後ろに。

「生、覚」

 次々と襲い掛かる瓦礫の山を、縦横無尽に乱舞する薙刀で砕き、弾き、消滅させる。それと同時に全身の動きを巧みに操り、防ぎきれない瓦礫を躱していく。


「悟、無、盡」

 ミリ単位の狂いも許されない、蜘蛛の糸を手繰るような演舞。

「心、自、蕭」

 陽光の軌跡が躍り、床板に幾何学模様を刻んでいく。


 それを、頭上の巨影が覆い隠す。


 最後に落ちてきた、教会の尖塔。

 防ぎようのない、桁外れの質量。

 それが、あと瞬き一つでヤマトを圧し潰すかに思われた時。


 かぁぁん!!


 垂直に突き立てられた薙刀を中心に、それまでの演舞によって刻みつけられた床板の疵が、一つの陣となって輝き始めた。


天日てんじつきざはしに似て衆生しゅじょうに標す。無盡を覚悟さとれば心自ずからしずかなり)


 聖文は、唱え終わっている。


「光よ有れ。『荘厳寳藏卒塔しょうごんほうぞうそとう』」


 立ち顕れた、光の柱は。

 屋根も、床も、壁も、天も、地も、全てを呑み込み、空に還した。


 無人の廃村に、半径十数メートルの大穴が空いた。

 そこに建っていたはずの打ち捨てられた教会は、一片の影すらも残さず、この世から消滅した。


 ……。

 …………。

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