狩猟に行こう、そうしよう
「何故、お前がここにいる、ハズキ?」
部屋のランタンに明かりを灯したジンゴが、外套を壁面のフックにかけながら、ハズキの方を見もせずに問う。
一瞬見せた動揺は僅かも伺わせず、その声はいつもの平坦な調子である。
ハズキはその背中をしばし見つめ、視線を臥せると、体の前でもじもじと手を組んだ。
ジンゴは改めてハズキに向き直り、いらえを促すように視線を投げかける。
「え、ええっと……その」
「何だ」
ハズキは一際深く顎を引くと、両の手を握り締め、顔を上げた。
「き、来ちゃった♪」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………ぁぅ」
数秒の沈黙の後、渾身のスマイルを無言で見つめられ、先に根を上げたのはハズキの方だった。
「もしそれが、聖都で流行の戯曲の台詞を真似しているのなら、それは部屋の中で待ち伏せしていた人間が使うものではないな」
「う。……すみません」
「で、何の用だ?」
ジンゴは囲炉裏に火をくべると、部屋の隅から座布団を二つ引っ張って、火を挟むように敷く。
ハズキは恥ずかしげに顔を臥せたまま、無言の勧めに従って腰を下ろした。
「その、すみませんでした。勝手に上がってしまって」
「それは別に構わん。元よりこの街に、部屋に鍵をかける習慣などないからな」
口の広い鍋に甕から水を移し、火にくべる。その中に、酒を注いだ徳利を入れた。
「そう、ですか。あの、特に要件というほどのことはないんです。ただ、……少しお話がしたくて」
「話だと?」
「ああ、いえ。ですから、その……。昨日は、入れ違いでしたから。ひょっとして、私の顔を忘れてしまっていたのではないかと……」
「4年振りになるか。顔を忘れるほどではない」
「5年と2月振りです」
「………まあ、背は伸びたようだな」
「はい」
「しかし、丁度よかった」
「はい?」
「こちらから会いに行く手間が省けた」
「え? え? そ、それはひょっとして、ジンゴさんも私のことを―」
「ああ。仕事の話だ」
「…………ですよねぇ」
「……」
「………」
「…………」
「そ、それが、父の意向ですか」
「そうだ。お前に、『務めを果たせ』と言伝を預かった」
「やはり、そうなのですね。信じたくはありませんでしたが」
「俺は明日より、獣国に行く。便利屋の二人も連れて行く予定だ。お前はこの街で待っていろ」
「了解しました。その間に、出来るだけ情報を集めておきます」
「うむ」
それで要件は済んだとばかりに、ジンゴが会話を打ち切る。
ハズキは暫し、相伴に預かった猪口を手の中で弄び、慎重に言葉を探した。
その様子にジンゴが訝しげな視線を向ける。
「どうした」
「その、ですね。ジンゴさん。もしよかったら、なんですけど―」
その時。
「曖昧屋ぁ! 開けるわよー!」
がしゃん! と盛大な音を立てて、引き戸が開けられた。
すらりとした足が、取っ手にひっかけられている。
両手に抱えた大きな藤籠で顔を隠した長身の女性が、器用に片足立ちをしていた。
どっかと荷物を玄関に下ろすと、中からいくつかの包みを選り分けて取り出しては、無造作に置いていく。
「いやあ、こないだ言ってた傭兵団からお土産いくつかもらって来たんだけど、あんたの名前出したらあれもこれもって荷物増やされちゃってさぁ。別にしれっと全部かっぱらっちゃっても良かったんだけど、あんま好きじゃないのも混じってたから、やっぱりあげるわ。ヨル君にはあんたから渡しといて。部屋にいないの、よ、ね………」
そこで初めて、部屋の中に視線を向けた桜色の髪の女性―アヤが、唖然として固まったハズキと目を合わせた。
「え、ええ、っと、お客さん?」
「………はあぁ」
腕組みをしたジンゴが、深く溜息を吐く。
「あ、あら、いやだ。私ったら。ごめんなさいね、見苦しい所を見せちゃって。ああ、気になさらないで。お裾分けに来ただけですから。もう行きますね。あ、
口元を手で隠しながら、強引に舵を切ってその場を離れたアヤの姿が完全に見えなくなってから、部屋の時間が動き出すのに、数秒かかった。
再び溜息をついたジンゴが立ち上がり、置き土産を検めようと玄関先に歩を進めると、その服の裾をハズキが掴んだ。
「ジンゴさん」
その声から、温度が失せている。
「何だ「今の方は?」
ジンゴの語尾に被せるように、ハズキが問いを重ねた。
「街の新聞屋だ「随分と親しくしていらっしゃるのですね?」
「……只の隣人だ。この長屋の住人の一人「つまり一つ屋根の下で暮らしていらっしゃると?」
「…………」
「…………」
「おい、ハズ「なんでしょうか」
「…………」
「綺麗な方でしたねえ」
「待て。お前何を考えて「いいえ。いいえ。私は何も考えておりませんよ。ただ、事実を確認しているのです。成程、このセキリュティ概念の欠落した住まいに年若い男女が共同生活を送っていらっしゃる。この夜中に気軽に互いの部屋を行き来して―」
「あいつとは肴の好みが真逆なのだ。あいつは不要なものを押し付けに来ただけ「互いの食の好みも完璧に把握していらっしゃると!」
「………少し、話を聞け」
「いやですわ、ジンゴさんったら。私がジンゴさんの話を聞かないわけがないじゃありませんか。ええ。少しだなんて、ご遠慮なさらないで? 出立は明日の朝でしたわね? よかった、時間はたっぷりありますわ。是非お聞かせ頂けますか、あの、品のない桜髪の女性のことを?」
「………はぁ」
「どうかいたしまして?」
「いや、キリヤの悩みを、もう少し真剣に聞いてやればよかったと思っただけだ」
……。
…………。
同じ頃、マーヤの屋敷の客間にて。
「
「ええ、ご存じないですか?」
「ヒカリ、知ってる?」
「ううん、聞いたことないかも」
「獣国の固有種なんですよ。体毛に、高い魔力導体の性質があって」
「魔獣なんですか?」
「ええ。と言っても、危険度は大したことがないので、素材としては手軽なんですよ。ただ、生息域がかなり限られてて、獣国の法律で乱獲は厳しく制限されてるんですけど。それが毎年この時期になると、その猟が解禁されるんですよ」
「へええ。流石、物知りなんですねえ」
「いえ、これは全部ジンゴの受け売りです」
「それを、獲りに行くんですか?」
「はい。何かしらの研究に使うんでしょうね、よく分かりませんけど」
「それも便利屋の仕事なんですか?」
「うーん。そうじゃないとも言えないですけど、どちらかというと個人的な貸し借りって感じですね。この間、獣国の祭に出た時に……」
「あ、聞きましたよ! 『象追い祭り』」で優勝したんですよね! 凄いじゃないですか、獣人とレースで勝負して勝つなんて!」
「いやあ、それこそ、街の人たちの協力があったからで」
「…………私には内緒だった癖に」
「え? 何か言った、ヒカリ?」
「いぃーえぇー。なぁーんにもぉー?」
「?? 変なの。でも、そっかぁ、じゃあ明日からお出かけしちゃうんですね。いいなぁ、私も一緒に行きたいけど……」
「ううん。流石に難しいでしょうね」
「ですよねえ。ヒカリは着いてくんでしょ? いいなぁ」
「私は、ジンゴさんの手伝いで行くんです。ヨル君は私の助けなんて要らないんでしょうから!」
「あー、何だ、ヒカリ。カグヤさんから団子貰ってるんだけど」
「どうしてそこでお菓子を出すんですか!? 頂きます!」
「食うのかよ」
「ヒカリ、どうしたの? 何か変よ、あんた」
「いぃーえぇー。なぁーんでもないですよぉー」
「??」
「はあ……」
……。
…………。
そして、翌日。
「一緒に、着いて行くんですか?」
「ええ。ご一緒させていただきます。何か問題でも?」
ヨルとヒカリが自身の旅支度の点検を終え、寝ぼけ眼のアヤの準備を手伝い、それにくっついてたツグミが朝餉の支度をしていると、目を爛々と燃やしたハズキが突然現れ、そう言ったのだった。
隣に立つジンゴの顔が、心なしやつれている。
「ジンゴがいいなら俺は構いませんけど、……いいんですか? その、教会の方は」
「あなたに心配される謂れはありません。丁度いい機会ですから、ヒカリさんの街の外での仕事も見せて頂こうと思います」
「え!?」
実のところ、これでしばらくハズキの監視の目を逃れられると安心していたヒカリが、急転直下の事態に硬直する。
「何か、問題でも?」
「い、いえ、宜しくお願いします……」
「あ、あのう、お姉様」
「何ですか、ツグミさん」
おずおずと挙手したツグミを、ハズキが鋭く見据える。
「それは、私も着いて行くということでしょうか?」
「どちらでも構いませんよ? ここに残って頂いても、勿論構いません。多少は危険のあることでしょうから……」
ツグミの目が、ぎらりと輝いた。
「いえ!! 是非お供させて下さい! 親友の助けをするのは当然のことですので!!!」
「そうですか、では一緒に行くとしましょう。急いで支度をしてください」
「あらほらさっさ!!」
朝餉の支度も途中でほっぽり、荷物を取りにマーヤの屋敷に駈け出したツグミを、ヒカリが呆気に取られて見送ると、ハズキはつかつかとヨルたちに近づき、目をぱちくりさせたアヤの正面に立った。
頭の天辺から足の先まで、じっくりと観察する。
「え、ええっとぉ……」
「成程、かなり鍛えているようですね。それに、確かに美人です」
「は、はい?」
「いいでしょう、貴女が強敵であることは認めましょう。しかし、私も譲るわけにはいかない理由があるのです。正々堂々といきましょう、
「………アヤよ」
眉根を寄せたアヤを気にすることもなく、ハズキはふい、と視線を外すとジンゴの元に駆け寄った。
流れるような動作でその腕を組む。
「さ、私たちも支度をしましょう、ジンゴさん。ああ、まだ目が覚めてないみたいですね、まずは顔を洗いましょう。荷造りは私がしておきましたから、買い出しは一緒に行きましょうね」
「……好きにしろ」
いつになく力ない声を漏らすと、引きずられるようにして自宅に引っ張り込まれていく。
目に剣呑な光を宿したハズキが、引き戸を閉める。
(私の使命のことを思えば、ここは街に留まるのが最善。しかし、私にも譲れないものがある。かつての勇者様も自叙伝の中でおっしゃっていたわ。『女には、不合理と分かっていても行かねばばならない時がある』と! ごめんなさい、お父様、ハズキにとっては、今がその時なのです!)
(チャンス! ビッグチャンスよ、ツグミ! どうやってヨルさんとの親密度を上げるかが最大の問題だったのに、一緒に旅行に行くことができるだなんて! お姉様の目を見れば分かるわ。お姉様は、あのダンディなおじ様を狙っている。まさか自分を棚に挙げて私がヨルさんに手を出すのを咎めはできないはずよ。となれば、共闘も視野に入れて作戦を練る必要があるわね。ううぅ。久々に燃えて来たー!)
二人の聖騎士の目は、確かに狩人の眼であった。
「……ねえ、ヒカリちゃん」
「なんですか、アヤさん」
「お姉さん、行くのやめていいかな?」
「うふふ。………絶 対 ダ メ で す」
闇の底に沈むかのような顔で、ヒカリがほほ笑んだ。
……。
…………。
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